妻が鬱の期間に入ったらしい。
そうなれば俺がそばにいても意味はない。
看護師さんに「お辛いでしょうけど、そばにいてあげてください」と言われたので、妻の隣で背中をさするが、正直意味があるのか疑ってしまう。
いきなり顔を上げ、窓の外を眺めた。
日に焼けていない白い指が窓を伝った。
アディがよく行く場所だと知っている。
一人にさせる不安を感じながらも、ここで余計に刺激をすると大変なことになる。
ここは引き下がるべきだ。
なにかに吸い寄せられるような足取りで、ふらふらと部屋を出ていった。
廊下に立っていた看護師に声をかけた。
屋上に来ると、フェンスに身を委ね座り込んだ。
がしゃんと錆びた金属の音が鳴った。
少し歩くだけでも身体がしんどい。胃の中がムカムカして気持ち悪い。
背中をじっとりと脂汗が伝っているのがわかる。
あなたのfirst nameちゃんはまだか。
体力に限界を感じ始めたとき、屋上の扉がゆっくりと開いた。
本当に以前は笑顔の多い子だったのだろうか。
その面影を少しも感じさせないほど、無機質な声が聞こえた。
ゆっくりと腰を上げ、入院服のワンピースの裾を整えた。
風が強くて、さっきまでかいていた汗も冷えてしまった。
話そうと口を開いたとき、言葉の代わりに吐き気がこみ上げてきた。
それを飲み込み呼吸を整える。
話すと決めた。今日、今、話さなければ。
口の中で空気を飲み込んだ。
唇が震えていた。
いつも伏し目がちだった瞳が少しだけ見開かれていた。
いきなりこんな話をしたのだから当然だろう。
お腹の下のあたりに手を当てた。
まだ覚えてる、あの感覚。
二度と忘れない。私が永遠に追い続ける妄想。
奥歯を噛み締めて、あなたのfirst nameちゃんの顔を見た。
滲んでよく見えなかった。
















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!