地下水路に、剣戟の音が響いていた。
息吹が横へ跳ぶ。
直後、先ほどまで立っていた場所を拳が抉った。
息吹は着地すると、すぐさま剣を構え直した。
目の前にいる相手――Insanityは、笑っている。
傷だらけの身体。
ボロボロの服。
そして、その異様な笑顔。
息吹は一度、深く息を吸った。
(怖い)
(でも、怯んでいる暇はない)
Insanityが踏み込む。
(速い!)
息吹は剣を横に構えた。
腕を振り下ろし、能力を発動する。
一瞬だけ、相手の動きが鈍る。
息吹が踏み込んだ。
剣を振る。
Insanityは身体を捻って躱す。
そのまま反撃。
息吹は剣を盾代わりにして受け流す。
「――ガンッ!」
腕が痺れた。
(ただの拳とは思えない......!)
(......それでも!)
息吹は距離を取る。
相手の動きを観察する。
(やっぱり速い)
(力も強い)
(でも、動きそのものは単純だ)
Insanityが再び突っ込んでくる。
息吹はギリギリまで引きつける。
重力の方向を変える。
Insanityの身体が僅かに逸れる。
その隙に、息吹は横へ回り込んだ。
剣が振り抜かれる。
Insanityの服が裂ける。
初めて、攻撃が届いた。
けれど、
Insanityは笑っている。
息吹が呟いた直後。
相手の姿が目の前から消えた。
(後ろ!?)
振り向く。
(間に合わないッ!)
肩を殴られる。
息吹の身体が数メートル吹き飛んだ。
転がりながらも、すぐに立ち上がる。
肩が痛む。
(まだ...動ける...!)
剣を構える。
息吹は駆けた。
(正面からなら!)
剣を振る。
躱される。
二撃目。
また躱される。
三撃目。
Insanityが腕で受け止めた。
息吹は即座に腕を振り下ろす。
Insanityの身体が一瞬沈む。
その隙を狙って、剣を振り抜く。
「――ザンッ!」
確かな手応え。
しかし、次の瞬間。
Insanityの拳が飛んできた。
息吹は咄嗟に身体を捻った。
拳が頬を掠める。
避けた。
だが、
続く蹴りが腹部へ入った。
息吹は後方へ飛ばされる。
それでも転倒することなく、なんとか踏みとどまった。
(息が荒い)
(身体も重い)
(それでも、まだ...)
(――救援が来るまで)
(それまで持たせればいいんだ...!)
剣を握り直す。
再び踏み込む。
何度も攻防を繰り返した。
その度に傷を負い続けた。
辺りの壁も今にも崩れて来そうだ。
息吹は息を整える。
(――勝てない...!)
(それは百も承知)
(...でも、逃げるわけにはいかない)
腕を振りかぶる。
Insanityの身体が僅かに沈む。
その瞬間、
息吹が斬り込む。
しかし、Insanityは強引に身体を動かした。
剣を躱される。
そして、
拳。
息吹は腕を交差して防御する。
衝撃で身体が後ろへ滑る。
腕が痺れる。
それでも倒れない。
息吹は剣を握り直した。
だが、
次の攻撃は、今までとは違った。
Insanityが一気に距離を詰める。
腕を振りかぶる。
(──間に合わない!)
強烈な一撃。
息吹の身体が吹き飛ぶ。
壁へ叩きつけられた。
肺から空気が抜ける。
視界が揺れる。
息吹は立ち上がった。
脚が震える。
剣を杖代わりにする。
Insanityが近づいてくる。
(......怖い)
(身体...も...限界......)
その時。
遠くから、足音が聞こえた。
聞き覚えのある声。
業。
そして、
複数の隊員たち。
先頭に立つ蒼。
息吹の身体から、ほんの少しだけ力が抜ける。
蒼は息吹を一瞥し、その向こうへ視線を移した。
Insanityは、相変わらず笑っていた。
その時、
突然、
Insanityの動きが止まった。
顔が僅かに上がる。
そして、
笑みが消えた。
息吹たちには、何が起きたのか分からない。
Insanityはそのまま踵を返した。
言いかけるも、Insanityは振り返らない。
地下水路の奥へ走っていく。
あっという間に、その姿が闇の中へ消えていった。
蒼は追わなかった。
業が息吹へ駆け寄る。
その瞬間。
張り詰めていたものが、ぷつりと切れた。
膝から力が抜ける。
業が身体を支える。
視界が暗くなる。
最後に見えたのは、心配そうな業の顔だった。
そして――
息吹は、そのまま意識を失った。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!