第7話

我慢
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2026/03/16 23:37 更新

sm side


バーを出ると、夜の空気が少し冷たい。

リノさんは僕の隣を静かに歩いている。

リノさんとなら沈黙だって不思議と気まずくない。むしろ落ち着く。

ふとリノさんがよろけた。
スンミン
……あ


足元が少しふらついている。

さっき酒を飲んでたから、酔っている様子。

反射的にリノさんの手を掴むと、小さくて少し冷たかった。

スンミン
危ないですよ


そう言いながら、手を離さない自分がいる。


正確には、離したくない。


手を少し強く握ると、リノさんは驚いた顔で僕を見る。

スンミン
酔ってるでしょ
スンミン
家まで送ります


リノさんは少し迷ってから、小さく頷いた。

そのまま波の音を聴きながら歩き出す。

手は繋いだまま。

リノさんが少しだけ手を握り返してくる。


その瞬間、胸がどくん、と鳴った。


……やばい、今すごく嬉しい。


リノさんを見ると、頬を赤く染めて、潤んだ目でこっちを見ていた。

目が合って、自然と足が止まる。

距離が少しだけ近くなる。


雨の日の記憶
お互いの体温、濡れた目、そして


リノさんの唇


気づいたら、また見てしまっていた。


ダメだ。


僕は小さく息を吐いて、目を逸らす。
スンミン
僕、さっきの男より
スンミン
危ない奴かもしれないです


冗談っぽく言おうとしたのに、自分の心臓は全然冗談じゃないくらいうるさい。


それでもリノさんは、僕の手をぎゅっと握って離さなかった。


むしろ、少しだけ指を絡めてきた。


スンミン
……


心臓が止まるかと思った。

リノさんを見ると、目がとろんとしてる。
これ、絶対酔ってる。

酔ってる体重が、腕に乗ってきた。

柔らかい。

ぐっと完全に体が近づく。

息がかかる距離。

リノさんが少しだけ顔を近づけてきた。


スンミン
……っ


心臓が暴れる。

これ以上はやばい、本気で。

僕はとっさにリノさんの肩を支えた。

スンミン
はい!リノさん歩きますよー


リノさんの肩を抱き、半ば強引に歩き出す。
それ以上考えたら色々と終わる気がした。


ーー


数分後、リノさんのフラフラな誘導を手掛かりに、リノさんのアパートと思われる建物の前に着いた。


スンミン
ここですか?リノさんの家


そう言うと、リノさんはこくんと頷き、ゆっくり握っていた僕の手を離す。

手にリノさんの熱の余韻が残っていて、名残惜しい。

リノさんがエントランスに入った、と思ったら…

くるっと振り返り、こちらに近づいてくる。

そして僕の袖を軽く引いた。

スンミン


リノさんはまたメモ帳を出す。
少しだけ時間をかけて書いて、見せる。


「上がっていかない?」


思考が止まった。




スンミン
……え?


僕は一瞬、本気で固まる。

リノさんはちょっと照れた顔で、次の行を書く。

「酔ってるから」
「送ってくれたお礼」

……それは

それは、ダメだろ!


僕は顔を覆いたくなるのをこらえる。



スンミン
……リノさん…
スンミン
それ、僕を試してます?


リノさんは潤んだ目で僕を見ながら首を傾げる。たぶん本気で酔ってる。


……いや、ちょっとだけ確信犯な気もする…


僕はゆっくり息を吐いた。



スンミン
…少しだけですよ


その瞬間、リノさんの顔がぱっと明るくなった。


嬉しそうに僕の腕を引く。


階段を上がり、リノさんの部屋の前に立つ。
リノさんは少しふらつきながら鍵を開けた。

スンミン
…お邪魔します


玄関に入ると、僕達の後ろでドアが閉まる。

部屋の中はほとんど何もなくて、最低限の簡易的なベッドと小さなテーブル、クッションくらい。

柔らかい香りが広がっていて、たぶん柔軟剤とか、そういう香り。
なぜか落ち着く。

リノさんは靴を脱ぐと、そのままふらっとベッドに座り込んだ。

スンミン
大丈夫ですか?


僕が水でも持ってこようかと思った瞬間、袖を引かれた。

スンミン


振り向くと、リノさんが僕のシャツを掴んでいる。


上目遣いで酔ってる顔。


……やめてほしい


心臓に悪すぎる。


リノさんは座っているベッドを軽く叩いた。
スンミン
ここに座れってことですか?


リノさんがこくんと小さく頷く。


……断る理由、ないよな。


僕は少し距離を取ってベッドに座らせてもらう。

するとリノさんは、僕の方へ少し体を寄せた。

近い、ものすごく。

そしてメモ帳に書く。

書き終わると、僕の目の前に差し出した。

「スンミン」

名前。
それだけで、胸が変にざわつく。

スンミン
…はい


次の行を書く。

「本当に優しいね」

スンミン
…優しくないですよ
スンミン
必死に我慢してるだけです…


何を我慢してるのかと自分の言葉に疑問を抱き、頭を抱える。

リノさんは目を丸くし、それから、ふにゃっと柔らかく笑う。

またメモに書く。


リノさんは僕の肩に少し触れながら書いてる。リノさんの香りがする。


……やばい


完全に理性が削られていく。


メモが差し出される。


「何を?」


スンミン
……


僕は一瞬、天井を見た。
もう隠すの無理だ。

スンミン
…キス
スンミン
我慢してます


リノさんの手が止まる。
そのあと、ゆっくり書く。



「どうして?」




その質問に僕は思わず笑ってしまった。



スンミン
どうしてって


僕はリノさんを見る。

海を映したようにキラキラと澄んだ純粋な目に僕が映っている。

スンミン
リノさんが酔ってるからです
スンミン
無理にしたくありません


リノさんは少し考えて、ゆっくり書く。

そして、僕の胸のあたりにメモを押し当てた。

「酔ってなかったら?」

……

一瞬呼吸が止まる。
僕の心臓が一気に跳ねる。


畳み掛けるようなリノさんの質問攻めに、すっかりペースを持っていかれてる気がした。



スンミン
……リノさん、それ


僕はメモを持つリノさんの手首を軽く掴む。
まるで逃がさないように。

スンミン
聞いちゃダメなやつです


リノさんはじっと僕を見る。


逃げない、むしろ─
少しだけ顔を近づけてくる。


息がかかる距離

……ダメだ
完全に限界


僕はリノさんの顎に手を伸ばしかけて、止める。


目を閉じて、深く息を吐いた。

スンミン
…無理
スンミン
これ以上は、本当に無理


リノさんは少し驚いた顔をした。



スンミン
僕、あなたのこと



言いかけて止まる。


リノさんは僕を見ている。真っ直ぐに。

けれど、今酔っているリノさんに伝えるべきではないと飲み込む。

スンミン
とにかく
スンミン
もし今キスしてしまったら、もう止まれないです

するとリノさんは、ゆっくりメモを書き、そして僕に見せる。

「じゃあ」



次の行





「今日は我慢ね」



リノさんは小さく笑って、こてんと僕の肩にもたれた。

リノさんを見ると、充電切れかのように瞼を閉じている。

僕は天井を見上げて呟く。
スンミン
……本当に危ない人


リノさんが落ちないように、そっと肩を抱いた。










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