巳坂奈ツ基にとって、非番は休むためのものではない。「非番くらいはゆっくり過ごせばいいのに」とおせっかいな同僚にいくら言われようが、「鍛錬するだけが強くなることではない」と陰口を叩かれようが知ったことではなかった。剣術から目を逸らさない。ひたすらに研鑽を積むことでしか、生き残ることはできないことをナツキは知っていた。
当然、この日の非番も朝から神奈備本部の訓練場で鍛錬に打ち込んでいた。黙々とメニューをこなしていたら、気づけば正午を過ぎている。ノンストップで自分を追い込み続けるのは、疲れよりも剣術が鋭く研ぎ澄まされ、身体に馴染んでいく感覚してむしろ心地良かった。このままさらに追い込みたいと思いつつ、朝から何も食べていなかったと思い至ったナツキは食事を調達しようと街に繰り出した。
「あー、そういやァ、きょうだったか」
近場で適当に済ませようと神奈備本部から程近い繁華街に向かう道すがら、きょうは欲しいと思っていた洋楽CDの国内発売日だったことに気づいた。食事の前に買いに行こう。ナツキは先によく行くCDショップに向かうことにした。
ナツキの知る限り、品揃えが1番いいCDショップは繁華街のメインストリートから数本奥に入った裏通りにある。小さな店だが、邦楽も洋楽もメジャーどころはもちろん、インディーズまで豊富に揃っている。チェーン店ではないので、店主なのかスタッフなのかわからないが、とにかく音楽の趣味がいいバイヤーがいることは間違いない。ここ最近ハマっている赤多木ミツヒデの「殺す‼︎」に出会ったのもこのショップだった。
バンドのフライヤーが所狭しと貼られたガラス扉を開けて入店すると「しゃーせー」とやる気のない声で歓迎された。ナツキがこのCDショップに来るのは不定期だが、いつ来てもこの声に迎えられる。ダウナーな雰囲気の中性的な顔立ちの女性店員で、営業スマイルなんてもってのほかといった感じだが、Tシャツや身に付けたアクセサリーの数々を「イカしている」とナツキは常々思っていた。話したことはほとんどなく、性格面のことはもちろん名前さえ知らない。が、見た目だけでいえば、好みドンピシャなのである。
何やらレジでPC作業をしている女定員を横目に見つつ、目当てのCDを探す。洋楽コーナーに辿り着くと、目立つところに置いてあった。迷わず未発表曲のライブ映像付き初回限定盤を取る。
会計に向かう前に、試聴コーナーに寄る。大手のチェーン店の試聴コーナーは注目の新譜ばかりだが、この店は店独自で推しているバンドを何らかのテーマで特集していることが多い。前に来てから1ヶ月ほど経っていたこともあり、見たことないものばかりだ。しかも特集テーマは「激アツインディーズ!今月店舗付近でLiveアリ!」と書かれている。
「ライブか。最近行ってねぇな」
ナツキはひとりごちるとヘッドフォンを着け、1枚目のCDから順番に再生していく。気が早い性格もあり、試聴で1曲聴くことはまずない。イントロを10秒程流して、好みかどうか判断するのかナツキの癖だった。あー、これはない。次。これはベースライン好み、ボーカルが思ってたのと違う。次。……違う。次。結構好きだけど二番煎じ感。次。最後か。今回はなんか微妙だな……あー、これは。
「買い、だな」
あまり期待しないで流し始めた最後の1枚。女性ボーカルの力強い歌い出しに一気に引き込まれた。ここで最後まで聴いてもいいが、自前のスピーカーで大音量で聴きたいと思った。早く聴きたい。この声に溺れたい。そしたらもう引き返せないような感覚に身震いしながらCDを手に取りレジに向かった。去り際、レジにてチケット販売中の控えな文字をナツキは見逃さなかった。
レジでは店員が無表情にPC作業を続けていた。ナツキがCDをカウンターに置くと「お預かりします」と言ってバーコードを読み込み始める。
「このバンドのライブのチケット、残ってたら1枚」
「え、まじ?」
「あ“?」
これまで1度も視線をかわしたことのなかった店員がいきなり顔を上げた。無表情寄りだが、少し驚きが現れている。いつもやる気のなさそうな目の瞳孔がわずかに大きくなっていた。
「おにーさんのおメガネに叶うとは、あなたの名字大歓喜」
「……はぁ?」
店員はナツキの目を見つめたままニヤッと笑った。なにがなんだかわからないナツキは呆気にとられていた。
「このCD、あなたの名字のバンド」
「え、マジか」
「マジもマジよ。あなたの名字が歌ってんの。おにーさん、いっつもコワイ顔で店くるけど音楽の趣味いいなーって思ってたんよ。光栄の極みですネ」
曲がりなりにも客であるナツキに対して店員はフランクに話しかけてくる。もう随分と前からこの店に不定期に通っているナツキだったが、この店員がこんなに話しているところは見たことがなかった。そして、名前はあなたの名字ということも初めて知った。
「CD買ってくれてさらにチケットも買ってくれるとは。ありがとな、おにーさん。てか、ライブきょうですけど、だいじょーぶそう?」
「これ、視聴コーナーにあったろ。1曲目良かったから他も気になっただけだ。つーかそれよりライブ、きょうなのかよ」
もっと言えば、あなたの名字の歌が良かったからというのが大きいが、それを伝えるのは癪でナツキは歌には触れなかった。そして数週間後かと思っていたライブはきょうだと知り、思わず突っ込んだ。
「うん、きょう。てか、非番ってなんの非番です?顔に傷だしいつ見ても帯刀してるし実はヤのつく人だったり?」
「あ”?んなわけねーだろうが。っていうか、あんたこそここの社員だと思ってたぜ。バンドしてたんだな」
「うむ」
「つーか今夜がライブでこの時間に普通に仕事してんだな。リハとかねーの?」
「14時までシフトなので、終わったらリハ行きますよー。きょうの箱、すぐそこなんで」
「なるほどな」
「ね、ライブ、来てくれます?」
あなたの名字はカウンターに肘をつき、身を乗り出してナツキに問いかける。来てくれるのかと伺いを立てているが、その瞳はナツキがライブに来ることを確信しているようだった。
「行く」
ナツキが短く答えるとあなたの名字は2枚のCDとチケットを手渡し、さらに顔を耳元に近づけた。
「あなたの名字のこと、ちゃんと見ててね」
「あぁ、ちゃんと見るしちゃんと聴く」
「おぉー!じゃあまた夜に。まいどありです」
あなたの名字はナツキにCDの入った袋とライブのチケットを手渡した。楽しみにしてる、聞こえるか怪しい小さなナツキの声はしっかりと届いたようで「最高の夜にするよ」ときょう1番の大きな声がナツキ以外の客のいない店内に響いた。
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率直にいう。最高のライブだった。
目が離せなかったし、ラストソングの頃にはもうファンだった。視聴コーナーで聴いた曲は1曲目にやった。もともとそういうセットリストを組んでいたのか、ひょっとするとナツキが来るから急きょ入れたのかのか。実際のところはわからないが生音で聴く「ハマった曲」はより一層深くナツキを魅了した。あなたの名字の歌は当然いい。だが、それだけじゃなくバンドサウンドも良かった。
「最高の夜にする」と言ったあなたの名字は、25分という決して長くはない持ち時間でまさしくそういう夜になるパフォーマンスを披露した。まだインディーズの名も知られていないバンドだが、きっと近いうちに大舞台に立つようになる。そんな確信すら感じた。
もう、このバンドのファンになったと言っていい。また行きたい。もっと聴きたい。そう思っていた。そして、もう1つ重大な問題がナツキには起きていた。たぶん。おそらく。まさかとは思うが。この感覚は。認めたくない胸のざわめきはライブが終わってなお、続いていた。
最後の1曲を歌う前。あなたの名字は確実にナツキを指差して言った。言ったといっても、音にはなっていなかったが。「××××」。ナツキにはしっかりとあなたの名字の声で再生されていた。そして、そのたった一言でナツキはどうしようもなく惹かれてしまったのだ。もはや悔しさすら感じる。
「あー、まじかよ。クソ、うそだろ」
最後のバンドを聴く気になれなかったナツキはあなたの名字が捌けるなりフロアを出た。ドリンクチケットをビールと交換し、ドリンクカウンター脇のハイテーブルに陣取り頭を抱えていた。
女と付き合ったことは当然ある。結構ある。だが、恋愛していたかというと話が別だった。これまで誰かを好きになるという経験をしたことはなかった。恋愛とか駆け引きとかそういうものをナツキは暇なヤツがするものだと思っていた。色恋沙汰に時間を割くくらいなら剣の腕を磨きたかった。ナツキがアプローチをしなくても相手に困らない程度にはモテてきたのだが、今回は話が違った。話したこともないうちから、ナツキ自身が好みドンピシャと思っていた。
ライブ前、ナツキはCDショップを出た後、飲食店には寄らずにコンビニで適当に食事を買って急ぎ足で神奈備本部に戻った。普段ならすぐに訓練場で刀を振り始めるが、この日ばかりは自室で買ったばかりのCDを聴いた。あの無愛想で、やる気がなくて、客に対してフランクに接するあの店員がこれほど挑発的に叫び、儚げな吐息を漏らし、切ない声で歌うのか。驚くとともに興味を引かれていた。
そして、ライブ。
すでにあなたの名字に堕ちる土台は出来上がっていたわけで。当然のようにもう好きだった。
「あー!ったく、ざけんなよ」
「なにが?」
「うわっ」
ひとりごとに対して反応があったことに驚いてナツキは顔を上げた。目の前には今まさに頭を悩ませる原因となっている人物が立っていた。気配にすら気がつかなかったなんてと腹が立つ。自分に対して小さく舌打ちしつつ、顔には出さないように取り繕って「おつかれ」と声をかける。
「んー、なんかイライラしてます?ライブ、良くなかったかい?」
「そんなわけあるかよ」
「お!つまり、良かったと」
「文句つけようがない」
「えー!それはそれは!あなたの名字大歓喜。感謝感激雨あられ。おにーさんってさぁ、見るからに素直に褒めるタイプじゃないもんね。それなのにうれしいぜー!」
店での無表情はなんなのかというくらい、今も、ライブ中もいろんな表情を見せる。その度にナツキは胸を揺さぶられる。悟られないかと焦るくらいには心臓がうるさかった。
「……ナツキ。巳坂奈ツ基だ。俺の名前」
「ん、ナツキくんか」
「さん付けろよ、年上だぞ。というか客だぞ」
「んー、ナツキくんね」
「おい」
「あなたの名字の名前はね、あなたっていう」
「そうかよ」
さん付けで呼ぶ気はないらしい。漆羽に言われようものならキレるところだが、華麗にスルーされても怒る気にはならない。むしろ親しげな感じが悪くないなどと思ってしまうからこれはもう惚れた弱みというやつかもしれなかった。
「そうだ、ナツキくん」
「あ?」
「さっき、なんて言ったかわかった?」
さっき、なんて言ったか。ナツキはすぐにピンときた。ラストソング前の「××××」のことだ。察しはついていたが、あえて首を振った。
「なんて言ったんだ?」
予想外の反応だったのか、あなたの名字は少し悩むような素振りを見せた後、ナツキと視線をしっかりと絡ませた。答え合わせの時だ。
「ナツキくんの仕事が何か、私は知らない」
「……」
「でも、その刀は飾りじゃない」
「あぁ」
「人殺しだ」
「まぁな」
ナツキが肯定するとあなたは視線を外し、下を向いて押し黙った。なかなか欲しい解答をくれないし、前髪がかかって表情も窺えない。ナツキがかがみ込んで覗き込もうとすると、あなたが顔を上げた。至近距離で見つめ合う。お互いに視線を外さないまま数秒の沈黙。口火を切ったのはあなただった。ニッと口角を上げて悪い笑顔を浮かべてナツキにしか届かない小さな声で囁く。
「キルミー」
確信していた通りの解答。キルミー。殺して。私を。それに対するナツキの返答は決まっていた。
「覚悟しろよ」












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!