いや、なんで寝ちゃったんだろ。せっかく悠馬くんと一緒にいたのに...。なんて大学で考える。今日はバイトがあるし、会ったらちゃんとお礼を言おう。
「大飛!飲み行かね?!」
「今日は無理。」
「女?」
「本。」
「だる。」
不機嫌そうな彪雅。一応同じ大学。馬鹿なのに何故か入学出来ている奴。煩くて面白い昔からの幼なじみ。
「最近多くね?そんな美人いんの?」
「うん、いや、うん。」
「どっちだよ 笑。」
悠馬くん顔整ってるよな、なんて思い回答に困る。彪雅が言ってるのは女優みたいな美女の事だろうし。
「いや、凄い気が合う人がいんのよ。」
「へぇ、それで...?」
「ちょー優しくてちょー可愛いんだよね。男だけどね。めっちゃ大人でさ。」
「なに、惚れてんの?」
「馬鹿か。」
「お前がそんな人のこと褒めんの珍しーだろ?」
言われてみればたしかに。俺が彪雅に人のことを言うなんて好きな人が出来た、彼女がどーとか、だったような気がする。
「図書館司書の人でさ、会話の波長が合うから楽しいんだよね。それでバイトも決めたし。」
「なるほどな。」
ニヤニヤと俺を見つめる彪雅。
「なに?」
「お前惚れてんだろ。タイプにピッタリやん。」
「は?」
いやたしかに、話せる人がタイプだし、年上の人の方が好きになりがちだけど。悠馬くんだし、尊敬してるし...。
「認めなくてもいいけどそういう目で見てみれば?」
「俺そんなんじゃないから!!!」
悠馬くんのこと好きとか有り得ないでしょ。好きだけどそういう対象じゃない、はずだし。
「まぁ頑張れよ。」
本当に彪雅って勝手な奴。有難いこともあるけど、今日のは余計、かな。
惚れてる、か。腑に落ちるような、ムカつくような...。そもそも惚れてるとか好きとかってなんなんだろ。
《好きは人を動かす》とかって悠馬くんは言っていたけどその好きは恋愛感情も含まれるのだろうか。
____もしかしてこの疑問って凄く無駄なんじゃないか。分からないから世の中の人は頭を抱えて自分の好きを見つけてるんだよな。俺の思う好きを悠馬くんに当てはめる。
もっと悩もう。俺の人生で俺の感情なんだから。ごめんよ彪雅、余計なんて思っちゃって。
「お、大飛くん良いところに。」
「なんですか?」
「ポップ書いてくれません?」
悠馬くんの話によると、若者向けに恋愛小説のコーナーを作るらしい。1冊1冊に簡単なポップを作って置いておくとか。
「作品は恋愛小説であれば何でもいいので...。」
「分かりました。」
とはいえ最近の恋愛小説って何となく抵抗がある。男が、とか良くないんだろうけど。図書館にあった《太宰治全集》を借りて家に帰った。
《太宰治全集》には、《晩年》という15篇からなる第一創作集や、太宰の内面の擬人化と言われる《ダス・ゲマイネ》などの作品が載っている。
太宰治らしい言葉で綴られた作品たちは芸術作品のような美しさを感じる。漢字と平仮名の割合てわえでさえ計算されたような美しさだ。
俺がまず読んだのは《雌に就いて》だ。
《雌に就いて》は二人の男が「自分の嫁にするならこんな女がいい」という事を論じあう形式で、殆どが会話文で構成されている。こんな女こんな女と話が進んでいくうちに、ああしてこうしてと妄想が膨らんでいくという何とも剽軽な筋書きだが、最後に太宰的なオチが待っている_____。
この作品で有名な言葉、《愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。》は今の世代に刺さるんじゃないかと思う。実際俺に深く刺さった。本当の恋愛には命がいくつあっても足りないのではないか。
生きる時代の違う太宰の言葉。自分は生ぬるい恋愛ごっこをしていたんじゃないかと思う。性の対象としての相手を恋愛と呼ぶこの世の中を風刺するように感じる。それに恋愛に怖気付かずいろという、背中を押す言葉のようにも感じた。
でも、__________
__________命をかける本物の恋愛。そんな愛を受け止めてくれる人は居るのだろうか。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!