雨はすっかりやんでいたけれど、図書館にはまだ湿った空気が残っていた。
陽菜はいつもの席に座り、今日も凛を待っていた。
名前も知らない、話すことも少ない。
それでも、あの子が来るか来ないかで、陽菜の胸は少しだけ揺れた。
小さくつぶやいていると、椅子の軋む音が遠くから聞こえた。顔を上げると、凛がゆっくりと扉の方から歩いてくる。
少しだけ自信なさげに、でも確かにそこにいる。
陽菜は軽く手を振る。
凛は初めて小さな声で返事をした。
それだけで、陽菜の胸に小さな火が灯った。
二人はまだあまり話さなかったが、自然と隣同士に座ることが増えていた。凛は本を手に取ることもあるが、ページをめくるよりも陽菜の顔をちらりと見ることが多かった。
陽菜は気づいていた——その視線には、言葉にできない感情が込められていることを。
ある日、陽菜は思い切って尋ねた。
凛はしばらく黙ったまま、雨で濡れた髪を手でかき上げる。
やがて、
小さくうなずいた。
陽菜の問いに、凛は少し困ったような顔をした。
言葉は出ないけれど、肩をすくめる。
その仕草に、陽菜は胸がぎゅっとなるのを感じた——まだ何かを隠していることは明らかだった。
その日の帰り道、陽菜は凛と一緒に傘をさした。
雨は止んだはずだったが、屋根の下を通ると小さな水滴が落ちてきた。
二人の距離は自然と近く、陽菜はほんの少しだけ心臓の速さを感じた。
ついに陽菜は口にした。
しばらく考え込み、そして小さく、
とだけ答えた。
その声は低く、少し震えていた。陽菜はその声を聞いた瞬間、これから先いろんなことを知りたい、と思った。
その後、二人は雨上がりの町を歩きながら、少しずつ言葉を交わすようになった。
凛は本当に口数が少なく、ほとんどの会話は陽菜が話題を振る形だった。
それでも、凛の返事には温かさがあった——たまに小さく笑う顔が見えたり、目がわずかに輝いたりする瞬間があった。
ある日、陽菜は凛の手元に目をやった。
手は少し冷たそうで、指先に小さな水滴が残っていた。自然に手を伸ばしたくなる衝動に駆られたが、陽菜はぐっとこらえた——焦る必要はない、少しずつ近づけばいいのだ。
陽菜の問いに、凛は少し黙ったあと、目をそらしたまま小さく答えた。
その一言に、陽菜は何か深い孤独が隠されているのを感じた。
凛の家庭は普通ではないのかもしれない——でも、それ以上は聞けなかった。陽菜はその秘密をそっと胸にしまうことにした。
図書館に戻ると、二人はいつものように隅の椅子に腰を下ろした。静かな雨上がりの空気に包まれて、言葉の少なさがむしろ心地よく感じられた。
二人は本を手に取りながらも、視線や小さな仕草で互いを感じ合っていた。
その日から、陽菜は凛の存在を意識しながら生活するようになった。
放課後に本屋を覗いたり、雨の日には図書館に足を運んだり——凛に会うためのささやかな習慣が、いつの間にか生活の中心になっていた。
凛もまた、陽菜の存在を少しずつ意識していることがわかる。微かな笑顔や、ふとしたときに目が合う瞬間。言葉は少なくても、互いに惹かれていく感覚は確かだった。
だが、凛にはまだ誰にも話せない秘密がある。
それは家庭の事情かもしれないし、学校での孤独かもしれない。陽菜はそれを知らない——知らないままでも、凛のそばにいたいと思う気持ちは変わらなかった。雨上がりの町で、二人は少しずつ距離を縮めていった。
そして、夕暮れの図書館。
窓の外にオレンジ色の光が差し込み、長い影が床に落ちる。陽菜は凛の横顔をそっと見つめ、心の中で小さくつぶやく。
凛は答えずに視線を少しそらしたが、肩の力が少し抜けたように見えた。
そのわずかな変化を、陽菜は見逃さなかった——言葉にしなくても伝わるものがあることを、二人はすでに知っていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!