ベッドの上で身を起こす。むくり、起き上がった先に見える壁は見慣れたぼろ板のそれではない。整然と整えられた部屋の一角。ぼんやりとする視界と思考を携えて、その風景を見つめていた。何をするでもなく、眺めていた。
小さく吐いた吐息が、やけに重い。息を吐くのもかったるい。まるで熱に侵されているかのようなそれは、久々でこそあれ、初めてではない。今までもずっと、もう何年も経験してきたのだから慣れたものだ。
確かめるように、眼下で何度か己の拳を握っては離す。ぎこちなく、錻力の人形のような有様だった。
重さに耐えきれないように更に落ちた視線の先、他の生徒とは違い逆さに胸元に突っ込んだマジカルペンが見える。それを引っ張り出す気力さえなかった。見ようが見まいが、結果は分かり切っている。
そして当然、その結末も。
漸くまともに動くようになってきた身体を支えるように、ベッドの縁に手をついて立ち上がる。それとほぼ同時に、部屋の扉が開いた。予想していないタイミングでの来客に、思わず目を丸くした。
そこには、制服に身を包んだ寮長様の姿があった。息を切らしている様を見るに、走ってきたのだろうか。持久走が苦手な彼からすれば、中々考え辛いシチュエーションに夢でも見ているのかとも思える。だからだろうか。何故か笑えてきてしまって、そのまま口からからからと音が零れた。
対する彼は俺の顔を見るなりぎょっとした表情を浮かべると、慌てて駆け寄ってくる。そうして俺の額に手を当てて、それからほっとしたように息を吐き出した。
ぴしゃりと言い放たれ、思わず口を噤む。彼の方を見れば、酷く真剣な顔をしていた。その表情に、嫌な予感がした。
彼が俺の手を取った。握られた掌が温かい。否、俺の手が冷たすぎるのか。どうでも良い。どっちだろうと大差はない。
目の前のルノマが、此方を見上げる。
目の前の彼は、ただただその細い目を見開いて突っ立っていた。言葉を放った僕の方はと言えば、ずっと震えていた。
そんなことしたくないのに、声も、身体も、何もかもが自分の意思に反するように小刻みに揺れる。
緊張って、こういうことを言うんだろうか。そんな単純な言葉で表すには、あまりに重たすぎるような気もする。
ダリウスが誤魔化すように笑う。
それでも、一歩たりとも彼の前から引こうとはしない。
彼の答えを信じたい。
ただそれだけの思いで、身体も心も、何もかもが正面に立っていた。
声を荒げると、びくりと彼が震えたのが分かった。怯えたようなその表情に、胸が痛くなる。けれども僕は、ここで引くわけにはいかないのだ。一度、深く息をする。そうして彼に向き直ると、僕は真っ直ぐにその瞳を見つめた。
瞬間、彼が息を呑んだのが分かった。
同時に、瞳が大きく見開かれていく。
間髪入れずに否定される。けれど、僕にはそれが嘘だと分かる。分かってしまう。 どうしてだろう。自分が誇ってきたはずのその力が、正解が、ただただ僕を傷つける。
ダリウスの顔が歪む。動揺しているのが分かる。
だからこそ、僕は言葉を続けるしかなかった。
彼の名前を紡ぐ声が震える。情けないくらいに震えていて、今にも泣きそうになるくらいなのに、それでも僕は必死に言葉を吐き出した。止めてはいけないと思ったから。今だけは、最後まで言い切らないといけないと思ったから。
目の前の彼は、ただただ静かに僕のことを見つめていた。
嘘の音が落ちて行く。
彼の声帯が震えているのが伝わる。
嘘じゃない、心の底からの言葉だった。
でも、そんなことはどうでもよかった。
ゆっくりと首を横に振って、彼の手を握り直した。
僕の知らないところで、僕の為に無茶をしてばかりいる。それを馬鹿と呼ばずして、なんといえばいいんだろう。 記憶の底、出会ったばかりの頃から、僕の知っているダリウスという人間はそういう人間だった。
照れ隠しが下手なせいで荒っぽくも見えるけれど、いつだって人のことばかり気にして、自分のことは二の次どころか三の次にしてしまう。けれど、やっぱり不器用だから、それを認めようとはしない。そんなどうしようもない奴。
それが、彼だった。
目を合わせない彼に向かって、僕は呼びかける。
おずおずと視線が此方を向く。
そう言えば、彼が息を飲んだのが分かった。それから、何かを堪えるように唇を噛む。それから小さく息を吐いたかと思うと、くしゃりと顔を歪めて俯いた。
絞り出すような声音が耳に届く。
いつの間にか、逸らすことのない黒眼が此方を望む。
僕が投げかけた素直な問い。
それに彼は、今日聞いた中で一番素直な音で答えた。
TO BE CONTINUED ……
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。