熱で惚ける俺を他所に、にやにやにまにまとやけに楽しそうに俺の耳を弄んでいる。学生の戯れとしても初対面の人に対してはやりすぎだ、それに笑みを浮かべるその顔も気に食わない。貴方はどうせ思い出しもしないんだろう、なのに気紛れでこんな事をしてくるのは些か問題がある。と、元悪童の意地が働き、悪戯という名の呪いをかけるべく、耳を弄っている手を取って唇を宛がってやった。
そんな、低くてじっとりとした声を貴方に。これで怯んでくれるだろう、さあ帰れ。俺にそういう感情を思い出させないでくれ。ぎゅ、と目を瞑る。多分、これで貴方は二度と俺に近寄ることは無いだろう。これで良かった。そういう風に、タカをくくっていたのが不味かったのかもしれない。そんなことを思い浮かべていれば、何だか気配が近付いてくる様な気がした。何事か、と思えば徐に目を開く。と、そこには貴方の顔があって、もうすぐ唇に触れてしまいそうな距離感だった。
声を張り上げて、思わず貴方を突き飛ばしてしまう。突き飛ばす、というよりかは軽く押し返す、と言った方が最適だろうか。何せ病人の身だ、自分が思ったより余り力は出なかった。はてさて、そんなことよりも。なんで貴方はそんなことを?口に出そうと必死に言葉を紡ぐ。けれど、決してそれが言葉になることは無くて。はくはく、と信じられないと言った面持ちで口を開閉させるのみだった。
え、とか細く出てしまったひとつの呟き。貴方が前世と変わらぬ声色で、顔で俺の名を呼んだものだから。まさか思い出した?いやいや、無い。無いだろう。先程まで俺で遊んでいた純粋な青年だぞ。こんな突発的に思い出すだ何て有り得ない。そう、有り得ないのに。貴方はその理論も覆してしまった。
ぎらり。貴方の眼光が鋭く光った。あ、と瞬時に理解する。貴方は、貴方はなんという御人だろう。諦めかけていた恋の花を、貴方は摘んで花束にしてしまった。なんで、なんでなんですか。そんなことを呟けば、貴方の胸に感情をぶつける。思い出さないでいて欲しかった、また貴方を俺は縛り付けてしまう。無意識のうちから出た言葉のひとつが、貴方を怒らせてしまうとは毛頭も思っていなかった。
すん、と鼻を啜れば、貴方の柔軟剤の香りが胸いっぱいに広がる。心地良さにうっとりとしてしまえば、先程までの荒々しくてみっともない感情は何処へやら。途端に気分屋な猫の様に大人しくなってしまう。どれもこれも無意識で行われた行動のひとつ。それに、貴方が記憶を取り戻したから気を抜いていた点もあったかもしれない。
酷く甘ったるく、そして熱が籠った溜息を吐きながら貴方はそんな事を口に出す。誘う?何がだ。無論無意識でやっているので、俺は気付きもしなかった。がるる、と今度は一変、犬の様に唸れば、俺の唇に噛み付く様に口付けを落とした。と、流石にそこに俊敏に対応出来る程俺は出来る奴じゃない。が、悪知恵だけは何とか働くので、より貴方を煽る様に首元へ手を回してやれば。
此処が病院だと言うことも忘れ、ただひたすらに百年越しの貴方を味わう。やはり好きだ。好きでしょうがない。気持ちに蓋をして押し込めていたその感情を、思い切って顕にさせて。キスの合間に好きです、好き、と言ってやれば、急に俺の頭に貴方が手を回してくる。突然の感覚に驚くも、貴方が手を離してくれる事はなくて。数分経っても息苦しくて幾ら貴方の背を叩いても、気付いていないかの様に振る舞う貴方。何が気に触ったのか分からないまま、より一層強く貴方の背を叩く。と、ようやく解放されて新しく冷たい空気が肺に循環していく。は、は、と息も絶え絶えに瞳に涙の膜を貼れば、貴方の目の中の劣情がより強く、大きくなっている気がした。
けほ、と軽く咳込めば、目の涙の膜をごしごしと擦って無くす。そして急に貴方から告げられたそんな言葉。急に何だ、どんな顔?そして今世も生憎手鏡を持っていない俺。鏡、貸してくださいと貴方に告げれば、スマホがあるだろうと一蹴された。確かにそうだ。と、徐にスマホを取り出せば、カメラ機能で自身の顔を見やる。その顔はなんとも酷い有様で、額、頬、首元と、そしておまけの耳さえも紅潮し、先程拭いたばかりというのにまた目には涙の膜が貼っている。な、な。有り得ないと言った様子で言葉の一欠片を口にする。
嫌ににまにましている貴方。憎らしくてしょうがない。今すぐにでもその綺麗な顔面に一発お見舞いしてやりたいところだが、如何せん貴方が記憶を取り戻したという高揚感の中、それは出来そうもなくて。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。