第9話

関係 [🍓] ※
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2026/03/31 11:25 更新
※ 微裏です







酔った勢いで一線を越えたのが最初だった。
その翌朝は、お互いに記憶が曖昧なまま、自分たちの姿で前夜の出来事を察することとなった。


「無かったことにする?どうする?」


彼に密かに恋心を抱いていた私にとって、ベッドの中での拓途のその問いかけはあまりにも残酷だった。
負けず嫌いな私は「どっちでもいいよ、任せる」なんて強がって。拓途は「じゃあまた会おうね」と私の好きな顔で笑って私の頭を撫でた。


そこから私たちの関係が始まった。
月に2,3回、拓途から「今日あいてる?」と連絡が来れば私が彼の家に会いに行く。
時間がある時は一緒に夕飯を食べてから、時間がなく夜遅い時はもうそのまま流れるようにベッドに沈む。

拓途の触れ方は、勘違いしてしまいそうになるほど常に優しかった。けれど唇にキスをしてくれたことは一度もなく、それがただの身体の関係であることを明確に示していた。


抱かれるたびに好きという気持ちが募ってしまう。
だからこそ、こんな関係は終わりにすべきだと頭では理解していた。
けれど、拓途は決まって別れ際に「また会おうね」と柔らかく言う。それが嬉しくて、また触れてほしくて、終わらせることなどできず、彼に溺れていた。



.


暫くの間、拓途からの連絡が途絶えていた。
約3ヶ月ぶりに届いた彼からのメッセージに胸が躍る。

この3ヶ月間、彼に「仕事忙しい?」と聞く資格もなければ、「会いたい」と言う勇気もない私は、彼に会えない寂しさや鬱憤を仕事への熱量に変換することに必死だった。

久しぶりに会える事実を噛み締めつつも、改めて都合が良い関係だということを痛感して言葉にならない感情を抱く。



久しぶりに訪れる彼の部屋。少しの緊張感が走る。

玄関のドアが開いた瞬間、手首を引かれ、肩を押されて壁に背中がぶつかった。

熱をもった瞳に見下ろされれば、久しぶりに見る拓途がいつも以上に格好良く、色っぽく見えて心が震える。


このあとの展開を期待して待っていれば、唇に柔らかいものが触れた。

一瞬、何が起きているか分からず視線だけを右に左に動かした。見えるのは、伏せられた拓途の瞳と、睫毛。これまでに無い顔の距離の近さから、キスをされているということを理解した。






「…ごめん、間違えた」


そして、唇が離れてすぐ、拓途はぽつりとそう溢した。
訳がわからず、立ちすくむ。
「間違えた」という一言が脳内を何度も何度も反芻している。
けれど、拓途はそれ以上の説明も弁明もする様子はなく、私も言葉を飲み込んだ。


「お腹すいてる?」
「……あ、うん」
「じゃあ一緒に食べよ」
「…うん」


背中を向けた拓途がリビングに入って行く。
何事もなかったかのように振る舞う拓途に反して、私は数秒前の彼の行動と一言をまだ消化できていない。

一緒にご飯を食べている間も、シャワーを浴びているときも、拓途はいつも通りの拓途で、私も彼に合わせて平静を装うのに必死だった。


そして、拓途が私の服の裾に触れ、素肌に指を這わせようとしたとき、私は彼の手を掴んでそれを制した。
もやもやが残ったまま、このまま流れに身を任せても必ず後悔すると目に見えていたからだ。


「拓途、まって」
「ん?」
「さっきの、間違えたってどういう意味…?」


私がそう聞くと拓途はバツが悪そうに目を細め、私に触れようとしていた手が宙を彷徨った。
「あー…」と口ごもる拓途に、「何を、間違えたの?」と重ねて問いかければ、首の後ろを触りながら視線を逸らされる。


「ごめん、あなた」


その一言で、すべてを察した。

何度も訪れている彼の部屋から、他の女性の痕跡を感じたことは一度もなかった。だから勝手に、拓途に彼女は居ないものだと思い込んでいた。
おそらく最近、拓途には彼女ができたのだと察する他なかった。ここ3か月間、連絡が途絶えていたのもきっとそれが理由だろう。

そして、いつも彼女に触れているように、"間違えて"私にキスをしてしまったのだ、と。

本命の彼女が居るのであれば、もう拓途に会うことはできない。知ってしまった以上、都合の良い関係も今日で終わらせなければならない。


「あー分かった、彼女できたんでしょ?なんだ、早く言ってよもう。大丈夫だよ、縋ったりしないから。私なんかを呼ばずに、ちゃんと彼女を大事にしなね」


なるべく明るい声色で、とびきりの作り笑顔を張り付けた。感情を隠すことには慣れている。
私の心中を拓途が見透かせる訳ないと思っていた。



はだけた洋服を直し、帰ろうと立ち上がった。
けれど、拓途が私の手首を掴み動くことができない。
ぎりぎりのところで耐えていた私の瞳は、少しの刺激で溢れかえってしまう程水分を含んでいる。


「離してよ」
「無理。だって、泣きそうな顔してる」
「してない」
「泣いてるじゃん」


拓途の指が、つーっと頬を伝う私の涙をぬぐった。
こんな場面で縋るようなみっともない女にはなりたくないとずっと思っていたし、彼の中に残る最後の私の姿が好印象のままでありたかった。

歪む視界の向こうに見える拓途の表情も何故か悲しそうで、どうして彼がそんな顔をするのか理解できない。


「俺いないよ、彼女」
「…え、でも、」
「間違えたっていうのは…俺が言葉足らず過ぎたんだけど」
「…」
「付き合ってないからキスはしないようにしてだんだけど。久しぶりに会えたあなたが可愛くて、我慢できなくて…間違って、というか、勢いで、…うん、」


語尾が尻すぼみに小さくなっていく拓途。瞳に残る涙をぬぐって彼を見れば、耳を赤く染め、私が見たことのない顔をした拓途がいた。


「あー…もう今更隠せないから言うね。俺は、最初から、こうなる前からずっとあなたのことが好きだった」
「……っ」
「あなたにその気がないのは分かってたよ。割り切った関係でも、会えれば嬉しかった。…ごめん」


想像していなかった拓途の思いに触れ、私の思考は停止する。
彼の口から出てくる言葉が、私に向けられているものとは思えず、まるでドラマの中の台詞を聞いているかのようだった。
何も反応をしない私に、拓途は困ったように「ごめんね、もう会うのやめようか」と言う。
その言葉に我に返り、思考を取り戻す。慌てて首を横に振れば拓途は驚いたように目をぱちぱちとさせた。


「会えなくなるのやだ。私も拓途のこと好き」
「…ほんとに?」
「私もこうなる前からずっと好き。ほんとは、彼女になりたかった」


拓途の前で、初めて本音を溢したような気がした。
一度取り繕うことを辞めてしまえば、今まで隠していた想いや言えなかった言葉が溢れてくる。

伸びてきた拓途の手が私の両頬をそっと包み込む。彼の顔が近付き、反射的に目を閉じれば唇が奪われる。
何度も何度も繰り返されるキスに、頭がふわふわして身体に力が入らなくなる。
彼の舌が唇を割って入り、身も心も溶かされる。
今まで、キス以上に深く繋がったことは幾度となくあるのに、ただのキスだけでこれまでに経験したことのない程身体中が熱くなった。

少し息が苦しくなってきた頃、唇が離れて自由になると、すぐ目の前にいる彼と視線が絡み合う。


「俺の彼女になってくれる?」
「…うん、よろしくお願いします」


言葉にならない照れくささが、二人の間に温かい笑みをこぼれさせた。どちらからともなくぎゅっと抱きしめ合えば、二人の新しい関係が始まりを告げた。

取り繕ったり気持ちを隠したりすることなく触れ合った初めての夜は、拓途の優しさと大きな愛に深く身を委ね、繋がりが更に深まる一夜となった。

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