それは撮影の休憩中に起きた。
太我がハルにお茶を渡した。わかりやすい気遣い。当たり前になりつつある、なんてことない光景。それを一瞥し「いらない」と首を振るハルもいつも通りだった。ここで終わればなんの問題もなかった。
しかし何を思ったのか、大人しくお茶を下げる太我を、ハルは鼻で笑った。
ハルの目は真っ暗だった。久しぶりに見るその表情に驚いた。太我も心配そうにハルの背中をさすった。
太我の手を振り払い、無表情で呟く。俺たちは顔を見合わせた。いつもみたいに過剰に好意を伝えたわけでもないのに、突然この状態になった理由がわからなかった。太我は戸惑いながらももう一度謝った。
ハルは答えない。ぼんやりと壁を見つめている。
太我とは全く別の方向を見ながら、責めるような口調で糾弾する。
いまさら
それは今まで言われたどんな言葉より深く突き刺さった。俺たちだって何度も思った言葉だった。だからこそハル本人にだけは言ってほしくなかった。それはまるで、俺たちが知らないうちにハルを傷つけていたのを知らしめるようで。もう何もかも遅いのだと、そう突きつけられるようで。
太我の顔色が変わった。唇をわなわな震わせ、拳を握りしめる。ヤバい、そう思ったときにはもう太我はハルに掴みかかっていた。
止めようとしたが遅かった。太我を抑えた頃には、太我に殴られたハルが、頬を赤く腫らしよろめいていた。
そう叫ぶ太我の目は涙で濡れていた。
ハルは黙って頬をおさえ、俯いていた。表情は見えない。ただその場に座り込んでいた。
太我を帰らせ、ハルの手当てをした。その間ハルはずっと黙っていた。頬に湿布を貼ってやりながら、太我に謝るよう促したら、やっと口を開いた。
口の中が切れて痛むのか、少し顔を歪ませながら聞いてくる。
ハルはぎゅっと自分の身体を守るように縮こまった。眉を寄せ、目を潤ませ、喘ぐように喉を絞る。
ああ、こいつは自分の変化に気づいているのだろうか。
「勘違い」なんて言葉が出るのは、俺たちの愛情をたしかに感じているからなのだ。信じかけているのだ。それをこいつは、気づいているのだろうか。
そう言ったらじっと見返された。
吸い込まれそうな深い瞳に俺が映った。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!