第17話

kiss
3,309
2021/04/09 09:00
手を繋いだまま、近くのカラオケに行った。
ドリンクだけ注文し、お互い何も言わずに座っていた。なんとなく気まずい感じの中、カラオケ屋特有の騒がしい雰囲気が二人の無言の時間を誤魔化してくれた。

「なんか歌う?」

沈黙を破ったのは大橋さんだった。
なんとなくドキドキしてしまって話しかけられずにここまでいた私を優しくいつもの雰囲気に乗せてくれる。

「私そんなに上手じゃないし…大橋さんなんか歌ってくださいよ」
「え〜?ホンマにー?何にしよう〜?」

気まずかった空気が一変していつもの関係性に戻った気がした。
ニコニコしながら選曲している姿も、いつもの大橋さんそのものだ。

一曲目に選曲したのは、誰もが知っている有名曲でC&Rも入っていて盛り上がること間違いない一曲だった。
この曲のおかげで私も声を出せたしカラオケを普通に楽しめるキッカケにもなった。

こういう細かい心配りが出来る大橋さんは素直に尊敬する。私には出来ないことだから。

しばらくお互いに好きな曲を入れてわいわいとカラオケを純粋に楽しんでいた。
大橋さんが次に入れた曲はバラードだった。
前にバイト仲間でカラオケにも行ったことがあったけど、大橋さんはその時もとても歌が上手かった。
今目の前でバラードを歌う大橋さんも、とても上手。綺麗な歌詞を気持ちを込めて力強く歌う声にはいつも聞き惚れてしまう。

「…ほんっと上手ですね!」
「ホンマに〜?ありがとう〜」

歌い終わって私の隣に座る大橋さん。
心なしがさっきよりも少し近いような…と思ったのも束の間、私の手の上にそっと重なる手。優しくキュッと握られた。

「なぁあなたちゃん」
「はい…」
「敬語やめへん?ほら、もう先輩後輩でもないんやし、敬語やない方が距離が縮まるかなーと思って」

あぁ、大吾さんにも同じこと言われたな。

「…わかった」
「お!やった〜♪ほなついでに呼び方も変えてみる?和くんて呼んでみて♪」

それも…大吾さんに言われたな。結局出来なかったけど。
何か言われるたびに大吾さんのことを思い出してしまう。やっぱ好きなんだろうな。

「…和くんは無理」
「え〜?なら和也は?」
「和也?」
「おっ!ええや〜ん!俺もあなたって呼ぼうかな」

目を細めてニコーッと笑う大橋さん。
そういえば大吾さんは知り合った時からずっと私のこと呼び捨てしてるよなぁ…単に見下されてたんだろうけど。

「あなた」
「ん?」

「好きやで」

不意に呼び捨てされて気持ちを伝えられ、思わずドキッとした。
優しく微笑んで気持ちを伝えてくれる大橋さん。大吾さんに放っとかれて飢えてるのかな…すごく嬉しかった。
握られてる手に少し力が入る。

「……俺、このままやとチューしてまうかも」
「えっ!?」
「嫌ならあっち向いて?今から俺目瞑って10秒数えるから、その間に」

え、ちょ、何それ…

「10、9、8…」

ま、待って…困る、どうしよう。

「7、6、5…」

大吾さんに対する少しの不安から、誰かにすがりたくなっている所もある気がする。
だけど、大橋さんに思わせぶりな態度をするのもどうなのかな…でも、大吾さんがどう思ってるのかわかんないし…
あれ…私ってズル…

「…1、ゼロ」

ゆっくり目を開けた大橋さんと目が合い、少し驚いた様子を見せた後ふわっと笑って唇が重なった。

「………」

柔らかな唇の感触。鼓動がうるさい。

触れ合ってる時間がとても長く感じた。
少し離れるとまた目が合い、また唇が重なった。唇を唇で挟んだり弾力を楽しむようにキスをされた。

「……っはぁ…」
「苦しかったな、ごめんな?」

唇から少し離れた距離で小さな声で囁かれる。
握ってない方の手で私の頭を自分の胸に収める。子供をあやすように頭をポンポンと優しく撫でてくれる大橋さん。
キス、してしまった…
OKを出したというよりは、うだうだと考えてる間に時間切れになってしまったと言う方が正しい。
これ…大橋さんに変な期待をさせてしまったんじゃないかな…どうしよう。

「ありがとうな、嬉しかった」
「ご、ごめんなさい…」
「…なんで謝るん?」
「いや、なんていうか…」
「謝らんでええよ、だいちゃんのこと好きなのはわかってるし。謝られるとちょっと傷付くし笑」
「ごめん…」
「ええって笑 も〜かわええな!」

ポンポンしていた手で髪の毛をわしゃわしゃされる。

「もうそろそろ時間やね、帰ろか。遅くなってもーたから家まで送るな」
「え、そんな、大丈夫だよ」
「俺が送りたいの!」
「じゃあ…うん、お願いします」

押しの弱さがここでも出てしまった。
これでいいのかな…?大橋さんは私の気持ちわかっててしてくれてるんだろうけど…それでも、なんか申し訳なくなってくる。

カラオケ屋を出てまだギリギリ電車があったので一緒に乗る。終電だったからか意外と人が多くて壁に二人でもたれかかった。
途中酔っ払いが電車の揺れに耐え切れず私達の方へと倒れ込んできたが、大橋さんが瞬時に間に入り私を守ってくれた。

「大丈夫?」
「うん…ありがとう」
「ん」

一緒に働いてた時とは想像出来ないくらい、大橋さんが男らしく見えた。今日一日で何度もそう思った。

「そういや、バイトって何やってるん?」
「大学の近くのコンビニ」
「へぇ〜そうなんや。コンビニでも日払いとかあるん?」
「え?あ、それはまた別のバイトで…」
「あ、そうなん?掛け持ち大変やない?」
「掛け持ちっていうか…日払いの方は体験で数時間だけ働いてみただけで、断ってきたから」

それを聞いた大橋さんの顔が曇る。

「怪しい店やないよな?」
「え?…うん、普通のバーだよ」
「普通のバーね…」

…なんか、疑われてる?
あそこが『普通のバー』なのかは正直わからない。バーなんて普段行かないから。
でもあのVIPルームに関しては普通なんかじゃなかった。日常的にあんなことが行われているんなら、多分『普通のバー』とは言えない気がする。
思い出しただけで気持ち悪い。忘れてたのにあの光景が頭に浮かんで嫌になる。

「…どした?なんか具合悪い?」
「え…?ううん、大丈夫だよ」
「なんか急に眉間に皺寄ったから」

よく見てるな…バレないように気をつけなきゃ。

「何もないよ」
「…ならええけど」

なんとかやり過ごして、私の家の最寄り駅に着いた。
駅を出ると街灯が少ない路地を10分ほど歩く。普通に歩いていたけどまた不意に手を繋がれた。

「ここらへん結構暗いよなぁ。1人の時ホンマに気をつけや?」
「しばらく住んでて何もないし、大丈夫だよ」
「いやいや、油断したらあかんで?女の子1人でなんかいつ何が起こるかわからへんから」

こんな風に心配してくれるの、大橋さんだけだよ。これに関しては一緒に働いてる時から言ってくれていた。あなたちゃんはかわいいんだから、って。気を付けて、って。

「うん、じゃあちゃんと気を付ける」
「よろしい」

まるで保護者だな。笑

「…変なバイトしたらあかんで?」
「え…」
「隠し事すんの苦手やから言うてまうけど、体験入店なんて制度がある店、ろくな店ちゃうで。女の子にはわからんかもやけど」
「そ、そうなの…?」
「せやで?一見『普通のバー』でも裏で何させるかわからへんよ?」

大橋さんの言う通りだ。心当たりがありすぎて何も言えない。

「そもそもホンマに『普通のバー』なら普通に募集して普通に最初から雇うから」
「うん…」
「…ホンマに変なことされてない?身体触られたり、触らされたり」

大丈夫何もないよ、って言いたいのに言葉が詰まって出てこない。言葉が出てこない代わりに涙がポロポロと溢れてた。

「え、ちょ、あなたどしたん!?あぁもぉ…ほら、大丈夫やよ、俺いるから」

親指で優しく涙を拭い、背中を摩ってくれる。

「ホンマは嫌なことあったんやね、我慢してたんやね」

優しい言葉にどんどん涙が溢れて止まらない。

「…あそこの公園行こか、ちょっとベンチ座ろ」

通り道にある小さな公園のベンチ。
灯りが一つしかないこじんまりとした公園だ。

「はい、ホットココア」
「ありがとう…」

ベンチの隣の自販機で飲み物を買ってくれた。
2人でベンチに座り飲み物を飲む。
温かい飲み物を飲んで少し涙も落ち着いてきた時。

「…俺めっちゃ心配やわ…あなたがまた変なバイトに誘われへんか…なんでそれ行こうと思ったん?」
「前の店辞めてからしばらくバイト決まらなくて…とりあえず何でもいいからと思ってコンビニでバイト始めたけどやっぱり時給が少ないし厳しくて…そこでお客さんから友達がやってるバーで募集してるから体験だけでも来ないかって誘われて」
「そっか…」

何されたのかとかは聞いてこないんだな。
そういう優しさが本当にありがたい。具体的に何されたかなんて口にするのもかなり厳しいから。

「…焼肉の会計の時からちょっと『ん?』とは思っててん…バイト始めたとしてもまだ給料入ってへんよなぁ?って」
「さすが…鋭い」

「…なぁ、提案なんやけど」
「?」
「また、うちの店戻ってこーへん?」
「え…」

そうできるならしたいけど…でも突然無理矢理辞めたから店長とか他の従業員とかにもすごく迷惑かけただろうし…そんな勝手なこと出来ないよ。

「辞めたのは俺のせいってちゃんと説明するから。そしたらあなたが辞めたことも戻ってくることも責められへんやろうし。あれから人が増えたわけでもなく人手不足のままやし」

この人はどこまで優しい人なんだろう…
私のためにそこまでしてくれるなんて。

「ちゃんと仲直りしたよ〜て店長にも言っとくし、他のスタッフにも変な感じにならんように俺から説明しとくから、な?戻ってき?」
「…なんでそんなに優しくしてくれるの?」
「え?なんでってそら…好きやからやん笑 なにぃ〜もぉ〜言わせんといてやぁ〜恥ずかし〜笑」

キャハハと笑いながら言うからつられて笑ってしまう。
一瞬、大吾さんが知ったら怒るかな…と思ったけど、私達別に付き合ってなかったんだった、と思ってまた少し凹んだ。

「…もし、ご迷惑じゃなかったら…戻りたい」
「ホンマに!?嬉しい!!きっとみんなも嬉しいと思うで!」
「そうかなぁ…?不安だよ」
「大丈夫やって!俺に任せて!!」
「…うん、じゃあ任せる」
「よっしゃ!!早速明日言うわ!また細かいこと決まったら連絡するな!」
「うん、本当にありがとう」

大橋さんのおかげで、またあの店で働けそう。
良かった…
コンビニの店長には申し訳ないけど、明日学校の帰りに寄って話してこよう。

飲み干した缶をゴミ箱に捨てて、また私の家に向かって歩き出す。
自宅前に到着して、今日はありがとうと伝えて手を振ろうとした時。

「あなた」

大橋さんが目の前までまっすぐ歩いてきて、顎を指で少し持ち上げチュッと軽く唇を重ねた。

「不意打ちもーらい♪」
「……!!」
「ほな、はよおうち入りや〜!おやすみ〜!!」
「…おやすみなさい」

ひらひらと手を振って駅の方へまた戻っていく大橋さんの後ろ姿を眺めながら、触れた唇の感触をなぞるようにしばらく指で触っていた。


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