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第4話

幸せの時間をどうか〈スティルインラブ〉
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2025/09/13 13:25 更新
⚠スティルインラブ育成シナリオクリア後の閲読を推奨します。



ふわり。窓から吹く柔らかな風がぱらぱらぱら、と手元のカタログのページを捲っていきながら、花の香りを乗せて頬を撫でていく。風に乗って軽やかに舞う赤い花弁をサングラス越しに何気なく目で追っていると、室内へと入ってきたその花弁は、いつの間にか帰宅していた彼女の白いヘッドドレスの上へ静かに着陸した。



「ただいま帰りました」

「おかえり、スティル」

「……ふふ、ええ、トレーナーさん」



外出から戻った彼女を迎える挨拶をすると、スティルは心底幸せそうに微笑む。このありふれた、けれども私たちにとってはかけがえのないひと時の幸せを噛み締めるように。

花畑の中にぽつんと佇む小さな家屋。そこが私とスティルが暮らしている家だ。

買い物から帰ってきたスティルの頭に乗っかった花弁をじーっと見つめていると、それに気づいていないらしい彼女は耳をそわそわとあちこちに向けながら、気恥ずかしそうに私から目を逸らす。



「……え、えぇっと……そんなにじっと見つめられると……」

「あっ、あはは、ごめんね。ちょっとこっちおいで」



私の元へ来てもらうように呼ぶと、かごを置いてこちらへ早歩きで近づいてくる。椅子に座る私の高さに合わせて少し屈んでもらう。サングラス越しでもわかるくらい赤く火照った頬と長いまつ毛に魅かれながら、彼女の頭の上の赤い花弁を取ってあげた。



「これがついてたの」

「花弁……? まぁ、いつの間に……」

「ふふ、ついさっきだよ」



ふーっ。手のひらに乗せたそれを窓の外に向けて吹き飛ばす。花弁ははらはらと浮かんで、再び吹いてきた暖かい風に乗ってまたどこかへと飛んでいった。



「本を読んでいたんですね」

「あ、うん、ちょっとね……」

「雑誌ですか? これは……まぁ、綺麗なウエディングドレス……」



机の上に置いてあった雑誌にスティルが目を向ける。以前買い物へ出かけた時にたまたま見かけた結婚雑誌。表紙の花嫁の姿に目を惹かれてしまって、気がついたら購入していた。中には結婚に関する情報や、ウエディングドレスの種類一覧などが掲載されている。



「それにしても、何故そんなものを?」

「えっ? いや、えーっと……ちょ、ちょっと恥ずかしいんだけど……」



じぃっと見つめてくるスティルの視線に耐えきれず、あちこち目を逸らしてしまう。それでもその魅惑的な紅は私を捕らえて離してくれそうになかったので、観念して白状した。



「スティルにはどれが似合うかなーって、考えてたんだ」

「私に……?」



こてんと首を傾げるスティルに、雑誌のページを捲って見せる。その中には純白のウエディングドレスを着た花嫁さんの写真がずらりと並んでいた。



「ほら、もちろん王道のプリンセスラインとかAラインも似合うと思うんだけど……ちょっと短めのも可愛いし、マーメイドラインも上品でスティルの雰囲気にピッタリだと思って」



どのドレスを着ている姿を容易に想像できる。頭の中でどのドレスを着用しているスティルにも違った良さがあって、それぞれがスティルの魅力を最大限引き出してくれているような気がした。



「きっとどのドレスを着てるスティルも素敵なんだろうなぁ……。ねぇ、貴女はどれがいいとかある?」

「私は、特にこだわりは無いですけれど……でも、ふふっ……」

「どうかした?」

「いえ……私も、先程トレーナーさんが仰ったことと同じことを思ったので」



その言葉に少しポカンとする私に、彼女は微笑みながら答え合わせをしてくれた。



「貴女が着るのなら、どのドレスでも素敵だと思います。きっと全て着こなしてしまうだろうなって」



「何を着ても似合う」、一見かどの立たない便利な言葉のようにも思えるが、自分とスティルの場合は違う。心の底からそう感じているからこそ、彼女も同じように感じているのがちゃんと伝わってきて、それが嬉しかった。



「……でも今の私じゃ、こんな素敵なドレスを借りるなんてできそうにないや」



喉の奥から乾いた笑いが零れる。私の容態は、日を追う事に悪化していた。視界に広がるモヤは濃くなり、日中は屋内でもサングラスを着用していなければ日差しに耐えられない。もはやどれだけの間睡眠をとっていないか、1ヶ月を過ぎた辺りから数えるのをやめてしまった。とてもじゃないが、働いてお金を稼げるような健康状態ではなかった。
私では彼女を幸せにすることは不可能なのかもしれない。そんな可能性が過ぎるだけで、酸素が薄くなってくるような心地だった。



「……大丈夫です、大丈夫ですよ。指輪も、ドレスも無くったって。私は貴女がこうして隣にいてくれることが、何よりの幸せですから」



穏やかな温もりと、お菓子の甘い香りに包まれる。スティルの華奢な身体に抱きしめられながら、髪を梳くように頭を撫でる手のひらの柔らかさと暖かさを、確かに感じる。



「ごめ、んね……それしか、貴女にあげられてないのに……」

「……そんな悲しいことを、言わないでください」



彼女の声色から、微かに怒りと悲しみを感じる。そう言って、スティルは私の身体を抱きしめるその力を少しだけ強めた気がした。顔を埋めた胸元には心臓の動きが響く。どくん、どくんと彼女が生きている証の拍動が伝わる度に、自分の中のひび割れている何かが癒やされていくような気がした。



「私は……貴女の存在に救われているんですよ。今までも、これからも」

「わたし、の、存在に……」

「はい。貴女が、私を見つけてくれたあの日から……走っている姿を、美しいと言ってくれたあの日から。私は、貴女に沢山のものをもらいっぱなしなんです」



呼吸が浅くなってきた私の背中を優しく擦りながら愛のこもった暖かな声音でなだめてくれるスティル。赤子をあやすようなその仕草は少し気恥ずかしくて、でも、心地よくて。少しずつ平静を取り戻していく。



「そんな、の、私だって……貴女に、たくさんのものをもらったよ……」



彼女の首元に顔を埋め、背中に回した手の力を強める。
レースをやめた今でも脳に焼き付いて離れないあの苛烈なまでの走り。三冠ティアラの夢。そして、最愛の貴女の、生涯ただ一人のパートナーになれたこと。そのどれもが、私にとってかけがえのない宝物だった。



「ふふ、それならおあいこですね」

「……そう、だね」

「大丈夫ですよ。貴女の生が尽きるその日まで……いいえ、そのあとも、ずっと隣にいますから」



スティルの首元に埋めていた顔を上げて、少し身体を離す。スティルは、強く抱き締めたことによって少し乱れた私の髪の毛を、手櫛で丁寧に整えてくれる。



「いつかきっと、素敵な式を挙げましょうね。花畑の中で、二人きりで……」

「……うん。ちゃんと、幸せになろうね」

「ええ……愛しています、トレーナーさん」



スティルからの口づけをそっと受け入れて、静かに瞼を閉じる。幸福な眠りの訪れを感じながら、私も彼女に想いを伝える。



「私も。愛してるよ、スティル」



はらり。無数の花弁がまた儚く空へと散っていく。
ああ神様。きっとこの命は、もう長くはもたないのでしょう。それでもどうか、まだ。
──私たちから、この幸せな時間を奪わないで。

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