第22話

夢の続き
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2024/11/21 05:09 更新
風が吹いている。
冷たいけれど、優しくて穏やかな風が。

運ばれて来たこの香りは、何の花だろう。

わからないのに、なつかしい気がする。







夏目 貴志
…大丈夫か?あなたの名字

ミルクティーみたいな色の何かが、目の前でサラサラと揺れていた。

ぼんやりと滲んだ視界は水の中のように光が乱反射していて、なかなか鮮明にならない。


あなた
………。


膝裏に当たる草の感触で、横になっていたのだと気が付き、ゆっくり体を起こしてみると、傍にいた誰かが背中を支えてくれた。


長い長い夢から覚めたかのようで、目の前の景色に現実感が無い。

なぜなら、



あなた
……空が、青い…




灰色や黒以外の空を見たのは、とても久しぶりだったから。



あなた
私…


思わず目元に手をやると、タキさんが手鏡を差し出してくれた。
震える手でそれを受け取り、自分の顔を映す。


夏目 貴志
夕焼けを閉じ込めたみたいだ
夏目くんが、私の瞳を覗き込んで優しく笑った。

田沼 要
やったな、あなたの名字
多軌 透
良かった…本当に良かった…
田沼くんとタキさんは、少し涙ぐんでいる。

名取 周一
頑張ったね
頭に乗せられた名取さんの手の温かさとその言葉で、全部終わったのだと理解した。

あなた
あ、あの!みんな怪我は…!?
ただ夢中で駆け抜けただけで、みんなの状況を把握している余裕なんてなかった。
全員の頭から爪先まで凝視して確かめていると、名取さんが笑いながら私の足を指す。
名取 周一
みんな無事だよ。強いて言うなら、きみの膝ぐらいかな
そう言われて自分の膝に目をやると、そこは既にガーゼで手当をされていた。
盲婆を引き付けている途中で転んだから、おそらくその時の傷だろう。
こちらに向かってくる禍々しい髪の束を思い出して、背筋がぞくりとした。
あなた
…そういえば、名取さんは大丈夫ですか?

2年前の私と同じように盲婆の髪に絡みつかれていたのだから、妖力も吸われてしまったのではないだろうか。
すると、名取さんはコートのポケットを探り、何かを手の平に乗せてこちらに差し出した。
あなた
お守り…
名取 周一
そう、きみがくれたものだ。これのおかげで、思ったよりも私自身の妖力は吸われずに済んだんだよ
それどころか、回復までさせてもらったのだと、お守りを眺めながら名取さんが言う。

ニャンコ先生
凝縮され過ぎていただけで、実際はかなりの妖力が込められていたようだな
名取 周一
これを持っていたおかげで、近付いた田沼くんたちも盲婆の妖気に当てられなかったしね
あなた
そう、なんですか…?

ちゃんと、役に立っていた。
私にできることはみんなから離れることじゃなくて、私の持っている力でみんなを守ることだった。
あなた
(嬉しい…)

この力があって良かったと心から思えたのは、初めてかもしれない。
何もできないと嘆いているだけの私から、一歩前に進めた気がした。



あなた
夏目くん、名取さん、田沼くん、タキさん、猫さん

居住まいを正して、みんなの顔をしっかりと見る。

あなた
ありがとう、ございました

本当に、本当に、心からの言葉だった。



名取 周一
そんな風に笑うきみを見たのは初めてだ
あなた
えっ。ど、どんな風ですか…?
田沼 要
あれ夏目、顔あか――
夏目 貴志
わーっ!!
多軌 透
な、なに?どうしたの?
夏目 貴志
なんでもない!


色づいたみんなの姿が、笑顔が、今までより一層温かく見えて。
何年もかけて溜まっていた心の澱が、少しずつ消えていくのを感じる。


ニャンコ先生
おい、そろそろ行くぞ。働いたせいで腹がへった。甘いものぷりーず!
夏目 貴志
先生。甘いものばっか食べてると太るぞ
名取 周一
あなたちゃん、歩けるかい?
あなた
はい








深く息を吸い込むと、冬の匂いがした。
いつの間にか山に戻って来ていた鳥のさえずりが、どこかから聞こえてくる。
木々の隙間から差し込む光が眩しくて、温かくて、私は目を細めながら青い空を見上げた。

あなた
(ドキドキする)


失っていたのは色彩感覚だけなのに、まるで五感すべてが一度に返ってきたみたいだ。
匂い、音、光、何もかもが新鮮に感じて、自然と胸が高鳴る。


夏目くんと名取さんがこちらを見て、小さく微笑んだ。
きっと今の私は子供のような顔をしているのだと思う。
少し恥ずかしかったけれど、とても俯いてなんかいられなくて。

私はキョロキョロと忙しなく首を動かしながら、目に映る景色をただ夢中で眺めていた。



多軌 透
わぁ…
田沼 要
すごいな

だんだんと花の香りが強くなったと思ったら、かつて白妙と訪れた薬草の群生地が見えてきた。

妖の間で噂になるような場所だから、きっと不思議な力が宿っているのだろう。冬の寒さなど関係なく、そこにはたくさんの花が咲いていた。


赤、ピンク、黄色、緑、青、紫…


溺れてしまいそうな色彩の渦の中、ふと、夏目くんの顔を見る。

夏目 貴志
ん?

目が覚めた時、最初に見えたのは夏目くんの髪だった。
ずっと知りたかった、夏目くんの色。
あなた
…ううん、きれいだなと思って
夏目 貴志
あぁ、そうだな

自分の目で見てみたいと、ずっとずっと願っていたのはどうしてだろう。
今も理由はよくわからないけれど、私は確かにあの日、心を動かされた。
このままでいいと諦めていた私の心が、小さく弾んで音を立てたのだ。
あなた
…ありがとう

自然と口をついて出たそれは、ほとんど呟くような声量だったけれど。
すぐ隣にいた夏目くんには聞こえたようで、さっき聞いたよ、と返事が返ってきた。
夏目 貴志
それに、お礼を言うのはおれもだよ。
おれが守るって言っておきながら、結局あなたの名字に助けられたんだから

そう言いながら夏目くんは眉を下げて笑った。

今度は守ることができて良かった、そう思うと同時に、胸の奥がチクリと鋭く痛む。
今さら考えても仕方ないとわかってはいても、この色とりどりの景色を前にすると、どうしても白妙を巻き込んでしまった後悔が押し寄せて来る。

あなた
(2年前の私に、同じことが出来ていたら…)


そんな風に思った時だった。




???
ふむ…こんなものだろうか

突然、どこからか声が聞こえた。


多軌 透
あなたの名字さん?
名取 周一
夏目も名取さんも…どうしたんだ?

辺りを見回しているのが私たちと猫さんだけなので、今の声は妖のものということになる。
無意識に体が強張り手を握りしめると、夏目くんと名取さんが素早く前へと出た。
夏目 貴志
あそこ…何かいますね
名取 周一
あぁ

警戒の色を強めながら、二人が低く囁き合う。
もしも襲ってくるようなら、私も田沼くんやタキさんを守りたい。
そう思って夏目くんの背中からそっと顔を出したのだけど、私はそのまま固まってしまった。


あなた
あ……
夏目 貴志
あなたの名字、どうした?
あなた
あの本……白妙の…
夏目 貴志
え!?


大きな狐のような姿をした妖が背にくくりつけていたのは、記憶の底に刻まれたあの本だった。

間違いない。深い緑色に、あちこち焼け焦げた跡。

逃げるのに必死で、あの日持ち帰ることが出来なかった、大切な――


???
……ん?おや
狐の妖が、こちらを振り返る。
???
もしや貴女、あなたさんでは?
あなた
えっ…

過去にこの妖と出会った、ましてや名乗った記憶など、全くなかった。
私が今までに名を教えた妖は、ただ一人だけ。
あなた
あなたは…白妙の…
???
おぉ、やはり白妙を知っておいでですね

嬉しそうに微笑むと、狐の妖はこちらに歩み寄り、優美な所作でお辞儀をする。

麻葉
私は麻葉あさば。あの子から師匠と呼ばれていた者です
あなた
あの、どうして私のことを?
麻葉
あぁ、これですよ。今しがたそこで拾いまして

くるりとこちらに背を向けると、麻葉はくくりつけてあった本を指した。
麻葉
元は私の道中記なのですがね、白妙に続きを託していたのです。
しかしあの子はどうも日録のような使い方をしていたようでして。貴女のことも書かれておりました

そう言って麻葉は、まるでどこか遠くを見ているかのような、なつかしむような眼差しで、私の瞳を見つめる。
麻葉
沼の妖を祓ったあの祓い屋によく似た面差しの子だと、そう書いてありましたので。一目でわかりましたよ






『い、いつだったか、沼に居着いた大妖を祓っていただろう!』
『えぇと…それは母だと、思う』







妖というのは多分、人間同士よりも容姿を細かく判別するのに慣れていない。
けれど、それでも母に似ていると言われるのは、やっぱり嬉しかった。


麻葉
急に山から恐ろしい妖の気配が消えたものですから、ここの薬草を摘みに来たところだったのですが…まさか貴女にお会い出来るとは
あなた
あの…私……


白妙に託したはずの本がこんな場所に落ちていた理由も、白妙本人の姿がない理由も、きっと麻葉は知らない。

説明のために出来事を頭の中で順序立てていくと、私のせいで白妙は消えてしまったという事実が胸に突き刺さった。

話さなくちゃいけない。そう思えば思うほど、喉が詰まったように声が出てこない。

麻葉
あぁ、大丈夫ですよ。何があったのかは、あの子の夢でわかっていますから
あなた
え…夢…?
麻葉
実は私、妖や波長の合う人の子の夢を覗くことが出来ましてね
あなた
で、でも…白妙は消えてしまって……
麻葉
ほほ。あの子は消えてなどいませんよ。
眠っているだけです










『白妙…大丈夫!?』

『あなた…私、は……』






――しばし眠る











あなた
ほん、とうに……?

頭が真っ白で、そう返すのがやっとだった。

もしかしたら、私は自分に都合の良い夢を見ているだけなのかもしれない。



でも、もしも。

もしも本当に、灰色でないこの世界に、まだ白妙がいてくれるのだとしたら。






『あぁ…瞳の色が…変わって、しまったな』



麻葉
えぇ。本当ですとも



この瞳の色を見せて、戻ったよって、あの子にそう言えるのだろうか。



夏目 貴志
あなたの名字

夏目くんの手が、優しく肩に乗る。
その温もりが、夢ではないと言ってくれている気がした。

名取 周一
それで、白妙は今どこに?
麻葉
私の友の元で休んでおります。
ただ、少しばかり眠りが深すぎるようで。ここの薬草なら癒やせるのではと思いましてね

手にしていた薬草を掲げると、麻葉はそれを大切そうに懐へと仕舞った。
麻葉
それでは、私はそろそろ戻ります。
あの恐ろしい妖を追い払ってくださり、ありがとうございました
あなた
…あ、あの!


白妙とのつながりが無くなってしまう。そう思ったら、麻葉を引き留めていた。
慌てて鞄からメモ帳とペンを引っ張り出し、住所と簡単な地図を書きつける。

あなた
私、もうこの町にいなくて。今はここに住んでいるんです
麻葉
あぁ、この地なら知っています。旅の途中に立ち寄ったことがありますので
あなた
ここからは少し遠いけど…その…
麻葉
あの子が目覚めたら、必ず伝えましょう


麻葉は差し出した紙ごと、優しく私の手を握った。

麻葉
きっと、旅が始まれば一番に貴女の所へ飛んでいきますよ










みんなが次々とティッシュやハンカチを差し出してくれたので、私はきっとひどい顔をしていたのだと思う。

それでも、堪えることもなく、ただ声をあげて泣いた。


彼らの前では泣いてもいいって、きっとおばあちゃんもそう言ってくれるはず。


時折運ばれてくる、なつかしい花の香りに包まれていると、なぜだかそう思えてならなかった。









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