あなたが指さしたのは、岩本照だった。
岩本は迷わず前に出る。
他の八人は、黙って見ている。
あなたは奈落の奥へ歩き出す。
岩本だけが、その後ろを追った。
しばらく進むと、空気が変わる。
重い。濃い。息が詰まる。
佐久間がいた場所より、さらに奥。
魔物の気配が、濃密に漂っている。
あなたが立ち止まる。
岩陰から、巨大な影がこちらを見ている。
奈落の魔物。
しかも、主級。
岩本が剣を握る。
あなたが、静かに言う。
岩本の手が止まる
あなたは、魔物に向かってゆっくり歩いていく。
敵意も、殺気も、何もない。
魔物が唸る。
だが、襲わない。
あなたは魔物の目の前まで行き、振り返った。
岩本の呼吸が荒い。
魔物の圧に、体が震える。
あなたが魔物に触れる。
巨大な牙のすぐ横。
それでも、何も起きない。
岩本の目が見開く
岩本は頷く
静かな声で、でもはっきりと
言葉が、胸に刺さる。
あなたが手招きする。
岩本は、一歩踏み出す。
足が重い。
それでも進む。
魔物の目の前に立つ。
喉が焼ける。心臓がうるさい。
あなたが言う。
岩本は、剣から手を離した。
魔物が、じっと見ている。
長い時間が流れる。
やがて。
魔物が、視線を外した。
興味を失ったように、岩陰へ戻っていく。
岩本は、息を吐いた。
全身の力が抜ける。
あなたが微笑む。
岩本は、理解する。
今までの“前に立つ”は、間違いだった。
奈落で前に立つとは。
何もしないで、そこにいること。
あなたは、ふいに岩本の裾をクイッと引っ張った
岩本は、あなたと目線を合わせる
岩本は驚きのあまり声を失った
誰にも話したことない、自分ですら知らなかった能力
岩本は、久方ぶりに涙腺が緩んだ












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!