第9話

人でなしの恋 九
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2020/05/28 08:54
 さて、私の懺悔ざんげ話と申しますのは、実はこれからあとの、恐ろしい出来事についてでございます。長々とつまらないおしゃべりをしました上に「まだ続きがあるのか」と、さぞうんざりなさいましょうが、いいえ、御心配には及びません。その要点と申しますのは、ほんの僅かな時間で、すっかりお話出来ることなのでございますから。

 びっくりなすってはいけません。その恐ろしい出来事と申しますのは、実はこの私が人殺しの罪を犯したお話でございます。その様な大罪人が、どうして処罰をも受けないで安穏あんのんに暮しているかと申しますと、その人殺しは私自身直接に手を下した訳でなく、いわば間接の罪なものですから、たとえあの時私がすべてを自白していましても、罪を受けるほどのことはなかったのでございます。とはいえ、法律上の罪はなくとも、私は明かにあの人を死に導いた下手人げしゅにんでございます。それを、娘心のあさはかにも、一時の恐れにとりのぼせて、つい白状しないで過ごしましたことは、返す返すも申訳もうしわけなく、それ以来ずっと今日こんにちまで、私は一夜としてやすらかに眠ったことはありません。今こうして懺悔話をいたしますのも、亡き夫への、せめてもの罪亡つみほろぼしでございます。

 しかし、その当時の私は、恋に目がくらんでいたのでございましょう。私の恋敵こいがたきが、相手もあろうに生きた人間ではなくて、いかに名作とはいえ、冷い一個の人形だと分りますと、そんな無生むしょうの泥人形に見返られたかと、もう口惜しくて口惜しくて、口惜しいよりは畜生道ちくしょうどうの夫の心が浅間あさましく、もしこの様な人形がなかったなら、こんなことにもなるまいと、はては立木という人形師さえうらめしく思われるのでございます。エエ、ままよこの人形の、艶かしい這面しゃっつらを、叩きのめし、手足をひっちぎってしまったなら、門野とてまさか相手のない恋も出来はすまい。そう思うと、もう一ときも猶予ゆうよがならず、その晩、念のために、もう一度夫と人形とのおう瀬を確めた上、翌早朝、蔵の二階へ駈上って、とうとう人形を滅茶滅茶めちゃめちゃに引ちぎり目も鼻も口も分らぬ様に叩きつぶしてしまったのでございます。こうして置いて、夫のそぶりを注意すれば、まさかそんな筈はないのですけれど私の想像が間違っていたかどうかも分る訳なのでございます。

 そうして丁度人間の轢死人れきしにんの様に、人形の首、胴、手足とばらばらになって、昨日に変る醜いむくろをさらしているのを見ますと、私はやっと胸をさすることが出来たのでございます。

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