第25話

🦋終章 再び、蝶の舞う場所で
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2025/10/20 14:00 更新
 風が静かに頬をなでた。
 薄桃色の光が世界を包み、目を開けると――そこは藤の花の庭だった。

 見渡すかぎりの藤が揺れている。
 蝶の羽音が、柔らかく空気を震わせていた。

 栗花落カナヲはゆっくりと息を吸い込む。
 胸の奥まで透き通るような空気。どこかで聞いたことのある風の音。
 けれど、もう痛みも苦しみも、何ひとつない。

 「……ここは……」
 小さくつぶやく声が、風に溶けた。

 そのときだった。

 「ようやく来たのね、カナヲ。」

 懐かしい声が、背後から響いた。
 振り返ると、そこに――カナエが立っていた。
 藤の花びらが光に溶けながら、彼女の髪をやわらかく照らしている。

 「……カナエ姉さん……!」
 涙がこぼれるより先に、カナヲは走り出していた。
 あの日と同じ笑顔。あの日と同じ腕の温もり。
 抱きしめた瞬間、心の奥に広がったのは、ただ穏やかな安心だった。

 「おかえりなさい、カナヲ。」
 カナエの声は春の陽のように柔らかい。

 「……カナエ姉さん、しのぶ姉さんは……?」
 その問いに答えるように、藤の花の奥からもうひとつの影が現れる。

 「ずいぶん待ったのよ。」
 しのぶが微笑んでいた。風に桃色の蝶が舞い、彼女の肩にとまる。

 「しのぶ……姉さん……!」
 声が震える。涙が頬を伝い、しのぶはそっとその涙を拭った。

 「泣かないで、カナヲ。ここはもう、痛みのない場所よ。」
 「……はい……」
 「あなた、本当によく頑張りましたね。」
 「……全部、二人が教えてくれたからです。」

 カナエがふわりと笑う。
 「あなたが生きてくれたおかげで、蝶屋敷も、つむぎちゃんも、幸せになれたのよ。」
 「ええ、私たちはずっと見ていました。」と、しのぶも続けた。
 「あなたが小さな子たちの髪を結い、笑顔を絶やさず働く姿を。」

 カナヲは唇を噛んで、静かに頷いた。
 涙は止まらないけれど、それは悲しみではなく、確かな安堵だった。

 「また……三人で過ごせるんですね……」
 カナヲの声は震えていた。

 カナエは微笑み、しのぶと目を合わせる。
 「ええ、もう離れないわ。」
 「これからはずっと一緒に。」

 三人の肩に、蝶が一羽ずつ舞い降りた。
 藤の花が光を浴びてきらめき、空の端に黎明の色が広がっていく。

 もう夜は明けた。
 もう、誰も失わない。

 穏やかな風の中、三人は寄り添いながら歩き出す。
 その足音は軽やかで、どこまでも優しかった。

 ――永遠に続く、朝の中を。
終章 黎明(れいめい)幕明
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