風が静かに頬をなでた。
薄桃色の光が世界を包み、目を開けると――そこは藤の花の庭だった。
見渡すかぎりの藤が揺れている。
蝶の羽音が、柔らかく空気を震わせていた。
栗花落カナヲはゆっくりと息を吸い込む。
胸の奥まで透き通るような空気。どこかで聞いたことのある風の音。
けれど、もう痛みも苦しみも、何ひとつない。
「……ここは……」
小さくつぶやく声が、風に溶けた。
そのときだった。
「ようやく来たのね、カナヲ。」
懐かしい声が、背後から響いた。
振り返ると、そこに――カナエが立っていた。
藤の花びらが光に溶けながら、彼女の髪をやわらかく照らしている。
「……カナエ姉さん……!」
涙がこぼれるより先に、カナヲは走り出していた。
あの日と同じ笑顔。あの日と同じ腕の温もり。
抱きしめた瞬間、心の奥に広がったのは、ただ穏やかな安心だった。
「おかえりなさい、カナヲ。」
カナエの声は春の陽のように柔らかい。
「……カナエ姉さん、しのぶ姉さんは……?」
その問いに答えるように、藤の花の奥からもうひとつの影が現れる。
「ずいぶん待ったのよ。」
しのぶが微笑んでいた。風に桃色の蝶が舞い、彼女の肩にとまる。
「しのぶ……姉さん……!」
声が震える。涙が頬を伝い、しのぶはそっとその涙を拭った。
「泣かないで、カナヲ。ここはもう、痛みのない場所よ。」
「……はい……」
「あなた、本当によく頑張りましたね。」
「……全部、二人が教えてくれたからです。」
カナエがふわりと笑う。
「あなたが生きてくれたおかげで、蝶屋敷も、つむぎちゃんも、幸せになれたのよ。」
「ええ、私たちはずっと見ていました。」と、しのぶも続けた。
「あなたが小さな子たちの髪を結い、笑顔を絶やさず働く姿を。」
カナヲは唇を噛んで、静かに頷いた。
涙は止まらないけれど、それは悲しみではなく、確かな安堵だった。
「また……三人で過ごせるんですね……」
カナヲの声は震えていた。
カナエは微笑み、しのぶと目を合わせる。
「ええ、もう離れないわ。」
「これからはずっと一緒に。」
三人の肩に、蝶が一羽ずつ舞い降りた。
藤の花が光を浴びてきらめき、空の端に黎明の色が広がっていく。
もう夜は明けた。
もう、誰も失わない。
穏やかな風の中、三人は寄り添いながら歩き出す。
その足音は軽やかで、どこまでも優しかった。
――永遠に続く、朝の中を。
終章 黎明(れいめい)幕明
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編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。