第12話

92
2020/10/19 15:08
東と会わなくなって、もう1週間。
病室前に足音が響く度に、また、期待をしてしまう。もうそろそろ来てもいい頃なのに。なんて思っても、何も起こらずに一日は過ぎていく。
檜谷 裕二
檜谷 裕二
そんなに焦らすなって……
こんな気持ち、人に抱いたことなど1度もなかった。いつも一人で生きてきた自分は、人に頼ることを知らない。

「もしもこの呪縛から解き放たれたら」
ノートにそこまで書いて、手を止める。

なんだか薄っぺらいラブソングになりそうな気がして、ふと消しゴムを持ち上げる。
檜谷 裕二
檜谷 裕二
…もし自由になったなら、
檜谷 裕二
檜谷 裕二
俺は、素直に直樹の所へ行けるのかな


と、その時だった。
誰かが檜谷の病室の前で足を止めた。

その筋肉質な体は、
その180もあろうかと思われる体は、


急に、檜谷の鼓動が早くなる。
どういう顔をすれば────
東 直樹
東 直樹
っ、久しぶり。
檜谷 裕二
檜谷 裕二
直樹。
慌てて、またいつものように笑顔を取り繕う。まだ、まだ違う。直樹とはただの親友以上の関係。リア充を満喫したいから、付き合ってるだけだ。
そう自分に言い聞かせて、必死に感情を隠した。
東 直樹
東 直樹
ご、ごめん。手術の後って、あんまり面会しに行かない方が良かったなと思って……
檜谷 裕二
檜谷 裕二
ううん、別に謝んなくてもいいよ。直樹には見せたくないような傷もあったから…
でも────
でも、と呟いて口を噤む。
…出来れば本心は口にしたくなかった。直樹に忖度してると思われるかもしれなかったし、なにより自分がおかしくなりそうでなかなか声に出せなかった。
しかし、言ってしまった手前、続けるしか無かった。
檜谷 裕二
檜谷 裕二
……寂しかったな、って…
東 直樹
東 直樹
……
直樹が少し顔を俯ける。
俺は感じていた。また「ごめん」って言うのだろうと。
付き合い始めてから、というか俺が入院してから、直樹はいつも謝ってばかりいる。俺が病人だから心配させたくないだけかもしれないけど、正直あまり好きではない。
今まで沢山喧嘩して、本気でぶつかり合ってきた仲だ。思い切り自分の言いたいことを言えばいいのに、直樹の口から出てくるのはいつも、感情の埋め合わせみたいな「ごめん」。それに俺は、微かな違和感を感じていた。



だから今日くらいは、せめて手を握るとか、してくれればいいのにって。


でも、やっぱ駄目なんだなって。




そう思ってた。




だけど────
直樹はゆっくりとこちらに歩み寄ると、ぐっと唇をかみ締めて、そのまま、






ふわりと、俺を抱き寄せた。
檜谷 裕二
檜谷 裕二
っ…
まるで俺をなだめるように、壊れ物を傷つけないように体を寄せる。大きくて黒くなった片方の手を腰にまわし、もう片方で俺の頭を、患部に触れぬようゆっくりと、繊細に撫でる。Tシャツの僅かな洗剤の匂いが、俺の鼻腔をくすぐった。



直樹は、「ごめん」なんて言わなかった。
それだけで、ドキドキした。
あぁ俺は愛されてるんだな、って思った。


けど、




直樹の背中に手をまわすことは、出来なかった。






俺は、直樹が嫌いだ。嫌いにならないと──
自分が、おかしくなるから────

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