第2話

Vol. 1
162
2024/01/17 12:43

         『もし…』
         「はい?」
   『もし、来世があるのならば…次は私と』




月島
ッん゛がっ
 じりり、じりりりり。けたたましく鳴るアラーム。まだ寝惚けきった頭でうるさい音の元凶を荒々しく消してしまえば、数秒惚けた後、後頭部をガシガシと掻きながら洗面台へと向かった。
 まだ冷える朝方。もうすぐ、春になるというのに。自分のこの気持ちと同様、季節も区切りが付けられていないのだなと実感する。まだずるずると引き摺って、夢に出てくる程寂しがっている俺みたいに。そんな想いごと洗う様に顔に冷水を浴びせる。…洗い終わってから、温水にした方が良かったと悔やんだ。顔が凍えてしまう。
 身支度が全部終わってから、今日の休日を満喫しようと珈琲を入れに台所へと赴く。ひた、ひたと裸足で歩く足音が響いて、この部屋には本当に俺一人しか居ないのだと気付かされる。別に誰と同棲していた訳でも無いが、前世のあの家の方が騒がしかったなと懐かしむ様に。
 珈琲を入れ終わり、荒々しく大きな音を立てながらソファに座る。一人の休日。一人の部屋。こんなにも静かなものだったか?前世のことは昨日の様に思い出せる、だからこそ人肌恋しい。昨日まで、つい先程まで傍に合ったはずの温もりが、朝起きたら無くなってしまう。こんな気持ちを毎朝感じるのならば、もう一生寝ているままでも良いか何て。
月島
はぁ〜〜〜〜…………、
 朝っぱらから憂鬱な気分になった俺は、今日が休日ということもあって何処かに出掛けようかと思い立つ。が、生憎一人の休日の過ごし方を忘れてしまった様で、もう一度大人しく座り直した。何なんだ、全く。今世まで貴方の優しさに縛られてしまう。これで貴方が前世の事を覚えていなかったら承知しない。そんな、冗談の様なからかいが、事実になっているだ何て知らずに。



 取り敢えず軽く朝食を取り、やる事も無いので気分転換に外をぶらつく。そういえばこの近くには桜の木があったな、何て今更ながら思い出して。あの約束の日は、今からあと何ヶ月もあるが、もしかしたらもう居るかもしれない。そんな淡い期待を胸に、その場所へと足を運ぶ。
 息を切らしながらようやっとその場所へと付き、今一度景色が美しい場所だな、何て珍しい事を考える。ふと辺りを見回せば、後ろからでも分かる、見覚えのある逞しい背中が見えて。どくん。急に心臓がうるさくなる。どくん、どくん、どくん。蛇に睨まれた蛙の様に固まって動けなくなれば、やけに心臓がうるさく感じる。と、俺の視線に気が付いたのか後ろへと振り向いた瞬間に、呼吸が止まった。
──────────鯉登少尉殿だ。
 間違いない。何年も、何十年も補佐に着いた俺が忘れるものか。あの御方は確実に鯉登少尉殿だ。やった、この世に産まれて来ていたのか。ああ、話したい事が沢山ある。貴方をずっと待っていたんですよ、頭が数々の思考に支配されれば、ずっと上の方から聞き慣れた声がする。ば、と勢い良く上を見れば、待ち望んでいた貴方の姿があって。思わず抱き締めてしまえば、『おかえりなさい』と呟いた。

鯉登
──────なあ
 ああ、やっと貴方に笑顔を向けて貰えるのか。そんな期待が数秒後に崩れ去る事など毛頭も知らない俺は、そんな事を思いながら顔を上げる。
鯉登
きさん、だいじゃ…??
月島
…え、ッ??
 額に脂汗を滲ませながら困惑した様に慌てる顔、変に引き攣った笑み。貴方の仕草の何もかもが、その言葉が嘘ではないと嫌でも気付かせる。嘘だ、いや、そんなまさか。何で、何でなんですか。
  貴方の記憶が無いなんて、どういう事ですか。
 にわかには信じ難いその状況を、嫌でも飲み込まないといけないだ何て反吐が出る。貴方が投げた質問に何も言えず固まっていれば、聞き取れないと思ったのか標準語でもう一度繰り返す。違う、違うんです。違うんです、鯉登さん。俺はちゃんと分かってるんです、貴方のその方言も、その困った様に眉を顰める顔も、心做しか震えている身体も、何もかも。分かってしまった、知ってしまった。知識がこんなにも憎いと思う日が来るとは思わなかった。
鯉登
だ、だいじょっ…んん゛、大丈夫ですか、??
 嫌に好青年な、爽やかな笑顔を浮かべて此方に問い掛ける。貴方が敬語を使っている事実でさえ、本当に覚えていないのだなと。ごくん、喉を鳴らし、やけに唾がしょっぱく感じると呑気に思った。こんな状態の俺らを他所目に、他人行儀でざざあと風が吹く。一足早く咲いている梅の花をかっさらっていっては、その身勝手さにも腹が立って。もしかしてお前が鯉登少尉殿を攫って行ったのか?そんな馬鹿げた事を考えないとやっていけない。
 返事の無い俺に焦ってか、前世のあの勇ましい鯉登少尉殿とは思えない、情けない姿を見せて。ああ、本当に、本当にこの御方は。途端に吐き気がする。よろ、地面に倒れ込む様によろければ、ふわり、何か浮遊感を感じた。ああ、こんな情けない部下で申し訳ありません、鯉登少尉殿。どうか、どうかお許しください……もう居ない貴方に乞う様に、縋る様に繰り返し繰り返し謝罪し続ければ、いつの間にか意識は飛んでいて。










    「…っふ、急に何を言い出すんです」
  『キェ!?笑うことか!!?おいは本気だッ』
    「……ふ、────────── 、」
     『ッつきしま、ぁ…んッ…!!!』
         『おいは、』




月島
ッげほ!!、
 はあ?また貴方の言葉を聞く前に目が覚めてしまった。というより、ここは何処だ?肌に触れる冷たくて薄い毛布が変にむず痒い。意識が覚醒したばかりだからなのか、蕩けた思考をハッキリさせようと手を瞼に。もう一度目を開けて、此処は病院なのかと漸く悟る。ああ、あの後、倒れて……って、鯉登少尉は!?がば、病人じゃない様な俊敏な動きで起き上がって、辺りをキョロキョロと見回した。
 よくよく考えれば、あの御方は突然見知らぬ一般人の男に抱き着かれてゲロ吐かれた可哀想なただの男性だ。此処で前世がどうのこうの言ったって、何かの宗教の勧誘かとさえ思われるだろう。そうか、そうだ。もう上官と下士官では無いのだ。あの時にあった、最早自分と貴方を繋いでいる様な紐は、今世に持ち込むことは出来なかったのか。神様は理不尽だ。貴方に記憶が無いのなら、最初からこんな想いを教えないでくれ。
 目頭が熱い。急に頬に何か水の様なものが伝った。数秒経って、泣いているのだと分かった。変だ。前はこんなに苦しい気持ちにならなかった筈だろう。何でだ、軍曹殿。あの屈強な兵士は何処へ行った。記憶だけ受け継いでおいて、その他は捨てたのか。何と意地が悪いのだろう、大嫌いだ。嫌いだ、俺を見てくれない貴方の事も、その貴方も好きな俺も。そんな伝わる筈もない想いを心中で燻らせながら、お慕いしておりました、と何度も何度も呟いて。

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