第4話

“いる”という気配。
117
2026/05/25 15:36 更新
その言葉のあと、大森は何も返さなかった。

返せる言葉がなかったわけじゃない。

ただ、これ以上続けたくなかった。


視線を落としたまま、踵を返す。

ゆっくりと、歩き出す。


後ろで、小さな足音がした。

ぺた、ぺた、と軽い音。


振り返らなくてもわかる。

さっきの猫だ。


ルシェルは何も言わずに、ただ後ろをついてきていた。

一定の距離を保ちながら。

近すぎず、遠すぎず。
大森 元貴
大森 元貴
…………
大森は何も言わない。

歩く速度も変えない。


それでも、足音は消えなかった。

止まることもなかった。


しばらくして、大森が小さく息を吐く。
大森 元貴
大森 元貴
ついてくんなよ……
振り向きもせずに言う。

ルシェルは少しだけ間を置いてから、答えた。
ルシェル
ルシェル
にゃ
それだけだった。

でも、足音は止まらない。


大森はもう一度だけ息を吐いて、前を向く。

追い払う気力もなかった。


夜の道は相変わらず暗い。


けれど、その後ろにひとつだけ、

小さな気配が続いている。


それは光でも音でもない。

ただ、“いる”という気配だけだった。
ルシェル
ルシェル
どこに行くの?
後ろから、ルシェルの声がついてくる。

大森は答えない。

ただ、歩く速度だけは変えなかった。
ルシェル
ルシェル
帰らないの?家族が心配するよ
その言葉に、ほんの少しだけ足が揺れる。
大森 元貴
大森 元貴
……確かにな
小さく呟いた。

でも、その言葉とは裏腹に、彼の歩いている道は家へ向かうものではなかった。


気づいていた。

気づいていたけど、戻る理由もなかった。


ルシェルの声が続く。
ルシェル
ルシェル
ここから君の家は近道じゃない
ルシェル
ルシェル
むしろ、遠くなってる

大森の足が止まる。

ゆっくりと、振り返る。
大森 元貴
大森 元貴
なんで家の方向まで知ってるんだよ

声が少しだけ強くなる。
大森 元貴
大森 元貴
僕が学校でいじめられてるのも……
大森 元貴
大森 元貴
……なんで知ってんだよ
夜の空気が、少しだけ重くなる。


ルシェルはまばたきを一つして、

それから静かに答えた。
ルシェル
ルシェル
言ったでしょ?
ルシェル
ルシェル
君を守るために雇われた精だって

その言葉は、さっきよりも揺れていない。

まるで当然の事実みたいに、そこに置かれた。
大森 元貴
大森 元貴
………
ルシェルは夜空を見上げる。

街の灯りに隠れて、星はほとんど見えない。

それでも彼は、そこに何かがあるみたいに目を細めた。
ルシェル
ルシェル
僕はお空で見てたし、感じてたよ

静かな声だった。
ルシェル
ルシェル
君が苦しそうなのも
ルシェル
ルシェル
笑えなくなっていったのも

ルシェル
ルシェル
だから、君の元へ来た

大森は眉をひそめる。
大森 元貴
大森 元貴
キモいな。
間髪入れずに返したその言葉に、

ルシェルはぱちりと瞬きをした。


それから少しだけ嬉しそうに笑う。
ルシェル
ルシェル
褒め言葉として受け取っとくね
大森 元貴
大森 元貴
……は?
大森は呆れたように目を細める。

でも、追い払おうとはしなかった。


沈黙が落ちる。

夜風が、二人の間を静かに通り過ぎた。
大森 元貴
大森 元貴
………
大森は何も言わない。

ただ。

ほんの少しだけ。

さっきまでより呼吸が浅くなかった。
うわーーーーーんんん

※この物語はフィクションです。

プリ小説オーディオドラマ