「ごめん。」
仁人は小さく呟いた。
「俺が悪い。」
「え?」
「ちょっとだけ。」
視線を落とす。
「余裕なくなってた。」
言葉にした途端、少しだけ楽になるはずだった。
でも実際は、その逆だった。
言ってしまったことで、隠していたものが全部あらわになっていく気がする。
沈黙が流れる。
廊下には二人しかいない。
聞こえるのは、お互いの呼吸だけだった。
その静けさの中で、あなたは何かを言いたそうに唇を開いて、それでも言葉を探すように迷っている。
その様子を見て、仁人はますます自分の気持ちを抑えられなくなった。
「……あの日。」
仁人がぽつりと口を開く。
「舜太と話してたでしょ。」
あなたは目を丸くした。
「見てたの?」
「隣だったから。」
「あ……。」
思い出す。
耳打ちして、二人で笑ってしまったことを。
あの時は、ただサプライズの相談に夢中だった。
でも、今になって思えば、あの光景を見た仁人くんがどう感じたのか、少しも考えていなかった。
胸の奥がひやりとする。
「ごめん!」
慌てて頭を下げる。
「違うの!」
「違う?」
「実は……。」
言いかけて、ふっと笑ってしまう。
緊張していたはずなのに、今さらながら状況が可笑しくなってきた。
「いや、今さら言っても遅いか。」
「何?」
「サプライズの相談だったの。」
「……え?」
仁人が顔を上げる。
「当日券で仁人くんのツーショット取れたから、びっくりさせようって。」
「それを舜太くんに話してたの。」
一瞬。
本当に時間が止まったようだった。
「……え。」
「だから耳打ちしてたの?」
「うん。」
「じゃあ……。」
「舜太と笑ってたのは?」
「仁人くん絶対びっくりするねって。」
その言葉を聞いた瞬間。
仁人は額に手を当てた。
「……終わった。」
「え?」
「俺、一人で勘違いしてた。」
思わずしゃがみ込む。
「うわ……。」
耳まで赤くなっている。
「恥ずかしい。」
その姿があまりにも珍しくて、さっきまでの不安が少しだけほどける。
でも同時に、胸の奥には別の熱が残っていた。
「仁人くん?」
「…俺さ。」
少し笑って、それから困ったように頭をかく。
「舜太と仲良さそうなの見て。」
「うん。」
「めちゃくちゃ嫉妬してた。」
その一言に、あなたは目を見開く。
「……嫉妬?」
「うん。」
隠すつもりだった。
絶対に言わないつもりだった。
でも、もう誤魔化せない。
言わなければ、このまままた距離ができてしまう気がした。
「俺。」
少しだけ近付く。
「あなたが思ってるより、ずっと余裕ない。」
目が合う。
優しい瞳。
でもその奥には、今まで見たことのない真っ直ぐな感情が宿っていた。
それが嫉妬だと分かった瞬間、なぜか胸が苦しくなる。
嬉しいのに、戸惑う。
そんな気持ちが一度に押し寄せて、どう受け止めればいいのか分からなかった。
「俺のことも見てほしい。」
その声は、小さく震えていた。
「推しが舜太なのは知ってる。」
「それでも。」
「隣で一緒に笑う時くらい。」
少しだけ照れたように笑う。
「俺も、あなたの特別になりたいって思っちゃう。」
胸がどくんと鳴る。
こんな言葉。
想像もしていなかった。
嬉しい。
すごく嬉しいはずなのに、同時にどうしてこんなに動揺しているのか、自分でも分からない。
何も返せない私を見て、仁人くんは困ったように笑う。
「ごめん。」
「急にこんなこと言われても困るよね。」
そう言って一歩下がる。
その一歩が、妙に寂しく見えた。
「今日は忘れて。」
「仁人くん……。」
「おやすみ。」
静かに自分の部屋へ入っていく。
閉まったドアを見つめながら、私はその場から動けなかった。
“ 特別になりたいって思っちゃう ”
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
ただ少し嫌な気持ちにさせたかなと思っていた。
でも、あの真っ直ぐな目を思い出すたび、そう簡単には片付けられない気がした。
それは、ただの嫉妬なのか。
独占欲なのか。
それとも、もっと別の意味があるのか。
分からない。
分からないのに、胸だけがどんどん熱くなる。
その意味に気付き始めた時、私の胸もまた、今までとは違う速さで鼓動を打っていた。
——二人の関係が変わる夜は、もうすぐそこまで来ていた。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!