「あ……! 何でも、ない。……ごめん、黒尾くん」
私が慌てて掴んでいた黒尾くんの袖を離すと、彼の手がふわりと私の空中に浮いた。
(……秋くんに、見られてる……っ)
その事実だけで、心臓が潰されそうに苦しい。
今まで無自覚に彼を傷つけ続けてきたことへの申し訳なさと、今の彼の、あの冷たくて痛い瞳に射抜かれている気まずさ。
私が俯くと、黒尾くんが眉を寄せて、私の顔を覗き込もうとした。
「……あなたちゃん?」
その声が、いつもよりずっと優しくて、逆に胸が痛くなる。
黒尾くんは、私が秋くんを意識していることなんて知らない。ただ、私が急に動揺して、袖を離したことに戸惑っているだけ。
私が何も答えられずにいると、黒尾くんがふぅと小さくため息をついた。
それから、私が下ろしたばかりの手を、迷いのない動きでそっと握った。
「っ……!」
びくっ、と肩を跳ねさせた私の手に、黒尾くんの大きくて温かい手のひらが重なる。
3年間、遠くから眺めているだけで精一杯だった憧れの人の温もり。その事実に、頭が一瞬真っ白になりそうになる。
「……冷たい」
黒尾くんが、私の手を自分の両手で包み込むようにして、心配そうに眉を下げた。
「こんなに冷たくなって、大丈夫?? ……外、そんなに寒くないのに」
その声は、本当に私の体調を心配している、真っ直ぐなトーンだった。
いつもの意地悪そうな笑みなんて微塵もなくて、ただ、私の安否だけを気遣っている。
(……黒尾くんは、……本当に優しいな……)
彼の優しさに触れて、心臓が熱くなる。
3年も好きな人なんだもん。この温もりに包まれているだけで、泣きそうなくらい嬉しいはずなのに。
でも。
私の手の冷たさは、外気のせいじゃない。
背後から私を刺し続けている、秋くんのあの視線のせいなんだ。
「……、……」
私が言葉に詰まっていると、黒尾くんはさらに私の手を強く握り、覗き込むように顔を近づけてきた。
「顔色も悪いじゃん。……お兄さん、ちょっと心配なんだけど」
黒尾くんの視線が、私の反応を楽しむような甘いものから、真っ直ぐで真剣なものへと変わっていく。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!