前の話
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【あたらしい、かぜ】
いつか会うことになるだろうとは、ずっと思っていた。
――でも、それが今日だとは思わなかった。
「放浪者、この人が万葉だよ」
「お初にお目にかかる。拙者は楓原万葉でござる」
じっとりした暑さが体にまとわりつく。誰かの肌かじんわりと汗が流れ出す。それは焦りの汗か、緊張による汗か、冷や汗か。
それは、スメールシティの一角で起きた出来事だった。
――
北斗の船がスメールに寄ったとの噂を聞きつけ、旅人とパイモンはナタから遥々スメールへと足を運んでいた。「きっと面白いことになる」と。
案の定放浪者は逃げるので、旅人は必死で追いかけ、彼が空中に浮かぶなら木に登り、崖の先に行ったならば高く飛んで風の翼を広げ、やっとの思いで捕まえた。
そして、楓原万葉とご対面である。最終的には、予想通り面白いことになった。
「君が、楓原家の末裔かい?!」
放浪者の瞳が見開かれる。興奮と驚きが隠せず、頬がうっすら紅潮していた。彼は勢いよく万葉に近づくと、その手をがしりと握った。
「へえ……ねえ、雷電将軍の《夢想の一太刀》を受けたときの話、詳しく聞かせてくれない? ああ、僕の神の目も君と同じ風元素なんだよ。本当に君は丹羽にそっくりだ。特にその紅い髪の色……驚くほど似てる。でも、やっぱり丹羽は丹羽で、君は君。似ているようで、まったく違う……」
「?????」
「ちょ、放浪者! 万葉が困ってるぞ! そもそも万葉は、お前のことまだ何も知らないんだからな!」
パイモンが慌てて止めると、放浪者はようやく我に返ったように手を離し、ひとつ息をついた(人形に呼吸など必要ないはずなのに)。そして静かに口を開く。
「……自己紹介がまだだったね。僕のことは“放浪者”と呼んでくれて構わないよ」
「放浪者、名前は教えないのか?」
「そっ、そんな! 旅人、君は馬鹿なのかい?! 僕の名前を知ったところで彼に何の意味があるんだ!」
「そうか……つまり、恥ずかしいんだね」
「君ね……!!!」
――
「ところで、楓原万葉」
「っ、なんでござるか?」
放浪者は急に万葉へと視線を向けた。万葉はその唐突さに思わず言葉を詰まらせる。放浪者は彼の楓色の瞳をじっと見つめ、汗をだらだらと滝のように流し(人形にそんな機能があるのかは知らないが)、無理に笑みを浮かべ――告げた。
「……僕を、殺してくれないか?」
「ほ、放浪者殿?!?!」
「「放浪者〜?!?!」」
「おい放浪者! 落ち着けよ!」
「僕は……君に殺される運命なんだよ、楓原万葉……!」
「血迷うな、放浪者!!!」
「放浪者殿?!?!?!」
周囲に緊張が走る。誰もが、彼の突然の言葉に凍りついていた。
――そして、放浪者自身も、そんなことを言うつもりはなかったのだ。
「放浪者、本当に落ち着いて。君の“傾奇者”や“散兵”としての記憶は、もう誰の中にも残ってない。万葉にそんなことを言っても、意味はないよ」
「っ……僕は……僕は…………」
旅人の声に、放浪者はゆっくりとうつむいた。内側から自己嫌悪が膨れ上がっていくのが見えるようだった。
「旅人、放浪者殿は……?」
「万葉。一旦、俺と来てくれ。パイモン、放浪者が逃げないように見張ってて」
「お、おう……って無理だろ!? こいつどうすればいいんだよ!! オイラには荷が重いぞ〜!!」
「頼んだ、パイモン!」
そう言って旅人は万葉を連れてその場を離れた。取り残されたパイモンと放浪者。妙に静かな空気が流れる。
「おい待てよ!!……なんなんだよアイツら〜!!」
「…………」
「ほ、放浪者? 黙ってないで何か言えよ……あ、そうだ! ナタで買ってきた“ちび竜クッキー”だ! お前も食うか?」
「……いらないよ。甘そうだし」
「おい! そこだけはちゃんと返事するな!!!」
――
「旅人、拙者が何か、放浪者殿の気分を害したのでござろうか……?」
「いや、万葉が直接の原因じゃないんだ。でも……」
「やはり、丹羽殿のことでござるな?」
「……うん。部分的にはそう。じゃあ、彼の記憶について話すよ」
旅人は、放浪者の過去――“傾奇者”、“散兵”、“国崩”、そしてそれに連なるすべての出来事を、簡潔に伝えた。万葉は目を見開き、思わず口元に手を当てる。
「そんなことが……放浪者殿に……」
「うん。知っているのは俺とパイモン、彼自身、それと草神だけだ」
「……しかし、全ては過去のこと。今を生きる拙者にとっては直接関係のないことでござる」
それは確かにその通りだった。それでも放浪者は、自分が万葉に関わる資格などないと、そう思い込んでいた。
「うーん、まあ……彼は面倒な性格してるからね。自分で自分を追い込むところがある」
「拙者は、ただ放浪者殿と仲良くしたいだけでござる。過去のことを言われても、困るでござるよ」
「それを本人に言ってくれないかな。俺じゃどうにもならないんだ」
「わかった。放浪者殿のもとへ戻るでござる」
そう言って万葉は駆け出した。……パイモンが放浪者を取り逃がしていなければいいのだが。
――
「おーい、放浪者ー! パイモーン!」
「旅人! 遅いぞ〜!!」
パイモンが腕をぶんぶん振りながら駆け寄ってくる。放浪者はというと、近くのカフェで静かにお茶を飲んでいた……すっごく苦そうだ。それでも甘いものが嫌いな彼は普通な顔して飲んでいる。
万葉は、ゆっくりと放浪者に歩み寄った。放浪者は、1度万葉をちらりと見て、目を逸らす。
「放浪者殿……」
「楓原万葉。さっきは僕のせいで済まなかった。君の様子を見るに、旅人から僕の過去を聞いたようだね」
その声は穏やかだった。けれど、どこか諦めたような光が、どこかを見つめるその瞳の奥に揺れている。
「……何故、死を望むのでござるか? 放浪者殿がすべきことは、死ぬことではないだろう」
「…………は?」
万葉の言葉に、放浪者の口から気の抜けた声が漏れた。ぱちぱちとまばたきを繰り返しながら、思わずふりかえって彼を見つめる。
万葉は困ったように微笑むと、柔らかく語りかけた。
「気負い過ぎているのでござるよ。過去はもう変えられぬもの。今お主にできることは、“生きる”ことでござる。きっと、丹羽殿も――他の皆も、そう願っているでござろう」
「僕はただの人形だ。それに、悪いことも沢山した。許されていいはずが――」
「拙者は、お主も“人間”だと思うでござるよ」
その一言が、放浪者の内側を大きく揺らした。
それは、かつての誰かの声と、記憶の中で重なった。
それは、かつての誰かの言葉と、同じものだった。
「許しが欲しいなら、拙者は許そう。しかし、それは重要なことではない。お主が、どうしたいか――それがすべてでござる」
「僕は……ここにいたい。そして、まだ知らないこの世界を、もっと知りたい。丹羽たちやあの子の分まで、生きてみたい……」
本音が、ぽろりと零れ落ちた。気づけば、目の縁が滲んでいた。
「それでいいでござる。責任を抱え込む必要などない。ただ、風のように、気ままに生きればよい」
「……ははっ。楓原万葉、君の言う通りだ。僕は、何かを思い違いしていたみたいだね。……なんだか今日は、空が広く見える」
彼が見上げた空は、テイワットの空だった。まるで偽物みたいな青空だ。それでも心を打つほど美しい。
放浪者はそんな空みたいに澄んだ瞳から、ひとしずく、涙を流した。
「……おい旅人、あいつら完全にふたりの世界だぞ」
「あはは、若くていいじゃん。今は、そっと見守ってあげようよ。……放浪者が、本当に自由になる瞬間をさ」
「おう、そうだな……っておい! なんでそんな自分が老いぼれみたいな言い方するんだよ!!」
「まあまあ、」
万葉は放浪者を見つめながら、穏やかに口を開いた。
「放浪者殿。改めて、拙者と友達になってくれまいか?」
放浪者は、そっと微笑んだ。
「もう、それを否定する理由は僕にはないよ」
***
その後、放浪者が席を外したあと。
「それにしても、ファデュイのドットーレとやらは許せないでござるな……旅人、潰しに行くでござるよ!」
「ええ……無理がある」
「アイツ、キチガイだぞ! さすがのお前でもそれはできないぞ……」
「む……では、先に雷電将軍を――」
「まって!!! そっちのがもっとマズイ!!!!」












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!