皆が恐れた
恐怖の吸血鬼の家に着いてまず思ったのは、この家から見える月はとても美しいということ。
呑気にそんなことを思う自分に少し疑問の念も抱くが、小高い場所に建つ広いこの屋敷は、
今まで見ていたはずの景色をまた違う色に塗り替えるほど美しかった。
こんなに綺麗だったっけ
恐怖に立ち向かう自分に酔ってそう感じたような気がして少し痛い気もしたが、
その光が暗い空に浮かぶ黒い雲を少し照らして、360°立体的に見えるそれが本当に本当に綺麗で
少し子供っぽい涙が出そうだった。
さて、いくら感動的な景色を見ていたとてその大きな扉を叩くのには勇気が必要で。
門を開けるまではなかった汗が流れて更に緊張が増した。
ここを開くと、吸血鬼がいる。
自身が通っている学校は、世間一般的に言えば珍しいと言える“共学”の高校であった。
共学というのは、吸血鬼と人間が一緒に通う学校の事である。
ひとえに共学、と言っても他の共学の学校もそうだがクラスも棟も別々で。
一緒に活動できるのは部活くらいであった。
その部活動もも人間と吸血鬼が一緒に活動している部活は数少なかった。
自身は部活はたまたまだが吸血鬼がいない部活に入部をしたし、そもそも吸血鬼は夜の授業に出ることが多い。
そもそも、共学に通うのは驚かれる事である世の中で
吸血鬼が夜に授業を受けるのならば、わざわざもっと驚かれる夜の授業を選択する人間も少なかった。
そのため、自分自身は遠くの棟を窓越しに見て
あぁ、あの子たちが空を飛ぶのか。というような本当に1つ雲の上の住人。という感じだった。
共学に通うのは驚かれる事。と言ったが、最近の事件のせいでもっと驚かれている。
ーー事件。
自分が通っている学校でまさか起きると思わなかったが、本当にあった話で。
.......色々頭に巡って扉の前で長く考え込んでしまったがこんな理由で扉を引く手が思うように動かなかったのであった。
.......こんな調子で大丈夫なのか、この先短くても1ヶ月は居るはず場所に踏み入るのにこんなに体力を使って大丈夫なのか、なにか忘れ物はないだろうか、課題の締切、過ぎていなかっただろうか、部屋の電気は消しただろうか、メガネはちゃんと持ってきただろうか、爪切りなどは貸してもらえるのだろうか、部屋は個別なのだろうか、湯船などはある家なのだろうか、朝にアラームをかけたら迷惑だろうか、なにか手土産を持ってく
声も出なかった、本当に。
真上から降ってきた
声の主がいるであろう方向を恐る恐る見やると、
逆さまで僕の上を浮遊していた。
瞼の上から自身と年もそう違わなそうなキャッキャとはしゃぐ声とそれを窘める声が聞こえる。
薄目を開けると髪の明るい、まるで双子のような人影がこちらを見据えているのが見えた。
ゆっくりと目を開けると、
月夜に照らされて笑顔にキラリと八重歯が浮かぶ親しげな青年と、
申し訳なさそうに腕1本分先の距離で佇む青年が見えた。
似たようで性格は真逆にあるようだ。
食い気味にしゃがんで名前を教えてくれたおてんばな少年はチョンロというらしい。
続けてこの背の高いクールそうな青年はチソンというようだ。
チソン、と名乗る青年は手を差し伸べてくれた。
緊張から時を置いて手をとると、
その手は夜の澄んだ空気と同じだけ少し冷たかった。
吸血鬼流の歓迎方法にはかなり驚いたが、
“吸血鬼“と対峙することに対しての緊張が嘘みたいに無くなっていたため
こちらを気にせず飛んで帰るようなチョンロの性格が少しありがたくもあった。
ほぼ生まれて初めて入る洋館は
数メートル置きに置かれるロウソクの光と、月明かりで反射する程度しか視認出来なかったが、とても洗練されたものだった。
壁に飾られた絵画の凹凸が
揺らめく光に照らされて形を変えるように見える様子は昼にどう見えるかを想像させる。
しかし、ロウソクの光り方も空気の匂いも普段感じていたものと説明が出来ないが異なっていてこの優しげなチソンも人間では無いんだ。
そうだ、人間の血を飲むのだ。
と気づいてしまうと少しだけ背中に冷たい風が通った気がした。
思わず唾を飲み込む。
前をゆき、こちらを案内してくれていたチソンが振り向いた。
ブルーの瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!