第58話

“Terms of Goodbye” 5 😇
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2025/10/16 08:17 更新
リーグループとニューヨーク・エステート・キャピタルの提携が正式に動き出した。
表面上は完璧なビジネス。
だが、その裏では静かな緊張が走っていた。


ジェノは、冷徹な交渉者として彼女と向き合いながらも、ふとした瞬間に過去の記憶が蘇る。
笑うたび、声を出すたび、ペンを走らせる指の癖までも

それは“かつての彼女”を知っている者にしか分からない仕草だった。

彼は知ってしまった。
どれだけ変わっても、どれだけ遠くへ行っても、
彼女の中に自分の残像がまだ少しだけ息をしていることを。

そして、冷たい笑みを浮かべた。
――だったら、壊してやればいい。



提携業務の名目で、彼は何度も彼女のオフィスを訪れるようになった。
会議、資料の確認、進捗報告。
誰も不自然に思わない距離感。
だがその実、ジェノの視線は常に彼女に向けられていた。


「忙しそうだね」
「……仕事ですから」

短い会話のたびに、彼女は目を逸らす。
けれど、声の奥の微かな震えを、彼は聞き逃さなかった。

夜。
ジャニーが遅くまで会食に出ているとき、ジェノは偶然を装って現れた。


「たまたま近くで会議があって」
「そう。奇遇ですね」

冷たく返す彼女の声。
それでも、視線が一瞬だけ揺れる。

“まだ俺を避けるのか。”

その夜、彼女は帰宅後に鏡を見た。
化粧を落としながら、胸の奥に生まれる小さなざわめきを抑えきれなかった。
ジャニと過ごす穏やかな日々の中に、もう痛みはなかったはずなのに。



一方でジャニは、気づいていた。
彼の前では、彼女が少しだけ呼吸を浅くすること。
ジェノの名前を出すとき、声の温度が変わること。


「あなた、リー副社長とは昔、知り合いだった?」

穏やかな声。
責めるでもなく、ただ確かめるように。


「……ええ。少しだけ」
「少しだけ、ね」

ジャニは静かに微笑んだ。
だがその瞳の奥には、
ビジネスでは見せたことのない冷たい鋭さがあった。

彼は知っていた。
彼女の中で、何かがまた動き始めている。
それが自分ではないということも。



数日後の会議。
ジェノは新しい提携書類を彼女に手渡しながら、
低く言った。


「……もう逃げなくていい。
俺は、あの日の理由を聞く権利があると思ってる」

彼女の手が止まる。
唇を噛み、目を上げたその瞳の奥には、
三年前と同じ、泣く寸前の光。

「理由なんて、もうどうでもいいでしょ。
あなたはもう、私の人生に関係ない」

ジェノの表情が、わずかに歪む。
次の瞬間、彼は笑った。

「……そう言えるなら、まだ心が動いてる証拠だ」


その言葉を残し、彼は会議室を出ていった。
扉が閉まる音がやけに重く響く。


彼女はその場に立ち尽くしたまま、胸の奥の鼓動を抑えきれずにいた。

もう終わったはずの恋が、
再び動き出してしまったのを、誰よりも本人が分かっていた。
〈ニューヨーク・エステート・キャピタル本社/最上階ラウンジ〉

「……あなたの様子が、少しおかしいんだ」

ジャニがグラスを軽く回す。
バーボンの琥珀色がゆっくりと揺れた。


向かいに座るテンは、静かに彼を見ていた。
CFOであり、学生時代からの友人でもある。
彼は感情よりも理性で動く男だが、
ジャニの声にある“焦り”を見逃さなかった。


「おかしい、って?」
「リー・ジェノ。彼女の元恋人らしい」
「……まさか」

テンの眉がわずかに動いた。


「三年前、彼が海外赴任中に彼女が突然別れを告げた。
それから彼女は俺と結婚した。
俺が求めたのは、安定と信頼。彼女もそれを望んでたと思ってた。
けど――最近は違う。目の奥が揺れるんだ。あの男と会うたびに」


テンは少し沈黙したあと、淡く笑った。


「人の感情って、投資と違って予測できないものだよ、ジャニ。
どれだけ誠実でも、愛が“死んだ”とは限らない」

「……分かってる」


ジャニの声が低くなる。

「でも、彼女を壊されたくない。
彼女は俺の人生そのものだ」


テンはグラスを持ち上げ、軽くぶつけた。


「だったら、焦るな。
ジェノ・リーのような男は、焦る相手の感情を利用する。
君が冷静さを失えば、それこそ彼の思う壺だ」


ジャニは何も言わず、ただ深く息を吐いた。
その横顔には、ビジネスマンとしての鋼と、
愛する者を守りたい男の苦しさが交錯していた。



〈リーグループ・ニューヨーク支社/ホテル・スイート〉


「……お前、ほんとにややこしいことになってんな」

ジェミンがソファに体を沈めながら、
缶コーヒーを差し出した。


ジェノは受け取らず、窓の外の街明かりを見ていた。

「ややこしい? そんなもんじゃない。
あいつ、もう“Mrs. Suh”なんだよ」

「知ってるよ。ニュースにも出てた。
ニューヨーク・エステート・キャピタルの共同CEO。
……けど、それでも会ってる」


ジェミンは少し笑った。

「未練あるじゃん」

ジェノは黙る。
その沈黙が、答えだった。


「お前さ、怒ってるようで、まだ愛してんだろ」
「違う」
「じゃあなんで顔がそんなに痛そうなんだ」


ジェノは、ゆっくりと缶を開けた。


「……俺がいない間に、全部終わってた。
別れの理由も言わないで。
俺はずっと“裏切られた”と思ってきた」


「けど今は?」
「今は……わからない。
あいつの目が、まだあの日と同じだった。
強がって、冷たくして、でも奥で震えてた」


ジェミンはため息をつく。


「なあ、ジェノ。
もしもう一度、彼女を取り戻したら、
また同じことになるかもしれねえぞ」


ジェノは微笑んだ。
その笑みは、悲しみと決意が入り混じったものだった。


「分かってる。でも――
壊れるとしても、もう一度触れて確かめたいんだ。
本当に、俺たちが終わったのかどうか」


ジェミンはその言葉を聞き、缶コーヒーを飲み干した。


「……お前、ほんとに馬鹿だな」
「そうだな」


ジェノは小さく笑った。

「でも、俺は彼女に馬鹿でいたかった」




その夜、ニューヨークの空に雪が舞った。

ビルの灯りが街を染め、
それぞれの部屋で、同じ名前が
まるで消えない呪いのように、静かに囁かれていた。
 テンの役職  CFO (Chief Financial Officer / 最高財務責任者)

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