そう言って、ヴィンセントは半死半生のアラキアを見下ろしていた。
大樹にもたれかかり、足を投げ出したアラキアは疲弊し、激しく消耗している。
それもそのはず、彼女がやってのけたのは一軍を消滅させかねない魔石砲の大破壊を相殺する荒業であり、そのために四大の力を小さな体に取り込むことまでしたのだ。
当然、その反動は大きく、魂の消滅さえ覚悟しての献身だった。
かくしてヴィンセントの策は成ったが、そこにアラキアの貢献は殊の外大きい。
見上げた忠誠心と、そう褒め讃えることをヴィンセントはしない。
皇族に仕える臣下は多かれ少なかれ、彼女と同じかそれ以上の忠誠心を備えている。
それは秘密裏にプリスカと結んでいることを知らされず、敵を欺くための撒き餌として利用されたヴィンセントの私兵たちも同じことだ。
そうこぼすヴィンセントの視線の先、そこではアラキアに串刺しにされた上、魔石砲と四大の力の相殺の中心に巻き込まれたチシャの懸命な治療が行われている。
肉体の内と外に浴びせられた甚大な被害、助かるかどうかは五分五分だろう。
有能な参謀であり、将来的にも重要な立場を任せられる忠臣。そんな彼でさえ、策を成立させるための説得力、謀の一部として盤面に配置したのだ。
だが、それだけの価値はあったとヴィンセントは確信している。
野心と能力の均衡に優れ、帝位を獲得する実現性から警戒する必要があったのは、ヴィンセントの目から見てもラミアとプリスカぐらいのものだった。
生憎と、他の兄弟ではヴィンセントの相手にならない。――もっとも、帝位の獲得とは異なる面で、ヴィンセントを驚かせたものも兄弟にはいた。
兄弟同士が殺し合う血の儀式を厭った彼は、この『選帝の儀』で奪われる命が最小限で済むように画策し、ヴィンセントさえ驚かせる手段を講じた。
その目論見が成れば、十人の候補者を減らすために刎ねられる首は十で済む。それぞれが皇帝の座を狙って兵を挙げれば、その分だけ失われる命は増えただろう。
ヴィンセントは兄弟姉妹を決して生かさないと、その正しい認識を逆手に取った策だ。
信賞必罰、それがヴィンセントのヴォラキア皇族としての守るべき規範だ。
バルトロイに唆され、資格を放棄した兄弟たち。彼らは与したヴィンセントを勝利させ、生き残るために必死で戦ったことだろう。交わされた密約の真実を知らずに。
その先の真相を伏せておいただろうバルトロイは、お人好しの皮を被った策士だ。
自分の『死』さえも計画に組み込んで、目的を果たさんとする姿勢、実に見事。
バルトロイ・フィッツもまた、正しくヴォラキア皇族の一人だったという話である。
そのヴィンセントの述懐に、虫の息のアラキアは何も答えない。
元々、彼女はプリスカの命令に忠実に従うだけの忠犬だ。自分の意見は持たず、裏切りや野心と無縁の便利な娘だ。もっとも、プリスカが彼女を重宝するのは、ただ便利だからというだけではあるまい。
アラキアは、プリスカのためならば全てを擲つことも躊躇しない。――それがどういうことなのか、当人もプリスカも想像力が足りていなかった。
名前を呼ばれ、訝しげにするアラキア。ヴィンセントは彼女のすぐ前へ歩み寄ると、懐かない小動物のような目つきの少女に片目をつむった。
そして――
そこで言葉を区切り、ヴィンセントは小さく首を横に振った。それから、彼はその黒瞳の色を変えないまま、改めて言い直す。
――ヴィンセント・アベルクス包囲網から、二ヶ月後。
長髪の男の表情が激昂に染まり、陽剣が宙から抜き放たれた。しかし、半円を描く紅の斬撃は上からの衝撃に押し倒され、男の手から魔剣を強引にもぎ取る。
そうして無手となり、見開かれる男の瞳を一閃が過る。それは彼自身が放ったものより格段に美しく、残酷に閃く剣閃。――それが最期だった。
斬撃が男の首と胴を鮮やかに切り離し、その死を確定させる。瞬間、分かれた頭と胴体が同時に燃え上がり、赤々とした炎がその屍を灰へと変える。
それが、ヴォラキア皇族の一人であったパラディオ・マネスクの終幕だった。
自らの居城で引きこもり、滅びの時を迎えた愚かな兄の末路をプリスカはそう評する。
ラミアに与し、『選帝の儀』を掻き回すことに腐心した蝙蝠。その首はプリスカが自ら刎ねてやった。それを殺される側が喜ぶはずもないが、プリスカは殺されるパラディオの事情など顧みない。
また一つ、玉座への障害が排除された。それだけが事実だ。
陽剣を空へと納め、振り返ったプリスカの下にアラキアが姿を見せる。
パラディオの拠点の中、あちこちへ配置された兵を一掃するために奔走していたアラキアだが、彼女の剥き出しの肌には傷一つ付けられていない。
パラディオの陣容は、彼自身の魔眼族の異能こそ傑出していたが、それを活かすための頭脳も、彼を支える忠臣の存在も不足していた。
結果、パラディオの首はプリスカに、手足はアラキアにもがれる始末だ。
と、そんな会話を交わす主従の下へ、靴音を立てながら新たな人影が姿を見せる。頬杖をつくプリスカが紅の視線を向けると、相手は恭しく頭を垂れた。
現れたのは白髪の青年だ。一瞬、プリスカは記憶を探るように片目をつむり、すぐに記憶と目の前の青年の照合を済ませた。ただし、一部記憶とは姿が違っている。
プリスカの記憶だと、この青年は黒髪だったはずだが。
そう言って恭しく頭を垂れたのは、先日の戦いでも見かけた青年、チシャだ。
ヴィンセントと斬り合いを演じ、その後はラミアの下へ向かったプリスカは詳しくは知らないが、聞いた話だとアラキアと相見え、瀕死の重症に陥っていたのだとか。
言いながら、チシャが献上するのは極上と知られる美酒の一本だった。
御年十二歳のプリスカだが、酒の味ならばすでに覚えている。あらゆるものの最上を味わい尽くす彼女にとっても、その美酒は手に入れ難いものだった。
しかし――
その一言を以て、チシャの手元にあった美酒の容器が砕け散る。甲高い音を立てて砕かれた酒が床にこぼれ、それをされたチシャは爬虫類じみた目を細めて、
いけしゃあしゃあと、気落ちした様子もなくチシャは呟く。
ヴォラキア皇族同士の贈答品ともなれば、そこに何らかの意図が隠れていることは見透かされる。毒殺の謀など珍しくもない帝国皇族にあって、他者からの贈り物をそのまま口に運ぶことなど考えられない。
その、元よりわかりきった対応を受け、ヴィンセントの若き腹心は、体の色と共に感情もなくしたかのような静謐な眼差しをしていた。
己の哲学を語ったプリスカに、チシャが敬服するようにその場で一礼した。その礼から視線を逸らし、プリスカは話は終わったとばかりに手を振った。
チシャにはヴィンセントの下へ戻り、決戦に備えよと伝えさせるつもりで。
しかし――
意味深な問いかけがあり、プリスカが怪訝な目をチシャへ向けた。そのプリスカの目が驚きに見開かれる。――視線の先、跪く人影があったからだ。
地べたに膝をついて、床を汚す美酒に顔を近付けるのはアラキアだ。彼女はゆっくりと広がっていく酒に震える舌を伸ばし、音を立ててそれを啜り始めた。
その行いに瞠目するプリスカの前で、振り返ったアラキアが涙目で言った。
乳姉妹の初めて見せる悲嘆、その様子にさしものプリスカも息を呑む。だが、彼女の驚きはそこで終わらなかった。アラキアの体から力が抜け、倒れ込んだためだ。
倒れたアラキアが呻き声を漏らし、手足を痙攣させる。その目は白目を剥いており、彼女の肉体に致命的な事態が生じているとありあり伝えてきた。
一瞬、それを見るプリスカの瞳が冷酷な計算を始める。聡明な彼女の中では、死に瀕したアラキアを前に無数の選択肢が浮かび、消えていった。
凡人であれば、そうして次の一手を迷う間にアラキアを死なせただろう。だが、プリスカは凡人ではなかった。それを見抜いていたヴィンセントもまた、非凡だ。
そして、だからこそ兄と妹は、最も近しい互いを殺す決着を迎えるしかない。
倒れ、痙攣するアラキアの傍らでプリスカが呟く。それから彼女はアラキアを抱き起こすと、躊躇いなくその唇に唇を重ね、アラキアが啜った毒酒を吸い出し始めた。
傷口の毒を吸い出すように、アラキアが啜った毒を外へ吐き出す。しかし、その毒は強靭なアラキアをして卒倒させる猛毒だ。――粘膜に触れるだけで、常人なら気が触れる。
当然、プリスカも己の体でその効力を味わった。しかし、彼女は毒に体を蝕まれながら、アラキアの体内から毒を吸い出し、吐き捨てる作業をやめない。
それを見ながら、チシャは心底からの称賛を口に乗せて呟く。
猛毒にわずかながらでも耐え、アラキアから毒抜きをするプリスカも、計算高い彼女に毒を飲ませるには、この方法しかないとわかっていて実行したヴィンセントも。
どちらも、チシャにとっては信じ難い作意を巡らせる傑物同士であった。
アラキアの痙攣が止まり、意識を喪失しながらも、危機的状況を脱する。それをやってのけたプリスカが己の唇を拭い、声の震えを押し隠しながらチシャに問うた。
その驚嘆すべき胆力を目に留めながら、チシャは「おわかりなのでは?」と首を傾げ、
ゆっくりと立ち上がり、プリスカが再び玉座へ戻る。その足取りが確かだったことにチシャは内心で絶句した。だが、背もたれに体重を預ける姿は瀕死の有様で、毒が確実にその命を蝕んでいることに我知らず安堵する。
そして、チシャは余計な一言とわかっていながら、続けずにはおれなかった。
首を横に振ったチシャの前で、プリスカは息を吐くように笑みをこぼした。それから彼女は床に倒れるアラキアを見やり、その血色の瞳を緩めると、
そう、最後の最後まで彼女らしさを失わない悪態をついて、長く息を吐く。
そのまま、息が止まった。――プリスカ・ベネディクトの、最期だった。
長い物語を締めくくり、フルスタンは下ろしていた腰を上げた。
呟きながら、フルスタンは見ていた。
――帝都の水晶宮で、星型の城壁で、叛徒たちの本陣で、様々に状況が動く。
事の次第を知るものと、事の次第の一切を知らぬもの。
そうしたものたちが入り乱れ、混沌の坩堝と化した戦場――否、ヴォラキア帝国だ。
流血を強い、命が散りゆくことを選び、野心を花開かせるための行動をこそ是とされる大地が脈動し、帝国の歴史が次々と起き上がる。
これを、悪夢と呼ばずしてなんと呼ぶべきか。
そう、悪夢と呼ばないのであれば、『大災』と呼ぶ他にない。
ヴォラキア帝国に蔓延る『星読み』は、これが世界を滅亡へ追いやる大いなる災いの一つであると、そうした天命が下ったと声高に言い放った。
『大災』の到来と、その後の滅びを防ぐことが『星詠み』の目的だ。
それ故に、これまで彼らは敵ではなかった。
それ故に、ここからの彼らは敵となるのだ。
持てる全部を費やし、目的を果たそうとするのは『大災』の方も同じこと。
譲れぬ願いを抱くのは、『大災』の方も同じこと。
死んで死なれ、殺して殺され、それが積み上がってできた屍の大地たるヴォラキア。
そのヴォラキアの流した血の全てが、計画の礎たるならば、あとは――
《Fin》
ヴィンセント「自分が死ぬのも計画の内だったバルトロイ兄様の作戦いいな······」
そういうとこだぞ皇帝閣下
次回、『カララギガール&キャッツアイ+バフォメット』!












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!