寒い―――
凍えるような寒さに眠れないまま、僕は夜が明けるのを待つ。僕の名前を呼んでくれた木霊が薄らいでいく。僕はその木霊を探す。見上げた先の真っ暗な空には、刃物みたいに鋭い三日月。俯けば地面に散らばる小石やガラスの破片の星屑。
冷たい雨粒が僕の頭の上に落ちた。傘なんてなくて、心は雨粒よりももっと冷たくて小さくて。元から小さい身体をもっと縮めて、僕も雨を降らす。
「もし、そこの坊や」
え……?
真夜中なのに、太陽みたいな暖かい声がした。雨音は僕の頭の方でパラパラと聞こえるけど、雨は止んだみたい。
「君さえ良ければうちに来ないかね」
それが、貴方との出会いでした。
「何か食べたいものはないか?」
「着たい服はないか?」
何が起こっているのかよく分からないまま、立派なお屋敷に僕を連れてきた貴方。何がしたいのかと聞かれても分からなくて、曖昧に言葉を濁す僕を、貴方は見捨てたりはしませんでした。
そして、僕が貴方の執事見習いとしてお仕えするようになってから5年後、お坊ちゃまがお生まれになり、貴方が僕を相手してくださる機会は一気に減りました。貴方はその事に対して、大変申し訳ないと言って、僕に最高級の青い羽根のイヤリングを下さいました。
別に良いのにな。だって、主人公は僕じゃなくて、お坊ちゃまなのだから。
やがて、お坊ちゃまが成長なさり、僕がお坊ちゃまのプリスクールの入学式にご一緒した日、実の親の在り処を偶然にも知らされました。
「どうだ。生みの親に会いたいか。お前の気持ちを尊重しよう」
ご主人様は、僕にそう仰いました。ここ数年来ずっと、ご主人様のご要望でお坊ちゃまの実の兄として振る舞ってきた僕は、考えました。「会いたい」と答えるのが正解なのか、と。本当の気持ちとは別に、言っておくべきなのかと。
「少し…考えさせてください」
結局、僕は今でも実の親の顔も声も知りません。いいえ、厳密には忘れました。
僕が結局は仲間外れのパズルのピースなんだってことは、忘れられないのに。
「ネス、ただいまぁ!」
曇っていた空に、太陽の光が射し込みました。それは、お坊ちゃまの元気なお声でした。早速、新しいご友人をお作りになったお坊ちゃまは、邸宅に帰る途中も僕の周りを嬉しそうに飛び跳ねていらっしゃいました。
「ねぇねぇ、ネスぅ!」
「如何なさいましたか」
当然の事ながら全く顔も声も似ていないこの僕を、お坊ちゃまは本当の兄のように甘えて下さいます。生まれつき瞳の色が真珠のように白いお坊ちゃまの瞳が、とても眩しい。
「僕、ネスと一緒に勉強するの、毎日楽しみなんだぁ」
捨て子だった僕が、お坊ちゃまの家庭教師の役割を果たすことが出来るようになったのも、すべてご主人様が僕に与えてくださった愛のおかげ。
「ネスは僕と一緒に勉強するの楽しーい?」
あくまで僕は、お仕えする身。ご主人様のご長男の兄代わりを務めるなど、本来なら夢のまた夢。そして、お坊ちゃまはその夢の遥か先にいらっしゃる。
それでも僕は―――
「えぇ、お坊ちゃまと共に勉学に努めることが出来て光栄です」
不自然なのかもしれない。だけど、きっと僕はこの世に生まれた瞬間から、こんなものを望んでいたんだ。
「お坊ちゃま、朝です。そろそろ起床なさっtt…」
「うるっせぇな、自分で起きるから邪魔すんじゃねぇよ!」
「……大変失礼致しました」
お坊ちゃまが反抗期に入った頃のこと。私は22歳でした。
ある日、僕がお坊ちゃまの部屋の前の通路を通って、ふと窓の外に視線をやった時、門の向こうに怪し気な人物がいました。肌のラインがくっきりと分かるようなタートルネックの上に、襟元が派手な朱色の服、さらにその上に襟元が濃いエメラルド色のオーバーサイズの白いジャケットを着た長身の男。サングラスの向こうに紅い瞳を隠したその姿は、まさに異様でした。
「ご主人様!」
私はすぐに近くにいた侍女に警戒態勢に入るよう指示し、ご主人様に男の件をご報告に上がりました。ですが、慌てる僕をご主人様は可笑しそうにお笑いになりました。
「以前、お前に伝えただろう。彼だよ、うちの古びた金庫の鍵を開けてくれる鍵師は」
それが、魁星との出会いだった。
代々、誰にも解錠できなかった金庫を魁星はいとも容易く開けてみせた。ご主人様を目の前にしても、最後まで飄々として何を考えているのか分からなくて、ニヘラと笑う蛇顔が目に焼き付いて忘れられなかった。特に、去り際に魁星が放った言葉が。
「なぁ、あんた。本当はもっと、ふざけた男じゃない?」
魁星は僕にそう言った。
「私の対応がお気に召しませんでしたか?」
僕は、一度たりともふざけたつもりはなかった。だが、魁星は僕を見てフフンと分かりきったように軽く笑った。
「本当はもっと、面白い男だと思うんだよなぁ、あんた」
僕はこの時、思いもしなかった。まさか、魁星に呪術師の友人がいて、年齢を取ることのない仮想空間に連れて行かれて、にじさんじに所属する執事兼Vtuberになろうとは。
僕の人生は何もかも、予測のできないことだらけだった。
だけどきっと、スピカは変わらず光り続けるんだ。
僕たちの頭上で。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。