「――それでは、今回のコンペ大勝利を祝して……乾杯!」
金曜日の夜。居酒屋の個室に、営業部一同の威勢のいい声とジョッキのぶつかる音が響き渡った。結果は、文字通りの圧勝だった。基の完璧なデータと、影山のカリスマ性溢れるプレゼンはクライアントの心を完全に掴み、他社を寄せ付けないクオリティで大型案件を勝ち取ったのだ。
「いやあ、やっぱりお前ら二人が組むと無敵だな!」
「影山のあのトーク、鳥肌立ったわ!」
上司や後輩たちに囲まれ、ビールを注がれる影山は、いつもの愛されキャラ全開で「いや〜、基の資料が完璧だったおかげっすよ!」と調子よく笑っている。基は少し離れた席で、ウーロン茶を口にしながら、その様子を眺めていた。仕事が成功した安堵感はもちろんある。けれど、基の脳裏の片隅には、昨夜のオフィスで影山に手首を掴まれたときの、あの熱い感覚がずっと消えずに残っていた。
宴会が始まって2時間。一次会が盛り上がりのピークを迎え、周囲が席を立って移動し始めた頃、ふいに隣の席に誰かが滑り込んできた。
「……お疲れ、基」
見ると、影山だった。いつの間にか上着を脱ぎ、白いワイシャツのネクタイを緩めている。お酒が入っているせいか、その頬はほんのりと赤く染まり、目はいつもより少しトロンとしていた。
「お疲れ。大活躍だったじゃん、影山先生」
「からかうなよ。マジで緊張したんだから。……ねえ、この後さ、抜け出さない?」
「は? 二次会行くって皆言ってるでしょ。主役のお前がいなくなったらマズいだろ」
「主役は基もでしょ。それに、皆もう出来上がってるから、俺らが消えても気づかないって」
影山はそう言うと、テーブルの下で、基のジャケットの裾をきゅっと引っ張った。昨夜と同じ、子供のようでおねだりするような、でも拒絶させない強さがある仕草。その視線に抗えず、基は結局、盛り上がる同僚たちにうまく言い訳をして、影山と共に居酒屋を後にした。
影山が連れてきたのは、大通りから一本入ったところにある、薄暗い隠れ家のようなオーセンティックバーだった。ジャズが静かに流れる空間。カウンターの端に二人並んで座ると、居酒屋の喧騒が嘘のように遠ざかっていく。
「マスター、ハイボール二つ」
影山が手慣れた様子で注文する。届いたグラスを傾け、冷たいアルコールが喉を潤すのを感じながら、基はふう、と深く息を吐き出した。
「やっと落ち着いた……」
「ね。二人きりになりたかったんだよね、俺」
影山がグラスを持ったまま、ニヤニヤと基の顔を覗き込んできた。
「お前、そういう紛らわしい言い方すんなよ。勘違いする奴だっているんだからな」
「勘違いって、何を?」
「……何でもない」
昨夜の「可愛いよ」という言葉が頭をよぎり、基は気まずく目をそらした。
だが、影山は逃がしてくれない。椅子を少しだけ基の方へ寄せ、さらに距離を詰めてくる。
「基さ、昨日の夜からずっと、俺のこと避けてるでしょ。今日も目が合ったらすぐそらすし」
「避けてない。仕事中だし、今日はバタバタしてただけだろ」
「嘘だね。基が嘘つくとき、右の手首触る癖あるの、俺知ってるから」
指摘され、基はハッとして自分の右手に視線を落とした。無意識に、昨夜影山に掴まれた手首のあたりを触っていた。自分の些細な癖まで把握されていることに、心臓がトクンと跳ねる。
「……お前、本当にめんどくさい」
「めんどくさくて結構。ねえ、基」
影山の声が、居酒屋の時とは明らかに違う、低く甘いトーンに変わる。影山は持っていたグラスを置くと、カウンターに肘をつき、基の手元へと自分の手を伸ばした。そして、基が触れていたその右手首を、上からそっと包み込むように握った。
昨夜よりも、ずっと熱い。
「っ……たく、」
「からかってないよ、俺」
影山の瞳が、まっすぐに基を射抜いた。お酒の勢いだけではない、真剣で、どこか焦れたような、男の独占欲がそこにはあった。
「同期として、お前が誰よりも優秀で、俺の最高の相棒だってことは分かってる。でも……最近、それだけじゃ足りないんだよ」
「何、言って……」
「仕事の顔じゃなくてさ。俺だけに見せる、余裕のない顔が見たい」
影山の長い指が、基の手首から滑り、手の甲、そして指先へと絡みついていく。男同士の大きな手が、カウンターの隅でひっそりと恋人のように恋人繋ぎの形を結ぶ。
「な、……ここで、何してんだよ、誰かに見られたら……」
「見られないよ。ここ、暗いし、奥の席だし」
基は手を振り払おうとした。けれど、影山の握る力は思いのほか強く、そして優しくて、どうしても本気で拒絶することができなかった。プライドが高くて強がりな自分が、影山の熱に、じわじわと侵食されていくのが分かる。
「基、顔、真っ赤」
「うるさい……。お前のせいでしょ……」
悔しそうに、でも潤んだ目で睨みつける基を見て、影山は満足そうに、低く切なく笑った。
「……店、出よっか。もう限界」
影山がそう囁き、残ったハイボールを一気に飲み干した。繋がれた手から伝わる鼓動は、もう、ただの「同期」の境界線を完全に踏み越えていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!