私が目の前を通りかけた、従者の仮眠室。
大概の執事はここで寝てる。と言うのも、万が一があった時に用意された宿舎にいるようでは助けられるものも助けられないから。
これは私が敷いている事ではなくて、彼女らが自ら選んだ選択。
理由は単純にこっちの方が設備がいいから。と。
ここに居座り始めてからというもの遅刻も増えた。戻れと言っているものの、戻る気はなくて。
奥様が許してくださっているから良いものの、私が奥様だったら全員即解雇してる。
周りを見て、誰もいないことを確認して。
心の底からのため息を盛大に吐き出すと同時に、随分緊迫した様子で曲がり角から出てくるとある一人のお嬢様。
咲良が寝坊すると毎朝のようにここで遭遇する、大食い代表へウォンお嬢様。
見た目とは裏腹に人一倍のスピードで人一倍の量をその細いウエストに詰め込んでいらっしゃる。
昨夜も私が出したはずの一人前をものの五分で平らげ、直後ワンホールのショートケーキをかじっていらっしゃった。
...きっとへウォンお嬢様は、胃袋にブラックホールでも飼っているのだろう。
今朝から厨房へ迎えるのが嬉しいのか、若干上機嫌なブラッ......へウォンお嬢様を連れて。
幅の広い廊下の中央を二人並んで、ゆったりと朝のお散歩を楽しんだ。
シェフ殺しのフードキラー。
厨房に務める従者からそんな異名を密かに命名されていたへウォンお嬢様は、いつもの如く朝から沢山のものを口にされて。
満足したような笑顔を浮かべたへウォンお嬢様の後ろ姿を見送り、私はとある扉の前に立っている。
それはかつて私がほぼ一日中いた部屋で、今では一日一度しか顔を出さなくなった部屋。
この部屋の主は、大概の事を一人で成し遂げられてしまう為に執事の必要性がなくなってしまった。
...というか、私がいてもできることないから、と奥様から担当を外されたんだけど。
専属最終日に言われた。
一人は寂しいからせめて朝だけでも顔を見せに来て。
そんな要望を叶えるべく、私は毎朝この部屋へ立ち寄る。
今日も同じように。
目の前の扉を二度叩く。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。