第8話

8帰ってこない夜
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2026/01/05 06:31 更新
「今日、帰り遅くなるかも」

兄からのメッセージを、私は布団の中で何度も見返した。
その文字だけで、胸が重くなる。

「そっか……」

少しため息をついて、枕に顔をうずめる。
兄は、忙しい人だ。
仕事のために外に出るのは、当たり前のこと。

でも、今日に限っては、
胸の奥にぽっかり穴が開いたようだった。

夕方、家の電話が鳴った。
兄の友達からだと思ったけれど、出る勇気はなかった。

――聞こえてしまうのが怖い。

リビングから聞こえる、笑い声。
電話の声が誰と話しているのか、耳を澄まさなくてもわかる。

――女の人。

心臓が、痛いほど早く打った。
兄は自然に笑っている。
私には見せない、優しい声。

「……そっか、ありがとう」

短いやり取りだけでも、
私は胸をぎゅっと握られたような気分になる。

夜になって、玄関のドアが静かに閉まる音。
兄が帰宅したのだと思った。

「ただいま……」

でも、声は少し疲れている。
楽しそうな電話の後だから、余計に違和感を覚える。

「おかえり」

私は平静を装って答える。
見上げると、兄は微笑んだ。
でも、その笑顔には、さっきの電話の余韻があった。

「ごめん、遅くなって」

「大丈夫」

私は布団を片付けながら、何気ない返事をする。
本当は、大丈夫じゃないのに。

「なんか、楽しそうだったね」

思わず口に出してしまう。
兄は少し驚いた顔をして、首をかしげる。

「そう? まあ、少しね」

軽く笑って、そのままテレビをつける。
私はその背中を見ながら、そっとため息をつく。

――近すぎる距離にいるのに、
知らない世界がある。

私は妹だから、
その世界には踏み込めない。

でも、心は勝手に痛む。

布団に入って、天井を見つめる。

兄が誰かを大事にしていること。
その声を、知らずに聞いてしまったこと。

胸の奥が、まだざわざわしている。

「……私には、何もできない」

そう小さく呟いて、目を閉じる。

それでも、
明日も同じ距離で、笑い合うだろう。

それが、妹としての、唯一の役目だから。

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