神と献上物として捧げられた少年の共同生活
しばらく歩いていると見慣れた神社に着く。
神社に着き、月夜が明るく声をかけると、
中から慌ただしい足音が聞こえてきた。
現れたのは、初老の巫女だった。
彼女は月夜と繋がれたままの覡を見ると、
驚きと困惑が入り混じった顔で眉をひそめる。
巫女の冷たい視線が、値踏みするように覡に突き刺さる。
彼女は月明かりの下でじろりと覡を一瞥し、
疑わしげな目を向ける。
その瞳には明らかな不信感が浮かんでいる。
巫女の厳しい口調に、思わず身を縮こませる。
繋がれていた月夜の手に無意識に力がこもった。
居心地の悪さに耐えかねたように俯き、唇を固く結ぶ。
彼女は目を見開き、
信じられないといった様子で月夜を見つめ、
それから目の前の青年へと侮蔑的な目を向けた。
「生贄」という言葉が突き刺さり、
繋いでいた手から力が抜けそうになるのを必死で堪える。
巫女の冷酷な言葉と眼差しが、過去の記憶を呼び覚まし、
身体が強張っていく。
月夜に言われた「大切な人」という言葉の温もりが、
急速に冷えていくのを感じた。
巫女は呆れたようにため息をつくと、
腕を組んで二人を睨みつけた。
その目には怒りと呆れが色濃く滲んでいる。
月夜がしっかりと手を握ってくれるものの、
巫女から放たれる刺すような言葉に心がすり減っていく。「穢れ」と言われたような気がして、
自分がこの場にいること自体が
月夜を困らせているのではないかと思い始める。
月夜から放たれた、
普段からは想像もつかないほど冷たく鋭い気配に、
巫女は思わず息を呑んだ。
長年仕えてきた神の、
未知の側面を垣間見てしまったかのような
恐怖に顔が引きつる。
目の前で繰り広げられる光景に、ただ呆然と立ち尽くす。
自分を庇って、神様が怒っている。
誰かが自分のためにここまでしてくれたことなど、
一度もなかった。
怒りの矛先が自分に向くのではないかと怯えながらも、
それ以上に月夜の存在が眩しく見えた。
巫女は顔を青ざめさせ、
その場に崩れ落ちんばかりに深く頭を下げた。
全身が震え、額からは冷や汗が流れている。
突然豹変した月夜の姿に驚きつつも、
自分が原因で巫女が叱責されている状況に胸を痛める。
恐る恐るといった風に月夜の袖を軽く引き、小声で囁いた。
差し伸べられた月夜の白く美しい手を見て、
彼女は恐縮しながらもその手にそっと
縋るようにして立ち上がった。まだ顔色は悪いままだ。
(俺のせいで…)と罪悪感に苛まれながらも、
二人のやり取りを不安げに見守っている。
自分なんかのために神様が怒るなんて、
やはりおかしいのではないか。そんな考えが頭をよぎる。
巫女は驚いて顔を上げ、
それからハッとして再び深々と頭を垂れた。
神の言葉に矛盾があったことへの混乱と、
それを許されたことへの安堵が入り乱れている。
(順序を…すっ飛ばす…?)
月夜の言葉の意味がよく分からず、
困惑した表情で二人を見比べる。
ただ、さっきまでの張り詰めた空気が少し和らいだことに、内心ほっとしていた。
月夜のいつもの調子に少し戸惑いながらも、
巫女はすぐさま居住まいを正し、
儀式のための道具が並べられた祭壇へと向かった。
手際よく酒を注ぎ、神楽鈴を鳴らす。
清らかな鈴の音と共に、澄んだ夜気が満ちる。
月は雲間から姿を現し、銀色の光で一行を照らしていた。
鈴を置き、恭しく月夜に向かって酒の杯を差し出す。
その荘厳な雰囲気に圧倒され、
ただ黙ってその場の空気に溶け込もうとするように
息を潜めている。
自分はここにいていいものなのか、
居ても何をすればいいのか分からず、
所在なげに立ち尽くしていた。
必要最低限の順序は終わったので、月夜は手で覡を呼ぶ
呼ばれてびくりとし、おずおずと月夜の元へ歩み寄る。
何をすればいいのか分からず、戸惑ったように立ち尽くした
言われるがまま、月夜の隣にちょこんと正座する。
近くで見ると、お酒で月夜がほんのり頬を赤らめ、
瞳が潤んでいることに気づいた。
普段の姿とは違うその姿に、なぜか心臓が大きく跳ねる。
その様子を横目で見ながら、静かに杯を下げ、
次に用意されていた供物の鮭を月夜の前に置く。
そして、一言断ってから、
お盆に乗った同じものを秦の前にそっと置いた。
目の前に置かれた皿を、
恐る恐るといった手つきで見つめる。
生まれて初めて見るような豪華な食事に、
どう反応していいか分からない。
ちらりと月夜の顔色を窺うと、目が合った
「家族だもん」という言葉に、
また心が温かくなるのを感じる。
酔っているせいか、
いつもより素直に言葉が出てくる月夜に
少し面食らいながらも、嬉しさが込み上げてきた。
そう答えながら、改めて目の前の料理に目を落とす。
醤油の香ばしい匂いが食欲をそそる。
ちらちらと月夜の顔を盗み見ながら、
箸を持つ手が微かに震えた。
本当に自分がこれを口にしてもいいのだろうか、
という罪悪感がまだ消えない。
覡に甘酒を渡す。赤子から飲めるノンアルのものだ。
月夜は完全に酔っていてふわふわとしていた。
背後で聞き耳を立てていた巫女が
小さく悲鳴を上げるのが聞こえたが、
彼女は慌てて口を押さえてその場を去っていった。
甘酒の入った杯を両手で受け取る。
温かくて優しい香りがした。
じじぃだなんて言うけれど、
ふわふわと笑う月夜はとてもそうは見えない。
言ってからハッとして、
自分の言葉に顔を真っ赤にして俯く。
まさかそんな言葉が口から出てしまうとは
思ってもみなかった。
慌てて杯に口をつけ、
冷たい甘さに少しだけ心を落ち着かせる。
そうに言いつつしっかりと装束の大振袖で顔を隠している。
顔が赤くなるのを月夜は感じだ。おそらく照れてる。
月夜が顔を隠す仕草に、
彼の心臓はまたドクンと音を立てた。
その照れた様がたまらなく愛おしく見えて、
胸の奥がくすぐったいような、
それでいて熱いような感覚に襲われる。
しどろもどろになりながら、
受け取った杯に視線を落とす。
顔が熱くて、まともに月夜の方を見ることができない。
ただ、隣に座るその存在を確かに感じながら、
甘酒を一口飲む。
ノンアルコールのはずなのに、
なんだか少し酔ってしまったようだ。
月夜もまだ頬を染めていることに、
今度は自分だけが動揺しているわけではないと知り、
少しだけ安堵する。
だが、その事実がさらに彼を混乱させた。
か細い声でそれだけ言うと、気まずさを紛らわすように、
目の前にある魚に恐る恐るといった感じで箸を伸ばした。
夜の静寂が社を包む。遠くで虫の声がさざめき
時折、風が木々を揺らす音が響くだけだ。
祭りの喧騒はすっかり遠のき、
この神域だけが別の時間の流れにあるかのようだった。
おそるおそると口に運んだ魚は、
今まで口にしてきた何よりも美味しかった。
滋味深い味わいが口いっぱいに広がり、
涙が出そうになるのを必死にこらえる。
美味しい、という感情をこんなにも強く感じたのは、
生まれて初めてのことだった。
月夜はまだちびちびとお酒を嗜んでいた。
呂律が回っていないがそこには確かな優しがあった。
こくりと頷きながら、夢中で魚を食べ進める。
その姿は、まるで何日も食事にありつけなかった
子供のようにも見えた。
口の周りに少し醤油をつけながらも、
それすら気にせずに食事を続ける。
生きていること、満たされていることへの感謝が、
食欲となって体に現れていた。
食事を終え、満腹になった覡は、
穏やかな満腹感と心地よい疲労感に包まれていた。
杯に残った甘酒をゆっくりと味わいながら、
隣で同じように杯を傾ける月夜を盗み見る。
夜風にその白銀の髪が静かになびいていた。
夜風が月夜の装束の合わせ目を少し乱した。
月の光が差し込み、そこから覗く白い肌が露わになる。
ほんのわずかな隙間だったが、
純朴な青年には、あまりにも刺激が強すぎた。
目の端にその光景を捉えた瞬間、息が止まる。
心臓が喉から飛び出しそうなほど激しく鼓動し、
顔から火が出るかと思うほど熱くなった。
反射的に顔を背け、両手で顔を覆う。
完全に狼狽し、
どもりながら意味のわからない言葉を口走る。
指の隙間から見えないようにと必死になるが、
一度見てしまった光景が焼き付いて離れなかった。
月夜の間の抜けたような声に、余計に焦りが募る。
彼は膝を抱えるようにしてさらに体を小さくし、
決して月夜を見ないように固く誓った。
暗がりの中、月夜にはなぜ覡がそんなに慌てているのか
全く理解できていないようだった。
一方、未知の感情に翻弄される生贄の青年は、
これから始まる「共同生活」が
自分にとってどれほど過酷で、
そして同時にどれほど甘美なものになるのか、
まだ知る由もなかった。
神と献上物として捧げられた少年の共同生活
🅔🅝🅓














編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!