喫茶店が最も忙しい時間帯と言っても過言ではないお昼時を終え、マスターのキラはカウンターにうつ伏せていた。いつもなら紅葉がお客さんに見える場所でだらしない態度を取るなとか言いそうだが、今紅葉はコーヒー豆の補充に行っている。今日はいつもよりも多く客が来たため、コーヒー豆の在庫が危うい。
数年前に開業した喫茶店。最初は一人ですべてのことを行っていたが、紅葉が加わってからは料理、食材調達、会計まで手伝ってくれるようになり、いつ俺の仕事がなくなるのかと結構焦っている。コーヒー豆の挽き方が分からなくて、提供しているコーヒーインスタントとバレたときはどうなるかと思ったが、それ以降は売り上げは右肩上がりである。
霊夢とかルビーは前来た時、異変の調査で忙しくなると言っていたし、ザキも霊夢やルビーが手が離せない時に他の妖怪退治とかの異変解決を手伝っているらしい。というか今日は紫霊も哀音も来ていない。結構な確率で来ているのに、どちらもいないとは少し珍しい。でももし、いたらいたでちょっかいかけてくるだろう主に紫霊。
こういう時、前の世界ならスマホがあったのにと思ってしまう。ただ、幻想郷には電波が繋がらないからあったとしても使えない。現代に比べ、娯楽が少ない。だから、暇な時間はとことん暇なのだ。幻想郷に住んでから割と時間が経っているが、やっぱり暇な時間というものは慣れない。
ふと顔を上げると、客席にぬいぐるみのテディベアが置いてある。家族連れの子供の忘れ物だろうか。次その客が来た時のために、店側で保管しておこう。そう思ってぬいぐるみを手に取ると、長く持っていたものなのか、ぬいぐるみのあちこちが糸で縫い直され、別の布で修復された形跡がある。
ぬいぐるみ、糸。
それで怖い話みたいなものなかっただろうか。誰かに話せば面白そうだ。どこかで聞いたような気はするが、肝心なその内容が思い出せない。
怪談。肝試し。動く。
思い出した。ひとりかくれんぼだ。
翌日の午前二時半を過ぎた頃。夏で日が落ちるのが遅いとはいえ、この時間帯は真っ暗だ。お店部分には明かりはをつけているといっても、窓の外は黒以外なにも見えず、不気味な雰囲気だ。
いつもならとっくに寝ている時間なのに、キラに今日の夜はやりたいことがあるからまだ寝ないでくれと言われ、素直に起きていた。それにもかかわらず、睡眠時間を削る理由が都市伝説をしたいというものであるため、怖いものが苦手な紅葉が嫌な顔をするのは無理もない。
眠たそうな目を擦り、机に並べられた道具たちを視線を向ける。ぬいぐるみに刃物、米に糸、塩水とこの並びを見るだけでかなり危険そうで怖く感じる。
ホラー耐性があまりない紅葉は深夜ということも相まって、かなりビビっている様子だ。キラもホラー耐性はない方だが、恐怖心よりも好奇心が強いのか、わくわくとした様子であることが見て取れる。
紅葉は四角い物体にモニターとダイヤルがついているものに指をさす。喫茶店でこのようなものなんて置いていなかったし、今までの人生で見たこともなかった。
昨日の今日でここまで用意してきたのだ。呆れを通り越してもはや凄いとまで思えてしまう。
紅葉はなんとかやめさせようと目論むが、どれも効果は薄そうだ。
ガッツポーズをし、早速準備に取り掛かろうとしている。まぁ、なにかあったときは、キラを盾にすればいいか、と思うのであった。
楽観的思考すぎる。というか、数年前に見た怪談は覚えているのに、何故未だにコーヒーの淹れ方が分からないのだろう、と紅葉は思った。そもそも幽霊に物理攻撃って効くのだろうか。
おそらく三十センチ程度の茶色のテディベア。ぬいぐるみにIQ2と名付けたのはきっと、無理やり降霊術に参加させられた腹いせが含まれているのだろう。
ナイフで腹部を切っていくと、中から綿が出てくる。詰まっていた綿をすべて取り出し、中に米を詰めていく。
紅葉は内心、そんなものまで必要なのかと思うが、ここまで来た以上引き下がるわけにはいかない。キラは切った爪のかけらを受け取り、二人分の爪を中に入れ、針と糸で縫い合わせた。
一説によると、縫い合わせた赤い糸は血管、そして中に詰めた米は内臓を意味していると言われている。
時計は開始時間の午前三時を迎える数分前にまで差し迫っていた。
そんな会話をしながら、二人はぬいぐるみを持ち、浴室へ行く。流石に浴室に二人も入れば、思いのほか窮屈だった。中にはすでに水を張った風呂桶が用意されていた。十中八九キラの仕業だろうが、そんなにひとりかくれんぼに興味があるのだろうか。いや、今やっているのはふたりかくれんぼだが。
言い終わったあと、水が溜まった風呂桶にぬいぐるみを入れる。米の重みでぬいぐるみは沈み、水に完全につかっていた。その影響で水位が上がり、ぬいぐるみの体積分、水は風呂桶から溢れた。普通、ぬいぐるみは水に入れても浮くのに勝手に沈んでいったところに恐怖を抱いた。
浴室からお店部分に戻った。紅葉は、あの不気味なぬいぐるみから少しの間だけでも離れられたことにほっと息をついた。
そう言って、家全体の明かりを消し、ほとんど見えなくなってしまった。
キラが懐中電灯をつけると、真っ暗でもかなり見やすくなった。その明かりでブラウン管テレビを照らす。
紅葉は懐中電灯を受け取り、キラの方は右についているダイヤルを回している。ガチャガチャと何回か回したとき、画面が点滅してついた、とかと思えば急にザーッという耳障りな音とともに画面も白と黒の灰色の、本当に砂のような画面が映し出された。
浴室のぬいぐるみは自分たちの記憶のまま。動いたような形跡もない。キラはそのぬいぐるみを手に取り、持ってきた刃物で体を刺していく。何度も何度も。傷みつけるように。
最初は腕。二回目は足。三回目は耳。四回目は腹部。五回目は頭。刃物で傷口を抉るように開かせる。奥に届くよう、深く深く突き刺していく。内臓はボロボロと床にこぼれ落ちる。水につかっていたせいか、生ぬるい内臓は肌に触れると神経が粟立つような、そんな気色悪い感覚がした。血管はもう意味をなしておらず、片腕がぼとっと肉が地面に落ちたような音がした。
紅葉は床に落ちた肉を踏みつけていた。気持ち悪いから。肌に触れるのは気色悪いのに、気持ち悪いから肉を踏みつける。
ぬいぐるみに声帯がなくて良かった。
紅葉は足についていた米を手で払い、風呂桶の水で床に溢れた米を流しきった。
深夜帯というのにわいわいと騒ぎながら風呂場をあとにした。
二人は気が付かなかった。放置されたぬいぐるみの腕がまるで自分の意思を持ったかのようにピクリと動いたことを。
塩水が置かれている場所と言われ、キラに案内されたのは厨房の扉付きの収納スペースだった。この場所はキラが喫茶店を開業するよりも前の頃、食材を保存する目的で作ったものだ。
しかし、冷蔵庫と戸棚があれば店を回すことができ、繁盛してきた今でも使う機会は来ていない。そのスペースは想像よりも案外広く、二人が縮こまれば、少し余裕ができる程度だ。外側の扉から見れば、二人分入れるような大きさには見えない。そのうえ、風呂場から厨房は家の中でも距離があり、ぱっと見では扉は分かりにくい見た目で作られている。案内されるまで紅葉もこの収納スペースの存在は知らなかった。隠れ場所ではかなり都合が良いと思う。
収納スペースの中に入ると床や隅には紅葉の言う通り、埃がだいぶ溜まっている。紅葉が床に指の腹を滑らせ、集まった埃の量でどれだけ汚いかがうかがえる。キラも最後に掃除をしたのなんて年末の大掃除時点で途切れている。飲食店なんだからちゃんと掃除しないと、虫とかネズミが湧くよ?と、紅葉に説教をされた。
人里の端の方とはいえ、静かにするという考えはないのだろうか。それよりも、話している声で見つかってしまったら元も子もないというのに。
あれから体感数十分だろうか。そのくらい経過してもぬいぐるみが近づいている気配も足音もしない。
キラはうつむき少し考えたあと、一つの提案をした。
キラの言い分は扉を開けたら、ぬいぐるみの物音などが聞こえるかもしれないからと言っていた。それと、怖い思いをするくらいなら、思いっきりする方がいいとも言っていた。理由の大半は後者の気がする。人間、恐怖心と好奇心ならば、案外好奇心の方が勝ったりしたりするものだ。
勿論、紅葉は反対していた。音や姿で見つかったらどうするのだと。しかし、音なら今まで散々、大声で話していたし、姿が原因なら、遅かれ早かれ見つかるとキラに言われてしまった。紅葉は反論できず、結局、扉を開けることにした。
数十分以上狭い空間に籠もっていたせいか、扉を少し開けると、床の方からひんやりとした風が入り込み、急な冷気に背筋がぞわっとするような感覚がした。
その瞬間、二人は身震いした。
誰もいないはずなのに、足音がした。ゆっくりと、一歩ずつ。
その足音の主は、明確にこちらに向かっているわけではない。実際、音自体小さく、歩くスピードも遅い。だが、あいつは確実に探している。
数歩進んだ。店の椅子が倒れる音がした。
数歩進んだ。倒れた椅子を直す音がした。
数歩進んだ。飲食スペースと厨房を仕切る、カウンタードアを通った音がした。
数歩進んだ。食器棚が開く音がした。
数歩進んだ。布が擦れる音がした。
近づいている。着実に。お互いに顔を見合わせた。心拍数は速度を増し、冷や汗は止まらない。影が見える。大きな影が。幽霊だろうか。
見つかってしまう。キュッと目を瞑り、覚悟した。
扉が開いた。
ふっと顔を見上げた。暗闇の中で姿が見えない。だが、二人は誰か確信した。よく聞いてきた仲間の声。
紅葉は恐怖のあまり、目元には涙が溜まっており、キラも手の震えが抑えられていない。
キラと紅葉は収納スペースから出て、お店の電気をつけると、やっと生きたような心地がした。
困惑したザキに、拙いながら震えた声でキラは事の経緯を説明した。
短い説明で所々、うまく言えない部分があったが、ひとりかくれんぼをしていたと言うと、すぐに理解した。流石の理解力である。
ただの偶然だが、こちらの不注意が功を奏したのだろう。
ザキは、事情を聞いて自ら危険な目に遭いにいったキラと紅葉を叱るつもりだったが、二人があまりにも恐怖で怯えているのを見て、その気力は消えてしまった。こんな怖い思いをしたのならば、きっとこのような真似はしないだろうし、叱るのは明日以降いくらでもできる。今する必要はないと判断した。
ザキは案外押しに弱い。それに加え、怯えた仲間の姿。
そんな二人を見捨てるわけにもいかず、結局、ザキは泊まることになったのだ。
店から部屋まで大して距離はないというのに、二人はザキの両腕にしがみつき、ふらつきながら歩いている。その様子を見てザキは、今日は泊まって正解だったな、と思う。
歩くのが早いだとか、電気を消したため、真っ暗で怖いだとか言っていたが、さっさと部屋に向かった。
部屋に入ると、キラはすぐにドアを閉め、なんなら鍵も閉めた。
部屋はそこまで広くないため、ベッド、ソファー、机と最小限の家具ぐらいしか置かれていない。
ベッドはシングルサイズで、ソファーはひとりくらいしか寝るスペースがない。ベッドに三人で寝ることはできない。そうなれば、二人で寝ることになる。しかし、付き合っていないのに異性で同じベッドに寝るというのも気が引けるし、男二人の体重を支えきれるかという問題がある。
三人で話し合った末、ベッドに紅葉、ソファーにザキ、机にキラが寝るという結論に至り、ようやく安心して目を瞑るのだった。
日が昇り始めた頃、キラ、紅葉、ザキの三人が目覚める前。ぬいぐるみ……それとも、幽霊だろうか。それは内臓がこぼれながら、たどたどしい足取りでなにかを探していた。建物をくまなく探しきった。だが、一つだけ、探していないところがあった。鍵のかかった部屋。どこ部屋も鍵は掛かっていなかったというのに、その部屋だけかかっていた。
ドアを叩いた。
ドアを殴った。
壊そうと動いた分だけ、内臓が落ちてくる。きっとこの部屋に隠れているはずなのに、力がないからこのドアすら壊せない。隠れている奴はその気になれば、ドアもぬいぐるみも壊せるというのに。非力だ。だが、ずっと籠もっているわけではない。きっと近いうちに出てくる。そのとき、ドア一枚越しに鬼がいるとは思うまい。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。