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第1話

消えた凶器
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2026/05/22 08:11 更新
『グレイ』
第一話 

雨が降っていた。

街灯の光が濡れた道路に滲み、夜の輪郭を曖昧にしている。

俺は古びたマンションの階段を上っていた。

四階。

被害者の部屋の前には規制線。

その外側で、刑事の霧島が煙草を咥えていた。

「遅いな、黒瀬」

「依頼が立て込んでた」

霧島は肩をすくめる。

「相変わらず嘘が下手だ」

俺は答えない。

規制線をくぐる。

部屋には鉄臭い血の匂いが満ちていた。

被害者は床に倒れていた。

胸を一刺し。

即死。

争った形跡は少ない。

だが妙なのはそこじゃない。

「凶器がないんだ」

霧島が言った。

「窓は閉鎖。玄関はチェーン付き。完全な密室だ」

俺は部屋を見渡す。

狭いワンルーム。

荒れた机。

倒れた椅子。

止まった壁時計。

午後九時十七分。

「能力犯罪の線は?」

「一応な。最近、この辺で“物を消す能力者”の噂がある」

俺は被害者の傷を見る。

深い。

細い。

そして妙に綺麗だ。

「……違うな」

「何がだ?」

「能力ならもっと雑になる」

霧島が眉をひそめた。

「根拠は?」

「能力犯罪は“証拠を消しすぎる”」

俺は床を見る。

血痕の一部が不自然に薄い。

まるで水で伸びたみたいに。

キッチンへ向かう。

流しには濡れたスポンジ。

洗われた包丁。

乾いていないシンク。

冷蔵庫を開ける。

中には空の製氷皿。

俺は数秒黙る。

そして壁時計を見た。

「霧島」

「ん?」

「その時計、本当に犯行時刻か?」

「……は?」

俺は壁を指差す。

「時計の下だけ血が飛んでない」

霧島の顔が変わった。

「後から掛け直したのか……!」

「犯人は犯行時刻を偽装した」

俺は床にしゃがむ。

薄まった血痕を指でなぞる。

冷たい。

「凶器は氷だ」

沈黙。

霧島が聞き返す。

「氷?」

「氷で作ったナイフ。刺した後、そのまま溶けた」

「……」

「だから凶器が消えた。能力犯罪に見せかけた普通の密室殺人だ」

霧島は長く息を吐いた。

「お前、本当に人間か?」

「だったら苦労しない」

その時だった。

机の上に置かれた写真立てが視界に入る。

被害者と、もう一人の男。

俺の動きが止まった。

男の首元。

そこに灰色の痣のような印がある。

嫌な記憶が脳裏をよぎった。

雨。

路地裏。

赤い血。

『逃げろ』

頭痛が走る。

俺は額を押さえた。

霧島が怪訝そうに見る。

「どうした?」

「……いや」

写真を手に取る。

灰色の印。

見覚えがある。

第零記録崩壊事件。

あの事件の資料に、同じ印が残っていた。

だが。

思い出せない。

いや、違う。

思い出したくない。

「黒瀬?」

霧島の声で意識が戻る。

俺は写真を戻した。

「この被害者、人間関係を洗え」

「何か分かったのか?」

「まだだ」

俺は部屋を出る。

雨音が強くなっていた。

マンションの外。

俺は自販機の前で立ち止まる。

冷たい缶コーヒーを買った。

開ける。

苦い。

ふと、視線が横へ流れる。

暗い自販機のガラス。

そこに映る自分の顔。

一瞬だけ。

違和感が走った。

誰だ。

今の顔。

知らない。

……いや。

知っている。

胸の奥がざわつく。

頭の奥で、誰かの声がした気がした。

『記録は残る』

雨音がそれを掻き消す。

俺は目を閉じた。

そして何事もなかったように歩き出す。

未解決事件は、まだ終わっていない。

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