そう言って隣を歩く有栖は、そう呑気に頭の後ろで手を組んでいた。
私はそれにため息を一つこぼす。
いつ交わした、どうでもいいような会話を思い出しながら口を開く。
有栖は一瞬だけ口を尖らせ、
すぐに肩をすくめる。
どこか拗ねた仕草なのに、
その顔は隠しきれない楽しげな色が滲んでいた。
私は有栖の様子に、ハテナを浮かべたまま、
その声に耳を傾ける。
そうブツクサ呟く有栖は、わざとらしくこちらを見る。
それを横目に、私は今回の仕事の報酬について考えていた。
迅さんからは「報酬ははずむ」と言われた。
けれど、別にお金が欲しいわけではない。
というより、金だけで済ませようとするのは、
殺しを生業にしている人間はそれ以外も要求することがある。
もちろん金だけで納得する殺し屋もいる。
けれど私は、もっと有益で後に繋がるもの_________
「情報」や「勧誘」といった取引の方が、よほど魅力的に思えた。
すると、再度隣から声がかかる。
視線だけ向けると、有栖は首を傾げ、
こちらを覗き込むように見ていた。
その瞳は好奇心に満ちていて、どこか無邪気だ。
________今日の”お客サマ”。
それはある暴力団に情報を売っていた人物。
その名はリストに載っていたから見覚えがあった。
お客サマの能力は優秀。
頭も切れる。
だが、その一方で女遊びはひどいという噂を聞いたことがあった。
そして今回、私たちが上司に許された理由もそこにあった。
________「手を焼いていた人物だったからね」
________「腕は買っていたけど...いなくなっても支障はほとんどないさ」
上司の淡々とした言葉が、脳裏をよぎる。
_________早く帰りたい
_________帰って晴と一緒にご飯を食べたい
そう思ったが、家には有栖もいる。
もう一度、大きなため息を吐き出した。
プルルルルプルルルルプッ_________________
耳元で甲高い電子音が鳴り響き、日曜日の朝の静けさを乱した。
重たい瞼をうっすら開ける。
枕元のスマートフォンを手に取り、ホーム画面を覗く。
時刻は午前11時。
カーテンの隙間から差し込む光が、
部屋の埃をきらきらと浮かび上がらせていた。
そして画面に表示された見覚えのある名前が瞳に映し出される。
欠伸を一つこぼし、眠い目を擦る。
隣では、晴と有栖が、規則正しい寝息を立てていた。
起こさないよう慎重に布団を持ち上げる。
床に足をつける感覚を確かめ、私は廊下へと出た。
耳元から聞こえてきた迅さんの声は、
どこか気の抜けた笑いを含んでいる。
私はそれに、掠れた声を出すことしかできなかった。
頭はまだ完全には働いていない。
こんな時間_________といってももう昼前。
街はとっくに目を覚ましている時間帯。
何度も時計を見た記憶があるのに、
体は起きあがろうとはしなかった。
できることなら、休みの日ぐらい昼過ぎまで寝ていたいのが本音だった。
それにしても、迅さんが私の電話にかけてくるのは珍しい。
私はスマートフォンを耳に押し当てたまま、
リビングへ向かい、ソファに体重を預けた。
笑い声を含んだ声を受け流し、私は早々に本題を促した。
静かにそう言葉を紡いだ迅さんの声は、
いつもよりわずかに低く、
どこか輪郭を失ったように弱弱しかった。
窓から差し込む午後の光が、
浮いた埃を浮かび上がらせている。
その声をよそに、私は迅さんへ、
喉奥までせり上がっていた言葉を投げかけようと口を開く。
自分でも驚くほど静かな声だった。
問いかけというより、確認に近い響き。
いつかの会話が脳裏をかすめる。
あの日の胡散臭い笑み、冗談めいた口調。
けれど返ってきたのは___________
沈黙だった。
壁掛けの時計秒針の音が、やけに大きく耳に響く。
この沈黙を破らなければ。
そう思い、背筋を自然と伸ばす。
寝巻きの布地が擦れる小さな音が、
シンとしたこのリビングに大きく響き渡った。
接客の時しか使わない、よそ行きの丁寧な口調。
自分でもわかるほど、感情を削ぎ落とした声だった。
それでも、今の迅さんには他人行儀のような、
距離を保つような、そんな態度の方が接しやすい。
そう考え、私は丁寧口調で言葉を紡ぐ。
そして、しばらくの沈黙の後、迅さんは徐に口を開いた。
今度は私が黙る番だった。
迅さんに依頼をされ、
それを実行したのは紛れもなく私。
側から見れば、共犯者と言われてもおかしくない状況。
その単語を頭の中で転がしてみる。
________「共犯者」
微かに鉄の匂いが鼻を掠めた気がした。
けれど、その言葉は迅さんには似合わない。
迅さんにはもっと似合う称号があるはずだ。
汚れるなら、社会の汚い部分を見るのなら、
すでに真っ黒に染まってしまった自分たちでだけで十分だと。
リストとは、表と裏がある。
表は宿泊者専用リスト。
革張りのファイルに整然と並ぶ、無害な名前たち。
そして裏。
厳重に保管され、指紋一つ残らない紙。
”お客サマ”専用リスト。
そこに、今回の”お客サマ”の名前があった。
これが意味すること。
つまりは______________
その言葉に、なぜか胸の奥が軋む音が聞こえた。
ただ、沈黙だけが、私を迎え入れる。
淡々と説明しながら、スマホを握る手に力が入る。
上司の予定を管理するのは、
本来、上司の横で控えている秘書の役目だ。
けれど、見習いという立ち場を借りて、
私はその予定長に触れることを許されていた。
整然と並ぶ文字の中に、
確かにそう記されていた一文を、
私は記憶の戸棚から引っ張り出す。
電話越しに、少し間を置いて告げる。
電話の向こうは静まり返っているはずなのに、
こちらの鼓動だけがやけに大きく聞こえた。
__________全責任。
その言葉を飲み込むように迅さんは一つ「うん」と頷く。
迅さんは罪を問われることを恐れているわけではない。
人を殺めてしまったという事実そのものを、
嫌っているのだと。
私は迅さんの少ない情報から読み取る。
迅さんを庇うわけではない。
けれど迅さんには「人を救う側」に立っていてほしい。
会ってまだ日が浅い。
それでも、そう思わせる何かが、あの人にはある。
少し遅れて返ってきたその声は、
どこか力が抜けていた。
電話越しで姿は見えない。
けれど、きっと肩をすくめるように笑っているのだろう。
そう、想像できた。
その声を確かめ、私は一つ、
胸に引っかかっていたことを口にする。
純粋に疑問だった。
なぜ裏稼業の私に頼る必要があるのか。
なぜ危険を冒してまであの少女を助けようとしたのか。
何も見ないで、知らないでいれば、
危険とは無縁でいられただろう。
よほどの理由はない限り、
私たち、「コンシェルジュ」に依頼などしない。
だからこそ、私は問いかけた。
低く伸びる声に、吐息が混じる。
...そういうことか。
言葉には出さない。
けれど点と点が繋がっていく。
____________「しかもその子将来有望でね〜」
さっきまで沈んだ声音とは別人のようだった。
そして私はその声音を確認し、
ほっとしたように肩の力を抜く。
目を伏せ、そう笑う私を、影から見ていた晴と有栖に気づかないまま
そう言葉を紡いだ。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!