─ 正解の外側 ─
【緑谷 side】
今朝のテレビは、いつもより少しだけ騒がしかった。
「──未明、市内の路地で小規模な騒動がありました」
キッチンから、パンの焼ける音。
湯気の立つマグカップ。
いつも通りの朝。
なのに、僕は、リモコンを持つ手を止めていた。
画面に映るのは、細い路地。
もう規制線は外されているけれど、
壁や地面に残る“汚れ”が、やけに目につく。
『現場では未登録の個性使用者が確認されましたが、
ヒーローの迅速な対応により被害は防がれ──』
迅速な対応。
被害ゼロ。
──なのに。
「……」
言葉を反芻する。
──未登録個性使用者。
それは、ヒーローでもヴィランでもない存在を指す、
少しだけ曖昧な呼び方だ。
「逮捕者はいないの?」
「そうみたいねえ。
物騒だし、出久も外に出る時は気をつけなさいよ」
母の声は、心配よりも日常に近い。
僕は頷いて、
無意識のままノートを開いていた。
ページの端に、走り書き。
・被害ゼロ
・逮捕者なし
・未登録個性使用者
・ヒーロー複数名出動
(……何か違和感がある)
画面の隅に映った、白く擦れた金属の跡。
それがなぜか、頭から離れなかった。
雄英高校、1-A教室。
「デク君、おはよう!」
「おはよう緑谷君!今日も良い天気だな!」
「麗日さん、飯田君! おはよう!」
いつも通りの喧騒。
いつも通りの席。
だけど、
相澤先生は、少しだけ疲れた目をしていた。
「着席。ホームルーム始める」
ざわつきが、静まる。
「連絡事項の前に一つ。
最近、未登録個性使用者が関与した案件が増えている」
教室の空気が、わずかに張りつめる。
「ヒーロー資格を持たない個性使用は、
たとえ“自衛”であっても問題になる」
“たとえ”。
その言い方に、
僕は小さくペンを止めた。
「昨日未明の件もそうだ。
被害は出なかった。だが──」
「正しかったかどうかは、別の話だ」
誰も、すぐには反応できなかった。
【相澤 side】
職員室。
相澤は、モニターに表示された報告書を睨んでいた。
件名:
市内路地未明騒動について
関係者欄:
未登録個性使用者(通称不明)
「……」
白墨。
それ以上の情報は、ほとんどない。
顔不明。
年齢不詳。
所属不明。
確認されているのは、
個性が“感情反応型”であることと、
ヒーローの動きを一時的に止めた、という事実だけ。
相澤は、キーボードから手を離す。
(ヴィランじゃない、か)
報告書に書かれていた、
目撃者の証言が、頭をよぎる。
──「あいつ、逃げてた」
──「でも、誰も傷つけてない」
正義の手順は、守られた。
結果も、正解だ。
それでも。
「……灰色、だな」
相澤は、小さく呟き、
一文を書き直した。
本件は、現行法上は問題がある。
しかし、動機および行動には明確な悪意は確認されていない。
保存。
モニターを閉じる。
その“線の上”に立つ存在を、
相澤は、まだヒーローとしても教師としても、
どう扱うべきかわからなかった。
【緑谷 side】
放課後。
ノートを抱えたまま、
校舎の窓から外を見ていた。
(ニュースの人……)
名前も、顔も出なかった存在。
でも、
確かに“誰か”が、そこにいた。
ヒーローにも、ヴィランにもならず。
正解の外側に立った誰かが。
「……会えるのかな」
小さな独り言は、
誰にも聞かれず、風に消える。
この時の僕はまだ知らなかった。
その灰色が、
いずれ僕のノートに、
そして運命に、深く刻まれることを。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!