低く、しかしはっきりとした声だった。
大きく響くわけじゃない。
けれど、その一言は、不思議なほど重く、深く、胸の奥に落ちてくる。
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた何かが、音を立てて切れた。
立っているのがやっとだった体が、限界を思い出す。
さっきまで無理やり押し込めていた疲労が、一気に押し寄せてくる。
それでも無理やり踏みとどまった。
成瀬は短く息を整え、即座に状況を伝える。
息を整えながら、必死にさっきまでの戦いを思い出す。
自分の知っていることを全て伝える。
全員が助かるためにーー
成瀬は炎の翼を広げ、一気にその場を離脱した。
戦場の中心に、象徴が立つ。
そして、成瀬は――
まだ、戦場の一角に残る“守るべきもの”の元へ向かっていた。
炎の翼が、静かに閉じられる。
熱を帯びていた空気がわずかに揺れ、成瀬はそのまま滑り込むように地面へと降り立った。
着地の衝撃を最小限に殺しながら、迷いなく一直線に向かう。
視線の先にいるのは、傷ついた相澤を運ぶ緑谷たち。
かすかに安堵を含んだ声。
だが、成瀬はそれに応じる余裕すら見せない。
短く、鋭く言い放つ。
そのまま膝をつき、相澤の状態を一瞬で確認する。
瞳孔の反応。呼吸の有無。脈拍のリズム。
視線と指先が、無駄なく情報を拾い上げていく。
一瞬の間。
成瀬は、顔も上げずに答えた。
その一言に、空気が凍った。
思わず緑谷が声を上げた。
だが成瀬は、苛立ちを隠す様子もなく吐き捨てる。
現実だけを、突きつける言葉だった。
同時に、成瀬の手はすでに動いている。
ヒーローコスチュームのポケットに手を突っ込み、取り出したのは小型の止血剤と包帯。
一切の迷いなく、処置に入る。
低く、押し殺すような声。
それが誰に向けられたものなのか、自分でも分かっていないような響きだった。
裂けた皮膚を押さえ、止血剤を振りかける。
傷口に直接触れる手つきは荒い。だが、的確だった。無駄がない。躊躇もない。
包帯を巻く手は速く、そして正確に締められていく。
その様子を、緑谷は言葉もなく見つめていた。
視線の先では——
オールマイトが、脳無と真正面から激突している。
轟音が響く。
衝撃波が、地面を抉る。
その圧倒的な光景に、誰もが息を呑む。
だが、緑谷だけは違った。
あの背中を、誰よりも見てきた。
あの強さの裏側も、知っている。
それでも立ち続けているだけだと、分かってしまう。
拳を握りしめる。
成瀬が顔を上げる。
次の瞬間。
緑谷が勢いよく走り出した。
躊躇も計算もない、ただ“行かなければならない”という衝動に突き動かされた一歩だった。
成瀬が反射的に立ち上がる。
考えるよりも先に、体が動いていた。
限界を超えて酷使された筋肉が悲鳴を上げるのも構わず、地面を強く蹴る。
視界が揺れる。
酸素が足りない。
それでも止まるわけにはいかない。
止めなければならないと、本能が叫んでいる。
あのまま行かせれば、間違いなく緑谷は死ぬ。
そう確信できるほど、あのヴィランは強かった。
だが、その直前——
爆音が、横から叩きつけられる。
空気が爆ぜ、熱風が頬を打つ。
次の瞬間、成瀬の視界を横切ったのは、一直線に突っ込んでいく爆豪の姿だった。
その動きには一切の迷いがない。
狙いは黒霧。
黒霧の能力は厄介だ。
空間を繋ぎ、距離という概念を無意味にする。
だが、弱点はある。
黒霧は全身がモヤなわけではない。
それを爆豪は見抜いていた。
掌から放たれる爆発が、連続して叩き込まれる。
衝撃が重なり、霧状の体が歪む。
そのまま黒霧を地面に押し倒す。
そしてーー
今度は別の声が響いた。
轟の足元から、凄まじい冷気が解き放たれる。
温度が急激に低下し、白い霧が地面を這うように広がる。次の瞬間には、それが全て氷へと変わる。
地面が凍りつき、ひび割れながら広がっていく。
その範囲は一瞬で脳無へと到達する。
脳無の巨体が、みるみるうちに氷に覆われていく。
筋肉の膨張すら無視するように、分厚い氷塊が絡みつく。
脳無の関節を封じ、動きを拘束する。
ほんの一瞬だが、それで十分だった。
その“隙”を、見逃すわけもなかった。
オールマイトがすぐに拘束を外す。
舌打ちが、静かに落ちる。
死柄木弔の目が細められる。
状況の変化を、瞬時に理解していた。
自分たちの優位が崩れたこと。
このままでは押し切られる可能性があること。
黒霧は爆豪に抑え込まれている。
モヤがあっても動けなければ意味もない。
死柄木の声に反応した脳無が氷の残骸を砕き、一直線に爆豪へと突進する。
体はグチャグチャなはずなのに、凄まじい速度で走る。
視認した瞬間には、すでに距離が詰まっていた。
成瀬が爆豪に向かって叫ぶ。
だが、間に合わない。
爆豪の反応速度をもってしても、この距離、この速度では間に合わない。
だが、次の瞬間。
オールマイトが爆豪を庇うように、その前へと立つ。
そして——
拳が、振り下ろされる。
轟音が響く。
空気が爆ぜ、衝撃が地面を抉る。
オールマイトの体が、そのまま吹き飛ばされる。
地面を削りながら、後方へと押し流されていく。
不気味にニタッと笑う死柄木はオールマイトに嘘を指摘されたことすら楽しそうだった。
オールマイトの真剣な声が響く。
だが、緑谷たちは一歩も引く気はない。
静かに轟がオールマイトに言う。
しかし、オールマイトは笑っていた。
明るく、力強く。
何も揺らいでいない声。
その一言で、空気が塗り替えられる。
戦場の中心が、完全にそこへ移る。
オールマイトが、構えた。
その姿だけで、理解させられる。
“次元が違う”と。
オールマイトは真正面から、脳無と殴り合った。
拳と拳がぶつかるたびに、衝撃が爆ぜる。
一撃で空気が裂ける。
二撃で地面が沈む。
三撃で空間が歪む。
連続する衝撃が、周囲すべてを巻き込みながら広がっていく。
最後の一撃。
全身の筋肉が、限界まで収縮する。
その全てを乗せた拳が、叩き込まれる。
爆発のような衝撃。
視界が白く弾け、土煙が巻き上がる。
次の瞬間、脳無の巨体が宙を舞う。
壁を突き破り、そのまま——USJの外へと消えていく。
オールマイトは、ゆっくりと振り返った。
視線の先にいるのは、死柄木。
吐き捨てるような言葉だった。
苛立ちと、理解しきれないものへの拒絶が混ざった声。
死柄木のその一言は、この場にいる誰もが感じている“差”を、そのまま言語化したものにも等しかった。
だが、それでも——
オールマイトは、微動だにしなかった。
希望という言葉を、強制的に現実へと引き戻す。
どれだけ不利な状況でも。
どれだけ追い詰められていても。
「この人がいるなら、大丈夫だ」と思わせてしまう。
理屈ではない。
ただ“そう信じさせる力”。
それこそが、オールマイトの本質だった。
だからこそ——
そこに立っているのは、ただのヒーローではない。
この世界そのものを支える“平和の象徴”だった。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!