暴力表現がありますので、
苦手な方はバックをお願いします
ここは、バンカラの郊外のあるマンション街。
バンカラに着くには、ここから2時間ほど
電車を乗り継がなくてはいけないのだ。
私だって、一度は都会であるハイカラシティに近い、
"ヒラメが丘団地"に住んでみたい。
でも、"ヒラメが丘団地"は最近改修工事をして
活気的になった人気の場所。
私に、いや……私の家族に、
そんな場所に住めるほどのお金なんてないのだ。
ドアを開ける。
返事は無い。
そのかわり、リビングから
バタバタと玄関へ向かう足音が聞こえた。
…私の母だ。
馬鹿か。汗水垂らして必死に稼いできてる私と、
働きもしないでただただ時間を無駄に浪費している
お前が"同じ"?
頭のネジでも外れてるんじゃないか。
その言葉をぐっと堪え、
私はカバンから封筒を取り出した。
中には、今日稼いだ分のお金が入っている。
私はその封筒を、リビングへと続く廊下に投げ捨てた。
母は封筒を拾い、中身を確認する。
バシンッ……!!
鈍い痛みが、私の頬に走った。
母が私の頬を叩いた音が、廊下に響く。
私はドアに体を打ち付けるようにして、倒れ込んだ。
罵声。母親の怒鳴り声が、私の頭に反響する。
何を言っているんだこのヒトは。
家族3人分の生活費を稼いできてるのは私なのに。
花の高校生活を全て捨てて、
身を投じて働いているのは私なのに。
なのに、何故、私がこんなにも
酷い扱いを受けなくてはいけない…?
母親は私の横腹を足で思い切り蹴った。
私は蹴られた横腹を押さえながら蹲る。
痛い。痛いに決まっているのに、
何故か慣れているかのような気さえする。
もう、本当に痛いのかも分からなかった。
母はお金の入った封筒を握りしめると、
私に背を向けリビングへと歩いていく。
リビングから、冷ややかな顔でこちらを覗く弟が見えた。
私の家は、3人家族。
私と、母と、弟。
弟は私の2つ下の中学2年生。
父親は、弟が産まれるひと月前に、
女遊びをし家を出て行った。
母親が変わってしまったのは、そのときからだった。
昔は誰にでも優しくて、親切で…
私の自慢のお母さんだった。
でもきっと、それは表の顔。
母親は、最初から私を利用する気しか無かった。
弟の名前は、"陽向"。
そして、私は"美陰"。
私の名前を付けたのは母。
最初から、私の未来は決まっていたのだ。
家族の生活の為に利用される私と、
母親に愛される弟。
陰のように暗い道を歩き続ける私と、
光の当たる未来へ歩を進める弟。
何をしたって、この"常夜"からは逃げられない。
だから私は誓った。「自分の弟を守る」と。
優しくて可愛くて、私の大好きな弟。
彼は母親にも、父親にも似ず、女の子のような可愛らしくて端正な顔を持っている弟。
母親はそんな可愛い弟が大好きだった。
ぱっちりとしたその瞳だけは私に似ている…はずなのに、
姉である私には見向きもしなかった。
私の顔は、別に端正でもなんでもない。
ただの普通のインクリング…それが母には気に食わなかったのだろう。
弟は虐げられている私を心配してくれた。
いつも、「大丈夫?」と声をかけてくれていた。
いつも、母親に殴られた私の手当てをしてくれていた。
憎い、だなんて思ったことは無い。
陽向さえ居なければと、なんて考えたことなど無い。
陽向が産まれなくたって、私の未来は私が産まれたその瞬間から決まっていたのだから。
だからむしろ、陽向が産まれてきてくれたことに感謝している。
私の心の拠り所。
陽向が励ましてくれていなかったら、
何度挫折したことだろう。
何度、死のう、と思ったことだろう。
陽向が居てくれるから、私は生きていられる。
陽向が、私に冷ややかな目を
向けるようになったとしてもーーーーー
陽向と話したのは久しぶりだ。
しかも、陽向の方から話しかけてくるなんて。
最近、話しかけても陽向には無視されていた。
何かあったのかと思ったが、
…陽向が発したのは信じられない言葉だった。
嘘だ。陽向がこんなこと言うはずない。
こんな、こんな、あの母親みたいなーーーー
陽向は私に背を向けリビングへと入っていく。
陽向は振り向きもしなかった。
廊下に、またもや静寂が訪れる。
私は目を見開いたまま、
その場でただ呆然と、廊下の奥を見つめる。
いつの間にか私の目からは、
大粒の涙がこぼれ落ちていた。
私の涙が、膝を濡らす。
それでも、私は…弟のために。
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私はクマサン商会で、春風と談笑していた。
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この間、春風に言われた言葉だ。
春風は私の弟子にして欲しいと頼み込んできた。
"白昼のアルバイター"を卒業するために、
私に手伝って欲しい…と。
まだ、答えは出ていない。
私なんか何にも教えられないから、
というのを口実に。
本当は、迷っているんだ。
春風は大切な友達で、個人的なことをいえば、
勿論春風と一緒にバイトしたいし、
春風が成長する手伝いをしたいに決まってる。
でも、これは個人的な判断だけじゃ決まらない。
脳裏に浮かぶのは、昨日の弟の顔。
「もっと稼いできて」と呟くその声が、
頭から離れない。
陽向が望むなら、私はーーーーーーー
春風は優しい笑顔を浮かべる。
本当に、私を慕ってくれていることが伝わってくる笑顔。
ハルが一瞬顔を曇らせた気がしたが、
それも気のせいだろう。
今は大学生なんです、とハルは微笑む。
ハルのその笑顔は、家族の温かさが
ひしひしと伝わってくるような穏やかな温顔。
少し、嫌気がさしてしまった自分がいた。
あぁ、なんだ。
ハルは"そっち側"のヒトか。
何不自由なく、家族と、友人と、
幸せに暮らせる選ばれしヒト。
私とは真反対の人生を歩んでいくヒトーーーーー
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同じインクリングなのに、
なぜ私と彼女はこんなにも違うのだろうか。
私がもしも"ハル"として産まれていたなら、
こんな思いを持つことは無かったのだろうか。
そこまで言って、はたと気づく。
私はーーーーー今、何を言っていた?
目の前で目を見開き涙をためている彼女を…
ハルを傷つけたのは、誰?
ハルは私に向かって頭を下げると、
バイトツナギのまま扉を押し外へ走り出した。
ハルの流した涙の跡が、クマサン商会の床に残っていた。
何が「違う」、だ。
ハルを呼び止めるための嘘でしかないのに。
本心は、そう思ってたくせに。
そう思いながらも、私は止まずハルの名前を叫び続ける。
この声は、もうハルには届かない。
ハルはなんにも悪くないのに、
逆恨みして、酷いこと言って……
あぁ、やってしまった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。