最初は、本当に些細なことだった。
いつも通りの昼。
いつも通りのカフェ。
いつも通り向かいに座るあなた。
特別な日じゃない。
約束していたわけでもない。
たまたま予定が合ったから昼を一緒に食べているだけ。
それなのに。
「聞いてる?」
あなたが言った。
「聞いてるよ」
フランシスはコーヒーを口に運ぶ。
嘘だった。
半分くらいしか聞いていない。
最近こういうことが増えた。
あなたといると、話の内容より表情を見てしまう。
何を考えているのか気になる。
何が面白くて笑ったのか気になる。
別に珍しいことじゃない。
仲の良い友人なら普通だ。
たぶん。
きっと。
「それでさ」
あなたは続ける。
「昨日出掛けてたんだけど」
「へぇ」
「久々に映画館行った」
「いいじゃん」
そこで話は終わると思った。
終わればよかった。
「知り合いに誘われて」
フランシスの手が止まる。
ほんの少しだけ。
自分でも気付かないくらい短い時間。
「ふーん」
「面白かった」
「よかったね」
自然。
完璧。
我ながら完璧な返事。
そのはずだった。
「その人、映画好きなんだって」
「へぇ」
「結構話合うんだよね」
「へぇ」
なんだその返事。
自分でも思う。
でも他に言葉が出てこない。
あなたは気付いていない。
気付かなくていい。
「あとさ」
まだ続く。
「背高かった」
「へぇ」
「優しいし」
「へぇ」
「面白いし」
「へぇ」
「……」
「……」
あなたが首を傾げた。
「へぇしか言わないじゃん」
フランシスは笑う。
反射だった。
「そう?」
「そう」
「ちゃんと聞いてるよ」
「聞いてないだろ」
聞いている。
だから困っている。
聞いているから。
妙に面白くない。
理由は分からない。
別に恋人じゃない。
束縛する権利もない。
そもそも何に引っかかっているのかすら分からない。
「今度また遊ぶ約束した」
あなたが言う。
その瞬間だった。
「へぇ」
反射で返事をしたあと。
なぜか。
本当に意味もなく。
「そんなに楽しかった?」
口から出た。
自分で驚く。
あなたも驚く。
「え?」
「いや」
フランシスは慌ててコーヒーを飲む。
「なんでもない」
なんでもなくない。
なんだ今の。
聞く必要あった?
なかっただろ。
なかった。
絶対なかった。
あなたは少し不思議そうな顔をしたが、特に気にせず話を続けた。
助かった。
本当に。
助かった。
⸻
その日の夜。
フランシスは自宅にいた。
シャワーを浴びて。
髪を乾かして。
ワインを開ける。
いつもの夜。
何も変わらない。
何も。
「……」
変わらないはずなのに。
落ち着かない。
ソファに腰掛ける。
ワインを飲む。
考えないようにする。
失敗する。
あなたの話が頭に浮かぶ。
映画。
背が高い。
優しい。
面白い。
また遊ぶ。
「……」
沈黙。
「だからなんなんだよ」
ぽつりと呟く。
誰も聞いていない。
聞いていたら困る。
自分でも意味が分からない。
あなたに友達がいる。
当たり前。
知り合いがいる。
当たり前。
誰かと遊ぶ。
当たり前。
何一つ問題はない。
なのに。
「なんか」
グラスを回す。
「面白くない」
言葉にしてみる。
やっぱり意味が分からない。
何が面白くないんだ。
何が。
しばらく考える。
答えは出ない。
だから。
出ないまま終わらせることにした。
「まあいいか」
そう呟く。
ワインを飲む。
終わり。
それで終わりのはずだった。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!