逃げるみたいに踵を返した。
「ウィジュ!」
後ろから呼ばれる。
その声が苦しくて、振り返れなかった。
走る。
とにかく離れたかった。
胸が痛い。
息が苦しい。
さっきの言葉が、頭の中で何度も響いている。
『好きな相手にこういうことされるの普通にしんどい。』
言ってしまった。
もう、戻れないかもしれない。
友達にも。
前みたいな関係にも。
そう思った瞬間、涙が滲む。
「……っ」
最悪だ。
なんで泣きそうになってるんだ。
でも止まらない。
好きになりすぎた。
だから苦しかったのに。
階段を駆け下りて、校舎を出る。
風が冷たい。
でも頭の中はぐちゃぐちゃだった。
逃げたい。
でも、離れたくない。
矛盾した感情ばかりで息がうまくできない。
その時、
「っ……」
足がもつれる。
疲れていたせいか、上手く踏ん張れなかった。
ウィジュはそのまま、校舎裏の壁際で立ち止まる。
「は、……っ」
呼吸が乱れる。
苦しい。
涙を拭おうとしてもうまく手に力が入らなかった。
「ウィジュ……!」
後ろから、切羽詰まった声が落ちる。
次の瞬間、ぐっと腕を引かれた。
「……っ」
そのまま強く抱きしめられる。
息が止まる。
背中へ回る腕に力が入っている。
逃がさないみたいに。
「ニコ……っ」
「やだ」
低い声。
掠れている。
ウィジュは反射的に腕を押した。
「離して……っ」
でもニコラスは離れない。
むしろ、さらに強く抱き寄せてくる。
「やだ」
もう一度、小さく落ちた声。
「嫌」
その声が思ったより必死で、ウィジュは息を詰めた。
「ニコ、離し……」
「離したくない」
被せるみたいに言われる。
腕の力が強い。
力で押さえ込まれてるみたいで、心臓が苦しくなる。
でも、嫌じゃなかった。
それが余計苦しい。
「俺、距離置きたくない」
耳のすぐ近くで低い声が震える。
「ウィジュと離れたくないよ」
その言葉に、胸の奥が大きく揺れる。
ニコラスはそのままウィジュの肩を掴んだ。
「……っ」
ぐいっと身体の向きを変えられる。
ニコラスの視線がウィジュの顔で止まった。
涙。
それを見た瞬間、ニコラスが小さく息を止める。
「……っ」
掴まれていた肩に、少し力が入る。
ウィジュは反射的に顔を逸らそうとした。
でもその前にふっと距離が詰まる。
「ん……っ」
唇が重なった。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ただ温かい。
近い。
頭が真っ白になる。
ニコラスの手が、頬を包むみたいに触れている。
短いキスだった。
でも、心臓が壊れそうなくらい苦しい。
離れたあとも距離が近い。
お互い呼吸が乱れている。
ウィジュは呆然としたまま、ニコラスを見た。
ニコラス自身も、少し驚いたみたいな顔をしていた。
まるで、自分でも衝動を止められなかったみたいに。
でも次の瞬間、苦しそうに眉を寄せてまたウィジュを抱きしめる。
「……泣かないで」
低い声。
掠れている。
その声が優しすぎて、余計涙が出そうになる。
「ごめん」
ニコラスが小さく息を吐く。
腕にまた力が入る。
「俺、ウィジュにこんな顔させたくない」
胸が大きく揺れる。
「離れるとか、ほんと嫌」
掠れた声。
「戻れなくなるなら、戻れなくていい」
その言葉に心臓が大きく跳ねる。
ニコラスが、また少しだけ額を寄せる。
近い。
呼吸が混ざりそうなくらい。
「俺も」
低い声。
「ウィジュのこと好きだよ」
胸の奥で何かが一気に溢れた気がした。
「……っ」
言葉が出ない。
頭が真っ白になる。
好き。
ニコラスがちゃんとそう言った。
さっきまで苦しくて、逃げたくて、どうしようもなかったのに。
今は逆に、心臓がうるさすぎて苦しい。
ウィジュは涙で滲む視界のまま、呆然とニコラスを見る。
ニコラスも少し呼吸が乱れている。
でも視線だけは、真っ直ぐだった。
逃がさないみたいに。
「……ほんと?」
やっと出た声は、情けないくらい小さかった。
掠れて、震えている。
でもニコラスはすぐ頷いた。
「ほんと」
迷いのない声。
その瞬間、また涙が滲む。
「……っ」
慌てて俯こうとした。
でもニコラスが少し困ったみたいに笑う。
「また泣く」
優しい声。
親指が頬へ触れた。
涙を拭うみたいに、そっと。
その触れ方が優しすぎて余計泣きそうになる。
「ニコのせい……」
掠れた声でそう言うと、ニコラスが小さく息を漏らした。
そのまままたウィジュを抱きしめる。
今度はさっきみたいに強引じゃない。
でも離したくないって伝わる抱きしめ方だった。
「好きだよ」
耳の近くで、もう一度低い声が落ちて胸の奥へじわっと広がる。
苦しかったものが、少しずつ溶けていくみたいだった。
ウィジュはぎゅっと目を閉じる。
嬉しい。
信じられない。
でも、夢じゃない。
ニコラスの体温が、ちゃんと近くにある。
ウィジュは少しだけ震える手で、そっとニコラスの服を掴んだ。
そのまま、弱く抱きしめ返す。
するとニコラスの腕に少しだけ力が入った。
「……ニコ」
「うん」
「好き」
小さな声。
でもちゃんと届く距離だった。
「俺も、ニコのこと好き」
言った瞬間、また涙が滲みそうになる。
でも今度は苦しい涙じゃなかった。
ニコラスが小さく息を飲む。
そのあと、何も言わずにウィジュを抱き寄せた。
さっきまでみたいな必死に繋ぎ止める抱きしめ方じゃない。
でも、離したくないって分かる。
ウィジュはその胸へ顔を埋めながら、ぎゅっとニコラスの服を掴んだ。
夜風は冷たいのに、ニコラスの腕の中だけ妙に温かかった。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!