――来てしまった。
スマートフォンの銀行アプリを何度も確認した夜を思い出す。残高は、決して余裕があるとは言えなかった。ネイルサロンの予約履歴、クローゼットに増えていく甘い色のワンピース、可愛い靴、リボン。カードの請求明細を見ては後悔して、試合の現地チケット代を調べてはため息をついて、泣きながらテレビで彼の試合を見ていた。
どうして私は、いつもこうなのだろう。欲しいものにすぐ手を伸ばして、後から自分を責めて、でもやめられない。
それでもあの日、画面越しに映った彼の姿を見た瞬間、何かが切れてしまった。
青いメッシュが揺れて、首から腕にかけての青薔薇が汗で光る。ゴールネットを揺らしたあと、観客席を見上げたあの目。冷たいのに、どこか飢えているような、燃えているような、あの視線。
――現地で、見たい。
サッカーのことは分からない。オフサイドもよく知らない。ただ、彼が走る姿と、笑う瞬間と、勝ち誇る顔が好きなだけだ。
航空券を検索した指は震えていた。英語もドイツ語もできない。海外旅行だって、まともにしたことがない。一人暮らしのワンルームで、ぬいぐるみに囲まれながら、私は何時間も迷った。
どうせ、会えるわけがない。
どうせ、ただのファン。
それでも、テレビの前で泣いている自分が、あまりにも情けなくて。
――一回だけ。
――一回でいいから、同じ空気を吸いたい。
そうして私は、貯金を崩した。
安いホテルを予約し、翻訳アプリをダウンロードし、何度もパスポートを確認して、空港で泣きそうになりながら飛行機に乗った。
そして今、試合が終わったスタジアムの裏口近くで、私は立ち尽くしている。
甘いピンクのコートは、明らかに場違いだった。周囲は背の高い外国人ばかりで、低い身長と丸い体型が余計に目立っている気がする。視線が怖くて、マフラーに顔を埋めた。
でも、帰れなかった。
選手バスが出てくるという情報をSNSで見たから。
人の波の向こう、スタッフの動きが慌ただしくなる。
心臓がうるさい。
お願い。
せめて、もう一度。
――そのときだった。
ざわめきの奥から、見慣れた金髪が現れた。
背が高い。想像よりずっと大きい。画面越しとは比べものにならない存在感。青薔薇のタトゥーが、街灯の下で淡く光っている。
視界がぼやけた。
涙が出そうになるのを必死でこらえる。
彼は、こちらを見ていない。スタッフと何か話している。低くて、通る声。意味は分からないのに、その響きだけで胸が締め付けられる。
――好き。
その言葉しか、浮かばない。
その瞬間、不意に視線がぶつかった。
青い瞳。
正面から、まっすぐ。
息が止まった。
私だと、思っていないはずなのに、足がすくむ。
なのに、目を逸らせなかった。
数秒。
いや、もっと長く感じた。
彼の口元が、わずかに歪む。
笑った。
それはテレビで見る勝者の笑みではなく、もっと、意地の悪い。
彼はスタッフに何かを言い、こちらへ歩いてきた。
――嘘。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。