咲哉と呼ばれる男が、手の甲をスマホの画面に沿わせる。
ピッという音がすると、スマホから星に羽が生えた変な生き物が飛び出してきた。
「うわあっ!」
『——遼さん、安心してください。私は怪しい者ではありません。
初めまして。私はウィチュ。時間位相干渉型量子跳躍実験体補佐AIです』
聞いたことのない言葉が次々と並び、頭が混乱する。
時間いそうかんしょう......あとは何と言っているのかわからなかった。
『——現在あなたの前に存在している咲哉個体は、西暦2034年を基準時とする未来起点存在です。
本案件は時間遡行型救済実験に該当します』
「......どういうこと」
『——未来の咲哉さんは、あなたを守るために来ました』
ウィチュは満足そうな顔でそう言った。
「......なんで守んの」
『——2027年8月4日、あなたの人生に重大な転換点が発生します』
「......なにそれ」
『——詳細情報は開示制限対象です』
「はあ?」
ウィチュは淡々と述べていくが、遼の脳内はまったく追いつかない。
こいつは遼を守りに来て、しかも遼の誕生日に何か起きるってこと?
どういうこと。何を言ってるんだ。
『——当該事象の影響により、あなたは精神的外傷を負う可能性が高いと予測されています』
「やから何が起こるんって」
遼の体の周りをふわふわと飛ぶウィチュがうざったらしくて、捕まえようとすると、ウィチュはピューッと咲哉さんの方へ逃げていった。
「来年の8月4日」
今までずっと黙っていた咲哉さんが、ようやく口を開く。
「その日、遼は傷つく」
「......だからなんで」
「それは......今は言えない」
俯く咲哉さんに、苛立ちが滲む。
「......おま、守るって言っといてなんやねん」
「守りたいやつに、内容も言えへんのかよ」
声を荒げると、咲哉さんは俺の目を見つめた。
「言ったら、今の遼まで苦しくなる」
俺、そんなことできない。
先程とは違って、彼の目から圧が伝わってくる。
見つめ合っているのが嫌で、今度は遼が目を逸らした。
その沈黙を破るように、ウィチュが再び喋り出す。
『——そして、未来の咲哉さんの滞在可能期間は限定されています』
ウィチュが遼の肩に乗った。
『——現在の時間軸において、同一人物が同時に観測されることは整合性矛盾を引き起こします』
「はあ、何言ってんの」
肩に乗るウィチュを睨みながら人差し指でつつくと、ウィチュは目を渦巻きにしてよろけた。
「違う世界線の俺が、同時に遼の中に存在することはできないから」
「......は?」
二度説明されても、まだ意味がわからない。
ウィチュが遼の肩から離れ、目の前に時系列の図をスクリーンで映し出す。
『——説明します。同一時間軸において、同一遺伝情報・同一意識系列を持つ存在が二重に観測されると、対象者——この場合、遼さんの人生履歴に整合性矛盾が発生します』
「......もっと簡単に言ってくれない?」
『——つまり、遼さんの人生に咲哉さんが二人いると、時間系列が壊れてしまいます』
「...壊れるって」
『——時間修復機構が作動し、どちらかを強制排除します』
“強制排除”。
その言葉に息を呑む。
こんな理屈っぽくて残酷な話、初めてだ。
「......それが帰還ってこと?」
「そう」
咲哉さんは苦笑した。
「遼が本来の俺に出会った瞬間、未来の俺は弾かれる」
「...もっと簡単に言うと、今、遼と出会っているのは未来の俺だけ。
でもそのうち、本来の時間軸で18歳の俺と遼が出会う。その時に未来の俺は元の時間軸に戻ってしまう」
もっともらしい理由に、少し心が動かされる。
もし本当だとするなら、目の前にいる咲哉さんは2034年から来たということ......?
「それ、いつなの」
未来から来た遼の自称彼氏だなんて、絶対に信じない。
そう思っていたはずなのに、今は淡い期待を抱いている。
未来の彼氏が会いに来るなんて、遼、すごいことを成し遂げたんじゃない?
遼がそう尋ねると、咲哉さんは目を泳がせた。
「......わからない」
「え?」
「俺、遼と出会った日のことは覚えてる」
「どっちやねん」
「状況は覚えてる。でも正確な日にちは覚えてない」
申し訳なさそうな顔をする咲哉さんを見て、遼はため息をつく。
やっぱり未来から来ただなんて、SFすぎる。
少しでも信じた遼が悪かった。
呆れた顔で「まあ、そうだよね」と言うと、咲哉さんは笑った。
「だって普通、8年前の出会った日なんか覚えてるわけないじゃん!」
何も面白くないんだけど。
顔をしかめると、それに気づいたのか咲哉さんは黙り込んだ。
『——咲哉さんの記憶保持は平均水準です。咲哉さん、安心してください』
「......うるさい」
『——失礼しました』
「じゃあお前、いつ消えるかわかんないってこと?」
「うん」
「ある日突然?」
「......遼が現在の俺と出会った瞬間」
「ふーん......それなら、来年の8月4日を越えたあと、俺はお前と出会って、未来のお前は消えるんだよね」
「......多分」
「多分?」
「夏だったのは覚えてるけど、それが来年だったのか、再来年だったのかは覚えてない」
「いつまでおんねん......」
「ごめん」
遼は思わず頭を抱える。
曖昧すぎるやろ......
「でも、これだけは言えるよ」
咲哉さんの声が静かな路上に響く。
「来年の8月4日を無事に越えられたら、遼が苦しんでいた未来は変わる」
なんだよ。
無事に越えられたらって。
本当に未来の遼が苦しんでるみたいじゃん。
「......遼に何しろって」
咲哉さんは少し近づき、遼の手を取った。
「ちょ、やめてや」
「一緒にいてほしい」
「......は?」
「今の俺と遼が出会う日まで」
「いつ来るかわからんその日まで?」
「うん」
苦しんでいる内容も教えてもらえないのに。
信じられないし怖い。
それでも、咲哉さんが嘘をついているとは思えなかった。
「......変なことしないなら、考える」
「.........うん」
「なんで即答しいひんねん」
『——遼さん、咲哉さんにも色々悩みがあるんです』
「黙れ」
「......そんで、どうすんの。泊まるとこあんの?」
「...ない。だから、遼の家で暮らそうと思って」
咲哉さんはエントランス前に置いてある大きなキャリーケースを指差した。
「......泊まる気満々じゃん」
「もちろんお金は払うよ」
「いくら」
「ここの家賃がいくらなのか知らないけど、三分の二は必ず払うよ」
食費も水道光熱費も、と付け加える咲哉さん。
うちの家賃は15万。実家が裕福なこともあり、家賃は全額、生活費は三分の一を払ってもらっている。
そう考えると、遼が払う金額は2万円になる。
「......いいじゃん」
そう呟くと、咲哉さんは誇らしげに言った。
「俺、大人だから」
「......」
未来の遼は、咲哉さんのどこが良くて付き合ったんだろう。
咲哉さんを連れてエレベーターに乗り、自分の家に入る。
遼はサンダルを、咲哉さんは靴を脱いで靴箱に並べる。
「キャリーケースどうしたらいい?」
「......ああ、その辺に置いといて大丈夫だよ」
「わかった」
そう言って持ち上げようとするが、重くてうまく持ち上がらない。
遼も手伝い、二人でリビングの奥に運ぶと、ようやく一息ついた。
「......なんか食べる?」
コンビニの袋を見せると、咲哉さんは何か思い出したようにキャリーケースを開け、中から食べ物を取り出した。
「なんでそんなの持ってんの」
「......いや、遼と会えなかったら一人だし」
食べ物に困ったら嫌だから、と咲哉さんは言う。
その中から一つを取り出し、遼に見せた。
「食べてみる?」













編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!