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第1話

号室の憂鬱
981
2022/05/12 06:21



四季涼雅(25)
精神科の医者

椚みなと(25)
精神科の患者

元同級生、幼馴染設定


❤️side












今日の彼は誰なのだろう?

そんな事を考えながらぼんやりと天井を眺めていたら、設定していたアラームの音がけたたましく鳴り響いた。




いつもの様に準備をして家を出た。
通い慣れた道を歩き、電車に乗り継ぎ彼の元へ向かう。
そんな休日のある日。
朝だと言うのに空は酷く澱んでいて、何だか気分が重い。

目的地に到着する頃には少し雨が降り始めていた。
帰りには止んでいたらいいのだけれど。

いつも通り受付の看護師と軽い挨拶を交わし、事務所の中へ入る。
定位置に掛かっている鍵の塊を手に取り、事務所を後にした。
通路の奥にある重苦しい扉を解除し、職員のみが通れる裏口の階段を降りてゆく。

階段を降りきった所にあるもう一つの重苦しい扉の鍵も解除し、中へ。
いくつも並ぶ牢屋の様な部屋の前を歩く。
鉄の扉の前をいくつか超えて、一番奥にある扉の前で立ち止まった。

重苦しい扉の鍵を解除し、中へ踏み入れる。

中は簡易なベッドと、剥き出しのトイレのみという四畳程のシンプルな部屋だ。

ベッドの上に座って、ぼんやりと何処かを見つめている彼の姿を見て、微笑む。

「おはよう」

こちらには気づいていないのか、ぼんやり何処かを見つめたまま動かない彼。

どうやら、今日は調子が悪いようだ。

たまに見る、この彼はきっと誰でもない。
今まさに人格が入れ替わろうとしているのか、それとも静止の日なのかはまだ分からないけれど。

ベッドの傍まで寄り、彼の横に腰掛ける。
相変わらずボケーッとしてる彼をそのまま暫く見守った。


ピクリと彼が動いたのはそれから数分後の事だった。

ゆっくりとした動作でこちらを向き、じーっと見つめてくる。

その瞳には一切光がなく、なるほどと思った。
やはり今日は調子が悪いようだ。

「おぃーさんらぁれ?」

予想通り、舌っ足らずを超えて言葉になってない言葉で話す彼。

「俺はりょうがだよ」

「りょー?がー?」

「うん」

彼は首を右に傾げたり、左に傾げたりしながら、怖いくらいに俺の事を見つめ続けていた。
光のない瞳でただじーっと見つめてくる彼にただただ微笑みかける。

それから意味不明な事を話し始めた彼の話をただただ聞き続け、相槌を打っていた。

一通り話し終えて満足したのか、しばらくして、またおとなしくなった彼。

徐々に瞳孔と口が開いていって、涎を垂らしたまま静止していた。
ポケットから取り出したティッシュで彼の口元を拭いながら、ただ見守る事しか出来ない。

今度は誰が出て来るのか、彼を見つめながらゆっくり待つ。

今日は久々のオフで丸一日時間があるから、いつもの様に急ぐ必要もないのだ。

しばらく待っていると、ピクリと動いた後、彼の目の色が変わった。

先程とは違い、光のある瞳。
俺の方を見た瞬間、彼は凄く嬉しそうに微笑み、俺に飛び付いてきた。

「りょーが!!」

呼ばれた名前と、この行動で分かる。
この人格は俺の事も覚えているし、甘えん坊で元気な子だ。

「遊ぼ!遊ぼ!」

予想通り、俺の手を振り回し懇願してきた。

「いいよ、今日は何しようか?」

「トランプ!!」

元気よく言われたから、お望み通りカバンの中からトランプを取り出す。

「どの遊びにしようか?ババ抜き?」

「んーん、神経衰弱!」

「了解」

お望み通り神経衰弱をして、その後ババ抜きやあやとりなんかもした。
遊んでいると時間が過ぎるのも早い。

部屋の扉をノックされ、小窓の様な場所が開けられる。
そこに乗せられたのは昼食だった。

「お昼ご飯置いておきますねー」

「はい」

簡潔な会話の後、すぐに去っていった看護師。

「ご飯にしようか?」

彼に向き直り言えば、目を輝かせて頷いた。
この様子なら今日はちゃんと食事をとる事が出来そうだ。
人格によってはそれすら出来ない事が多い。

遊びを中断して、食事を渡してあげれば、彼は物凄い勢いで昼食を頬張っていた。

そんな様子を見ながら、俺は束の間の幸せに浸る。
こうして元気な彼を見られる時間は貴重なのだ。

食事を終え、それからしばらく遊びの続きを楽しんでいたのだけど、不意に彼の手がとまった。

確認してみれば、彼は瞳孔も口も開いた状態で固まってしまっていた。

「もうおしまいかな…?」

俺は散らばったトランプをかき集め、急いでカバンの中に仕舞う。
次に出てくる人格によってはトランプですら凶器になりかねないのだ。

そのまましばらく彼の様子を見つめていたけど、次が出てくる気配はない。

もしかすると今日はもう無理なのかもしれない。
沢山遊んだし、話せたからまだマシなのだけれど。
そんな彼の様子を見ていると、やっぱり切なかった。

時刻を確認すれば午後二時。
一時間待ってダメだったら帰宅しよう。
寝かせてあげた方が良いだろうから。

そう考えて、気長に彼を観察し続けた。


予想通り、一時間が経過しても彼に変化が見られる事は無かった。

諦めた俺は立ち上がり、静止したままの彼を抱えあげる。
だいぶ軽くなってしまったな、なんて思いながらそのままベットまで運んであげた。
寝かせ直して、布団をかけてあげたらお終い。

楽しい時間が過ぎるのは早かった。

「また明日ね」

明日はゆっくり遊んであげる事は出来ないのだけれど。
俺は彼にそれだけ伝えて部屋から出た。

相変わらず重い扉が閉まりきって、完全に彼が見えなくなる。
なんとなく、胸が痛い。

頭の中に過ぎった記憶。
遠い昔の様にも感じるけど、今でも鮮明に思い出せる。
まだ、元気だった頃の彼の姿。
俺の名前を呼ぶ声も、バカしてはしゃぎまくったあの日も、今でも全部鮮明に思い出せるんだ。

「四季先生?」

ハッとして見れば、よく知る看護師が立っていた。

「ああ、お疲れ様…」

「お疲れ様です…今日はどんな感じでした?」

俺は笑顔で看護師の方に向き直った。

「とても、いい感じでしたよ」

嘘は吐いてない。
事実、ご飯も食べてくれたし、まともに会話も出来たのだから。

「良かったです」

笑顔を返してくれた看護師と雑談をしながら、重苦しい場所を後にした。
扉を閉める時、癖で振り向いてしまったけど、そこに彼がいるはずもない。

扉を閉める瞬間、脳裏に浮かんだ彼の笑顔。

今日はいい日だったのだ。
とても充実した時間だった。
なのに、何故だろう。

ただ、胸の痛みだけが消えてくれなかった。












ーー…


ーーーー……



「りょーがー!!」

名前を呼ばれて振り向けば、彼…みなとがいた。
いつも通りの制服姿でこちらに掛けてくる。

「おはよー!」

いつも通りの朝の挨拶と、抱きつかれる感触。
みなとの香りも、ワックスで固められた髪の毛が頬を擽る感触もいつも通りだ。

「てかさー、昨日のやつ見た??」

いつも通りみなとの口から語られるのは他愛もない世間話。

平和に過ぎていく時間。
朝方の通学路。

当時では当たり前であったその光景。
みなとと過ごすそんな些細な時間が凄く幸せで、とても懐かしい。

なのに、どうしてだろう?
笑顔で語りかけてくるみなとを見ていると、無性に泣きたくなるんだ。

みなとに触れられる度に嬉しいのに、痛くて堪らない。

「りょうが?遅刻するよ」

いつの間にか立ち止まってしまっていた。
不思議そうな顔で俺の方を見て、首を傾げているみなと。

「うん…今行く」

そう言った瞬間、こちらに走って来て、俺の手を掴むみなと。

懐かしい温もりと笑顔に何故か涙が零れた。







ーー…


ーーーー……








アラームの音で目が覚める。
いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。
変な寝方をしていたせいで身体が痛い。

濡れてしまっている目を擦り、ため息を一つ。

また見てしまった。
毎日のように見る、幸せな悪夢。
その度に泣き虫になってしまう自分に嫌気が差す。

しばらくの間天井を眺めてボケーッとしていたけど、準備を始める事にした。
昨日の様にずっとは無理だけど、少しでも彼といる時間を作ろう。

何か治療法はきっとあるはずだ。

いつか、あの夢が現実に戻ってくる事だけを願って、俺は今日も職場に向かう。

昨日と違い、晴天の空の下を歩いていく。
気温も程よいし、何だかとても心地がいい。
今日はいい日になりそうだ。
きっと、彼の機嫌もいいだろう。


さぁ、今日の彼は誰だろうか?










END...?





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