第16話

黒猫は泣かない
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2025/11/29 13:58 更新
 『純愛』を書きました。少なくとも、プロットの時点では(目逸らし)。
 同性愛描写があるので、苦手な方は注意してください。

 下書きの下書きみたいな感じです。雰囲気だけ楽しんでくださいな。
 ナポリの夜は、甘く焦げた香りがする。昼に焼けた石畳がまだ熱を孕み、海風はスパイスのように塩を運んできた。
 その波打つ匂いの中を、ひとつの黒い影が歩いていた。

 彼女の名はノワール。
 黒髪を海風に靡かせ、深い青の瞳だけが夜の灯台のように明滅していた。
 黒のホルターネックドレスが、闇そのもののように身体のラインを拾い、彼女を人ならぬシルエットに見せる。

 手には、ピストル。
 歩む先は、防波堤の先端。

 「……ヴィオラ」

 掠れた声で名前を呼ぶだけで、ノワールの胸の奥はひりつく。
 ヴィオラーー彼女の光は、思い出せば思い出すほど眩しくて、痛くて、残酷なほどに美しいものだから。

 ヴィオラ・“ヴァイオレット”・ベガ。
 白いベリーショートに、はちみつ色の瞳。褐色の肌は夜に浮かび上がるようで、笑えば世界が少しだけ明るくなる。そんな女だった。

 いつも無表情で、黒ばかりを身に纏うノワールとは対照的だった。
 笑い声が太陽のようで、どんな危険な仕事にも軽やかに飛び込んでいく快活さ。

 彼女はフリーランスの殺し屋でありながら、どこか無垢な少女のように生きていた。

 「ねぇノワール。アンタ、また怒ってる?」
 「怒ってない」
 「じゃあ機嫌悪いの?」
 「違うわ。こう言う顔なだけ」
 「便利な言葉だねぇ」

 笑いながらヴィオラはノワールの顎を掴み、軽く唇に触れた。

 「好きよ、ノワール。……あんたは?」
 「……」
 「あぁもう。言わないんだから。ほんと頑固ね」

 『好き?』
 ノワールは、何度それを訊かれても、何も言えなかった。
 そのたびにヴィオラは呆れたように笑ったけれど、たぶん彼女は気づいてはいた。
 ノワールが、ヴィオラ同様、心の底から彼女を愛していることに。

 言葉にしないのは、不器用な彼女なりの、この世界でのケジメの付け方なのだと。

 だからこそ――
 一週間前、ヴィオラが殺されたその知らせは、ノワールの鉄のような心を崩壊させるのには、十分すぎた。

 世界から光が消えた。
 残りは黒だけ。
 彼女の、ノワールという偽名の通りに。

 防波堤の上。
 ノワールが銃口を自分へ向けた、その時だった。

 「――随分と物騒なアクセサリーを持ってるじゃないか、ガッティーナ」

 軽快な声が、海風に乗って降ってきた。

 振り向くと、月光に照らされた金色が揺れた。
 オールバックに撫でつけた金髪。深い緑の瞳。
 ライトグレーの高級スーツ。ジャケットは気怠げに肩にかけられている。
 ハンサムな顔立ちは、まるで舞台に登場した俳優のようだった。

 男は口角を不敵に上げ、視線をノワールの手元の銃へと滑らせる。

 「こんな美人が、こんな夜に、防波堤で……。クッ、ねぇ、美人さん。今から死ぬつもりかい?」

 ノワールはただ冷たく言った。

 「あなたに関係ない」

 「いやぁ、あるよ。だってさ――有名じゃないか。
  “殺し屋カップル”。
  白い太陽と黒い月の組み合わせ。僕も噂を耳にしたことが何度か」

 男はわざとらしく肩をすくめた。

 「君が“ノワール”で、恋人が“ヴィオラ・ベガ”。……合ってる?」

 ノワールの指が引き金にわずかに触れた。

 男は片手をひらひらと振った。

 「あぁー、撃たないでね。僕はただの観客。……いや、ちょっと興味があるくらい?」
 「帰って」
 「帰る気はないなぁ」

 海がざぶ、と大きく揺れた。

 「それにしても……本当に死ぬ気だったんだ?」
 「……」
 「ヴィオラのために?」

 その名を呼ばれただけで、身体が震えた。
 男の緑の瞳が、深く覗き込んでくる。

 「君の“太陽”が死んだんだ。夜を独りで歩くのは、たしかに寒いよね」

 ノワールは歯を食いしばった。

 「……何が言いたいの」

 「そうだね。簡単に言おうか」
 男は片手を胸へ当て、オーバーに言った。
 「“犯人”を教えてあげようか?」

 海風が止まったように感じた。

 「……何、ですって?」
 「ヴィオラを殺した奴。知りたくない?」
 「――ッ」

 ノワールは銃口を男へ向けた。だが男は笑ったまま、微動だにしない。

 「クク……。ねぇ、やっぱり死ぬより復讐のほうが似合ってるよ?君はさ」

 「言え。誰が彼女を殺した!」
 「うーん、言ってもいいけど」
 「……」
 「条件がある」

 男はノアールの瞳を覗き込みながら、楽しげに言った。

 「僕のパートナーになってほしい」
 「………………は?」
 「簡単でしょ?」

 「ふざけてるの?」
 「ふざけてないよ。むしろ真剣。こんな美しい黒猫ちゃんをさ、放っておく手はないって話」

 ノワールの青い瞳に怒りが宿る。

 「どういうつもり? 何に利用するつもりなのよ」
 「それを聞くのは野暮だよ。 それにさ、お互い様だろ? 君は復讐に僕を使う。僕は君を仕事に使う。
  それでいいじゃない」

 「……断る理由なら、いくらでもあるわよ」
 「死ぬつもりだった人間が言うセリフじゃないなぁ」

 痛いところを突かれ、ノワールの指が震える。
 男は構わず近づき、銃口へ自ら額を寄せた。

 「引き金、引いてもいいよ。僕は撃たれても文句言わない」
 「……」
 「でも、僕が調べた限り、君はとても賢く愛情深い黒猫ちゃんだ」

 男の緑の瞳が、青の瞳を捕えた。

 「銃を捨てるな。使うんだ。僕と、一緒に。……悪い話じゃ、ないと思うけど?」

 ノワールの胸の奥で、何かが軋んだ。
 死を選ぶつもりで来た夜が、いつの間にか違う方向へ曲がっている。

 男は微笑んだ。

 「どうする? ノワール。
  海に落ちて終わる? それとも僕の車に乗る?」

 しばらくの沈黙の後、ノワールは、銃口を下げた。

 男が嬉しそうに片眉を上げる。

 「選んだ?」
 「…とりあえず、乗るわ。その話」
 「いいね。その答え、好きだよ」

 ノワールはにへらと笑うと、胸ポケットから名刺を取り出す。

 「では、今宵より僕らは契約関係だ。僕の名前はレオナルド・リオ・ファルコーネ。よろしく、ガッティーナ」

 「…ファルコーネって、マフィアの? レオナルドってまさか、アナタ首領?」

 戸惑いながら目を見開くノワールに、リオは人差し指と親指をつけて丸の形を作る。

「察しがいい子猫ちゃんだ。その通り、ファルコーネ・ファミリーの現首領はこの僕だ。 まぁ、君は気にしなくていい。気軽にリオと呼んでくれてもいいよ」

 「お断りするわ」

 ノワールは冷たく言い放つと、彼から名刺を受け取った。

 「まぁ、子猫はつれない方が可愛らしいか……」

 彼のの言葉を無視して、ノワールは防波堤から離れ、レオナルドの黒塗りの車へと向かった。
 防波堤に向かっていた時とは違う、コツコツとしたリズムの良い歩みで。

 「ノワール」
 背後からレオナルドが声をかける。
 「中立派だった君は今宵より、最も闇の世界へと足を踏み入れる。歓迎するよ。ようこそ、宵闇が似合う黒猫ちゃん」

 ノワールは振り返らずに返した。

 「そのふざけた名前で呼ばないでちょうだい。私を愛称で呼んでいいのは、彼女だけ」

「わぉ、手厳しい」

 2人は軽口を叩きながら、車に乗り込んだ。

 海が、大きく波を立てた。
 黒い夜が、二人を飲み込んでいった。

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