第6話

# 06
67
2026/07/03 11:51 更新




あなた
   おはようございます   





いつものように楽屋のドアを開ける 。








最初の頃は、このドアを開けるだけで緊張して
いた 。










深呼吸をしてからじゃないと入れなかったし、





るいくんと目が合うだけで何を話せばいいのか
分からなくなっていた 。











でも最近は違う 。








もちろん緊張しなくなったわけじゃない 。





るいくん本人を前にすると普通に緊張する 。












ただ、この場所に来ること自体は少しずつ
当たり前になってきていた 。







る い
   おはよ   




部屋の奥から声がする 。





顔を上げると、ソファに座っていたるいくんが
こちらを見ていた 。






片手にはスマホ 。




もう片方の手には飲みかけのペットボトル 。










その姿も、なんだか見慣れてきた気がする 。









すると、るいくんがふと時計を見た 。






そして何気ない顔で言う 。




る い
   今日ちょっと遅かったね   


あなた




私は反射的に腕時計を確認した 。



集合時間まではまだ余裕がある 。





あなた
   3分しか違いませんよ?   




そう言うと、るいくんは少しだけ口元を緩めた 。




る い
   3分も   




あなた
   3分"も"?笑   




思わず聞き返す 。




るいくんは楽しそうに笑った 。




る い
   冗談笑   





そう言ったけれど、なんとなく冗談だけ
じゃない気もする 。






でも、その理由を聞く勇気はなかった 。








私は荷物を置き、メイク道具を準備し始めた 。






テーブルの上にブラシを並べる 。







スポンジやパレットを確認していると、
るいくんがスマホを見ながら声をかけてきた 。








る い
   今日雨降るらしいよ   



あなた
   え、ほんとですか   



私は思わず窓の外を見た 。



朝はあんなに晴れていたのに 。




あなた
   えぇ、  



る い
   ほら   




るいくんがスマホの画面をこちらへ向ける 。





私は少し近づいて覗き込んだ 。





確かに午後から雨の予報になっている 。





あなた
   あ……   



思わず声が漏れる 。





あなた
   傘持ってないです   




る い
   買えば?   


あなた
   そうなんですけど   




荷物増えるんですよね、と小さく呟く 。





折りたたみ傘を持ち歩くのもあまり得意
じゃないんだよね…… 。







そんなことを考えていると、





る い
   俺持ってるよ   



るいくんがさらっと言った 。



る い
   折りたたみ   




あなた
   へぇ   




何気なく返事をする 。





すると、




る い
   だから大丈夫   



と言われた 。








……大丈夫?




私は思わず手を止めた 。





何が大丈夫なんだろう 。





一瞬考える 。






でも意味が分からない 。








首を傾げていると、るいくんも数秒遅れて
気づいたらしい 。





る い



そして小さく笑った 。




る い
   違う違う   



あなた
   …なにがですか?   





私が聞くと、るいくんは肩を揺らしながら笑う 。







る い
   いや、なんでもない笑   
る い
   忘れていいから   







絶対なんでもなくないじゃん 。






そう思ったけれど、それ以上は教えてくれ
なかった 。






私は首を傾げながらも、ひとまず作業に
戻ることにした 。










どう考えても「 なんでもない 」ではなかった
気がするけれど、





るいくんが教えてくれない時は本当に教えて
くれない 。






最近、それも少し分かってきた 。










私はブラシをケースの中に並べながら、
小さく息を吐く 。








すると、


る い
   そういえば   




るいくんがふと思い出したように声をかけて
きた 。






私は手を止めて顔を上げる 。



あなた
   はい?   



る い
   この前の映画どうだった?   





_____映画?





一瞬何のことか分からなかった 。





でもすぐに思い出す 。







少し前、友達と見に行く予定だと話していた
映画のことだ 。




あなた
   え、覚えてたんですか   




思わずそう聞いてしまう 。






だって、本当に何気ない雑談だったから 。







移動の合間に少し話しただけだったし、
私自身もう忘れかけていたくらいだ 。








るいくんはそんな私を見て少し笑った 。




る い
   覚えてるよ   




その言い方があまりにも自然で、
なんだかこちらの方が戸惑ってしまう 。






あなた
   すごい面白かったです   



私がそう答えると、



る い
   へぇ   




るいくんは興味ありそうに頷いた 。




る い
   泣いた?   




その質問に私は思わず苦笑する 。



あなた
   ちょっとだけ……笑   



る い
   やっぱり泣いたんだ   



あなた
   なんですか!その言い方   



る い
   いや   




るいくんが肩を揺らして笑う 。



る い
   泣くイメージなかった   



あなた
   泣きますよ   



る い
   意外   



あなた
   またですか……   




最近よく言われる気がする 。





意外とか、想像と違うとか 。








私が言うと、るいくんは楽しそうだった 。






その顔を見ていると、こちらまで少し笑って
しまう 。






会話はほんの数分だった 。








でも不思議だった 。








最初の頃なら、こんな風に続かなかったと思う 。







沈黙が怖くて 。





変なことを言ってしまわないか不安で 。







毎回頭の中で言葉を選びながら話していた 。









でも今は違う 。





もちろん仕事だから気は抜けない 。






それでも、るいくんと話している時間は
不思議と居心地が良かった 。







_____午後






撮影の合間に短い休憩時間が入った 。







私は飲み物を買うために廊下へ出る 。






スタジオの外は少し静かで、遠くから
スタッフさんたちの声が聞こえていた 。







自販機の前に立ち、財布を取り出す 。







何にしようかな、と考えるまでもなく、
選ぶものは決まっていた 。







いつものカフェオレ 。





最近なぜかそれを選んでしまう 。







その時だった 。








る い
   何買うの?   



突然後ろから声がした 。




あなた
   わっ   





思わず肩が跳ねる 。





慌てて振り返ると、そこにはるいくんが
立っていた 。







あなた
   びっくりした……   



胸を押さえながら言うと、



る い
   ごめん   




るいくんはそう言った 。






でも全然悪びれていない 。





むしろ少し面白そうに笑っている 。







絶対わざとだ 。






あなた
   カフェオレです!   




私が自販機を指さすと、



る い
   また?   




るいくんが言う 。




その言い方に思わず笑ってしまう 。





あなた
   またです   



る い
   すきだね   



あなた
   すきです   




即答すると、



る い
   知ってる   




なんて返される 。





私は少しだけ目を瞬いた 。







その言葉の意味を考える前に、
購入ボタンを押す 。









ガコン、と飲み物が落ちてくる音が響いた 。








私はしゃがんで取り出そうとする 。







その瞬間だった 。




あなた






ほとんど同じタイミングで、るいくんも
手を伸ばしていた 。







指先が触れる 。









本当に一瞬だった 。




触れたかどうかも分からないくらい短い時間 。








なのに、なぜか妙に意識してしまう 。












私が慌てて手を引くより先に、
るいくんの方が少しだけ驚いた顔をしていた 。










そして、



る い
   ごめん   



と小さく言う 。





あなた
   ……いえっ   





私も慌てて首を振った 。










別に変なことじゃない 。






ただタイミングが重なっただけ 。










それだけなのになぜだろう 。







少しだけ空気が静かになる 。











さっきまで普通に話していたはずなのに 。






お互い何となく次の言葉を探しているみたい
だった 。







数秒後 。




るいくんが自販機にもたれながら口を開く 。





る い
   ……砂糖入りなんだ   





ぽつりとした声だった 。






私はペットボトルを握りながら頷く 。





あなた
   砂糖入り選んじゃいます、笑   



る い
   へぇ覚えとこ   





その声はあまりにも自然だった 。







まるで、







好きな色を覚えるみたいに 。



好きな食べ物を覚えるみたいに 。




当たり前のことのように 。









私は少しだけ目を瞬かせる 。










『 覚えとこ 』






たったそれだけの言葉 。





でも、なぜか心に残った 。


















やがて休憩終了の声が聞こえる 。






私たちはスタジオへ戻ることになった 。







るいくんが先に歩き出す 。






私は少し後ろからその背中を追いかけた 。











廊下には撮影スタッフさんたちが行き交って
いる 。







いつもと変わらない景色だった 。













その時 。







少し前を歩いていたるいくんが振り返る 。






る い
   あなた   




呼ばれて、私は反射的に顔を上げた 。











……って、え?








一瞬、何を言われたのか分からなかった 。








足まで止まる 。











今、確かに、





「 あなた 」って 。







「 あなたちゃん 」じゃなくて?











私は呆然と立ち尽くす 。






でも、るいくん本人は全く気づいていない
らしい 。





る い
   早く行かないと怒られるよ   





まるで何事もなかったみたいに 。







そしてそのまま歩いて行ってしまった 。









私はしばらくその場から動けなかった 。








聞き間違いだったのかな 。







そう思う 。







でも何度思い返しても、


何度頭の中で再生しても 。









確かに聞こえた気がした。




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