その日の夜。
午後十時を少し過ぎた頃。
高専は、昼間の騒ぎが嘘だったかのように静まり返っていた。
廊下を歩く生徒の姿もほとんどなく、窓の外から聞こえてくるのは、夜風に揺れる木々の音ばかり。
昼間、あれだけ騒がしかった場所とは思えないほどだった。
あなたの下の名前は、自室の机に向かっていた。
手元にあるのは、先ほど夜蛾から渡された任務報告書。
明日の早朝までに提出しなければならないため、眠気を堪えながら、最後の一行を書き進めていた。
ようやくペンをおく。
小さく息を吐き、椅子から立ち上がる。
ぐっと両腕を上へ伸ばすと、凝り固まっていた身体から、ようやく力が抜けていく。
今日は、本当に長い一日だった。
昨日の任務についての説教。
草むしり。
そして、さっきまでの報告書。
そう呟いて、机の明かりを消そうとした──その時だった。
コン、コン。
静まり返った部屋に、控えめなノックの音が響く。
こんな時間に誰だろう。
一瞬だけ首を傾げたものの、すぐに扉へ向かう。
声をかける。
すると、木製の扉を隔てた向こう側から、聞き慣れた気だるげな声が返ってきた。
こんな時間に、硝子ちゃん?
少しだけ不思議に思いながら鍵を開け、扉を引く。
そこまで言って。
あなたの下の名前は、ぴたりと口を閉じた。
扉の前に立っていた硝子は、いつもと変わらないように見えた。
眠そうな目。
気だるげな表情。
けれど。
よく見ると、その口元がほんの少しだけ引きつっている。
返事をする間もなく、硝子が踵を返す。
その名前を聞いた瞬間。
なんとなく、嫌な予感がした。
慌てて部屋を出ながら尋ねる。
その言葉だけでは、何も分からない。
けれど、硝子がわざわざ夜に迎えに来るくらいなのだ。
ただ事ではないのだろう。
もしこの場に七海がいれば、『五条さんが面倒なのは、いつものことでは?』と真顔で冷酷なツッコミをしていたに違いない。
そんな場違いな妄想が頭をよぎる。
何が起きているのか分からないまま。
あなたの下の名前は硝子の後を追って、静かな廊下を歩き始めた。
この時のあなたの下の名前は、まだ知らない。
これから向かう五条の部屋で。
本人史上、かなり上位に入るほど面倒な五条悟を見ることになるなど。
そして──
その原因が、自分の「縁談」にあることも。














編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。