任務終わりで疲れ果てた中也を呼びつける。
要件は1つのみ。…あ、厳密には後でもう1つ増える。
***
扉の前に立ち、ドアノブを回す。
バッチリなタイミングで響く破裂音、飛び交う紙切れに中也は目をぱちくりさせる。
堪えきれなくなりとうとう涙を零した中也。
普段から此れ程可愛気があればいいのに、隙あらばやれ結婚しようだのやれお前の名字は中原だの云い出すのだから仕様がない。
拭っても拭っても溢れだす涙を、中也は必死に引っ込めようと努めていた。
***
バアスデイパァティも暮れた頃、私はもう一度中也を呼びつけた。
今度は、広くて狭い会場の窓際に。
きっと葡萄酒を飲んで火照った中也の顔に、ぼんやりとした光がよく馴染む。
こんな事を云うのは恥ずかしいけれど、意を決して私は云った。
先程よりも面食らった顔をする中也。
そりゃあ私だって公衆の面前でこんな事を云うのは憚られたさ。
全く何をそんなに驚くことがあるのだろう。
姫抱きだなんて今迄幾度となくしてきたことなのに。
唯私から頼み込むということが無かっただけであり、中也からならば何度でも抱かれたことはある。
それを今更、何に驚くのだ。
しかも、今回の計画は重力を扱える中也だからこそ出来ることだ。
断られちゃあ、身も蓋もない。
戸惑うばかりで動こうとしない中也に痺れを切らし、首に腕を回す。
其んな事を云えば、中也は酔いが醒めたようで、葡萄酒のせいではない赤面を見せた。
変に勘が鋭いな…。
マズイ、この計画までバレるんじゃ…
何か食い違うと思ったらそういうこと!!?
其れこそ自分から云うわけないじゃない‼
少々膨れっ面で、お互い月の綺麗な夜に飛び立った。
***
スイスイと月明かりに照らされながら駆ける中也の横顔は、矢張月にも負けぬ程一等綺麗であった。
満天の星空の下、2人で1つの影である今、静まり返るヨコハマの街を駆け巡った。
ビルというビルを見て、漸く辿り着いた場所は、何の変哲もない海岸の一角。
其れこそ、ふぅと一息ついた中也の吐息に、鳴り止まない私の心臓の早鐘、それを鎮まらせるかのように一定のリズムを刻む波の音色だけが其処には在った。
余りの勢いで上を向くもんだから、中也には似合わない可愛らしい帽子がひらりと舞った。
砂浜に落ちる前に私は其れを見事に捕まえた。
先程迄在った音のうち1つはもう消えていて。
息の整った中也は、今度は息を呑んでいた。
前ばかり見て、全くこの夜空を見上げなかった中也は、初めてこの光景に気が付いたようだった。
誇らしげにそう云うと、中也は何も云わず只々ゆっくり私を抱き締めた。
私が見事に捕まえた可愛らしい中也の帽子は、もう私の腕の中には無かった。
太宰さんほど大きくはないけれど、私よりは十分に大きな中也の背中を、負けじと抱き締め返す。
中也はまた涙を零しながら、また必死に嗚咽を呑み込もうとしながら、この世の誰よりも強くて優しい力で、他でもない私の事を抱き締めた。
時偶聞こえるありがとうという言葉を耳にして、まだ何も云っていないなどと思っていた。
鼻声で一寸ばかり格好つける中也が可笑しくって、少しだけ笑いながら、
そっと静かに、そう伝えた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。