あなたのローマ字(家入硝子→Shoko) side
呼吸するだけで肺が凍るように寒い中、伊地知さんについて歩き、ついたのは聞いていた通りの古い神社だった。
今回の任務で祓うのは三級程度の呪霊だと、伊地知さんは生真面目そうに眼鏡を触る。私の等級が三級だから、丁度いいくらいだろう。
私が二級以下なのに単独行動をしている理由は、単純に人手不足。それに、最悪の場合は伊地知がいるから…と五条さんは言っていた。『なんとかなるっしょ!』と能天気に笑う五条さんの顔が脳裏に浮かぶ。
神社から少し離れたところで伊地知さんと別れ、冷えきった身体を擦りながら、鳥居へと足を進める。やたらと大きな鳥居は赤い塗装がほとんど剥げていて、中身の木も今にも崩れそうなほど傷んでいた。
そりゃあ、こんなに古くなっては呪霊の一つや二つくらい、湧いてもおかしくないか。
伊地知さんの帳が下りているのを確認してから、念の為、鳥居をくぐる前に一礼して、神社に足を踏み入れる。
その瞬間、息が詰まるほど強力な呪力を感じた。
あまりの圧力に腰が抜けそうになる。
なにこれ、なにこれ、なにこれ…! こんな強いの、絶対三級じゃないじゃん!
生存本能からか、動かなくなった足をなんとか引き摺り、本殿に向かって苔の生えた参道を歩く。
蔓草にまみれ、若干傾いている本殿が見えた頃。目の前に人影のようなものが唐突に現れた。
ゆっくりと振り返り、目が合ったのは、頭部だけが狐の呪霊だった。
二言発しただけなにの、伸し掛る禍々しい重圧に一瞬、息を忘れる。
狐の顔が歪む。神楽鈴の音がしゃんっ、と響いた。そして、私は飛ばされたのか鳥居の柱に身体を打ち付けた。
咄嗟に受け身を取ったことで瀕死は免れた。それでも、ダメージが完全になくなった訳ではなく、背中がずきずきと痛み、呼吸が震える。現状を整理するため、上手く回らない頭をフル回転させる。
人と同じ言語を話す呪霊、ということは、少なくとも三級以上の強さはある…はず。報告書を書いた人間のミスか勘違いで三級だと報告されたのだろう。
また鈴の音が何処からか響く。直後、吹き飛ばされた。今回は参道の横に生えた大木の幹だった。
どうしよう、どうしよう。こいつの術式、全くわかんない…!なにが条件?縛りは?どこに抜け穴がある…?
いや、もし本当にこの呪霊が三級以上の力を持っているのなら、伊地知さんのところまで逃げて、だれか対等に戦える術師を呼ぶしか…!
必死に考えを巡らせ、とにかく帳の外にでることを最優先とする。そうなると、走って逃げられる感じではないから、いちばん強い呪力で攻撃してから鳥居に向かって走る…!無駄撃ちになるかもだけど、そうするしかない…!
噛み跡に手を触れ、呪力を放つ。当たったかどうかの確認もせず、鳥居に向かって走り出した。
いけいけいけ…!とにかく外に…!!
長い参道を走り、鳥居がぼんやりと見え始めた頃。
左手首の内側。噛み跡が強く痛んだ。あまりの衝撃に膝から崩れ落ちる。
縛りとして、痛みがくるのが分かってはいたが、こんなに痛いのは想定外だ。
誤魔化すように、手首を強く握りしめ、もう一度走りだそうとする。
しゃんっ…。
神楽鈴の音。一瞬、周りが無音になる錯覚に陥る。そして、目の前に狐の呪霊が立っていた。
自分自身の引き攣った呼吸音がやけに鮮明に聞こえた。呪霊は、微動だにせず静かに声を発する。
しゃんっ。
鈴の音…!また飛ばされるっ…?!
反射的に下半身に体重をかけ、身構える。それが良くなかったのだろうか。
参道の真ん中に飛ばされ、そこに生えた苔で足が滑り、頭を強く打ち付けた。全身が酷く痛み、迂闊にも泣きそうになる。
しかし、本当にまずいのはここからだった。
呪霊の不気味なほど落ち着いた声と、自分にさされた影に、上を見上げる。
影の原因は、呪霊によって空中に持ち上げられた瓦礫の山だった。
なにあれ、どういうこと…?終いって、え、わたし、死ぬの?
ぐるぐると思考を巡らせるも、さっぱり訳が分からない。とにかく、逃げるべきだということは本能でわかるが、身体が動かない。動けたとしても、逃げ道がない。
段々と浅く、早くなる呼吸にさらに思考が散乱し、なにもできなくなる。
しゃん…。
一際大きな鈴の音が響き、同時に目の前が真っ黒になる。遅れて、意識が飛びそうになるほどの痛みにも襲われた。
瓦礫を落とされた…!即死は免れたみたいだけど、これじゃあどっちみち死ぬ…!!
落とされた瓦礫のせいで、四肢は左腕意外をほぼ完全に潰されているから伊地知さんに連絡は不可能。それから、鉄臭い血の匂いがすごいから、出血量的にももうすぐ意識がなくなるはず。
あ゙ーもうっ!!なんで一発で仕留めてくんないのかなぁ?!三級以上ではあるけど、そこまで強くないってこと?!じゃあ勝てたかもじゃん!!!くっそ腹立つ…!!!
形容し難い痛みに耐えつつ、段々と苛立ちが募り、悔しさで喉奥さえもつんと痛くなる。
少しずつ思考が霞み始めた頃、走馬灯のように左腕が痛んだ。ふいに目をやると、噛み跡が赤黒い血に濡れ、存在を主張していた。
『自己責任な。』
『自分の身体は大切に。』
『気をつけてな。』
ぼんやりと硝子さんの声を思い出す。生きていて初めて、私のことを気にかけてくれていた人の温かくて優しい声。
死ぬ前に親や周りの人よりも、硝子さんのことを思い出すなんて。どれだけ好きだったんだよ、と自分でも笑いたくなる。けれど、対照的に本格的に意識が遠のき、視界が段々と暗転していくのを感じた。
無意識にそう呟き、私は意識を手放した。
To be continued ...












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!