扉を開けた先で構えをとる少女に、新は見覚えがあった。
鈴崎絆。
殺し合いが始まってからずっと、なにかと新と共に居た人間であった。
黒髪にビビットイエローのメッシュとインナーカラー。輝きを放つ瞳と、イメージカラーに沿うかのようなセーラー服。傍に居るだけでエネルギーが貰えるような、ビタミンのオーラと喋り。
この生活の中で、ずっと明るく、確かな拠り所を形成する者だった。
再会に花を咲かせる間もなく、2人は軽く言葉を交わすと、再び沈黙の空気を形成した。シロは新の背から降り、近くのソファに腰を下ろすと、2人の事をじっと見つめる。
鈴崎の話によれば、安住牡丹の死亡は全員、彼のギフトを介して目撃したのだそうだ。そして死亡した瞬間、全員にそれぞれ別々の単語が頭痛のように脳内へと流れ込んできた。それを受け、正常な思考をもつ者とそうでない者が二分化され、正常な思考を持たぬ者は、人を襲う様になってしまった。……つまり、本来あるべき殺し合いの姿へ変わったということであった。
そう言う鈴崎の表情は、何処か物悲しくあり、同時に慈しみが含まれているように、新は感じた。こくりと頷くと、彼女は嬉しそうに、少しだけ頬を緩ませる。それを見越してか、シロが手近な棚に仕舞われていた紙とペンを持って来て、テーブルを3人で囲むようにして座った。鈴崎の情報だけでなく、新とシロが知る情報も含めて纏めてみる。
橘満里乃…絆を逃がして茶谷と共に行動中
茶谷稔…橘と共に行動中
茅野ねむ…鳰と共に行動中
鳰千鶴…茅野と共に行動中
小夜中レイ…単独行動中、環と戦闘中。
環和広…小夜中と戦闘中。
藤宮ゆかり…朝霧と戦闘中。
朝霧莉子…藤宮と戦闘中。
小夜中のあの状態ならば、環の方が劣勢。こう纏めている間に、死亡している可能性もあるだろう、と、新は書きながら感じていた。妙に冷静な頭が気持ち悪くて、悲しい。"こうなってしまってから"ずっと感じ続けている、何処か空っぽな不快感が、新の蟠りとして引っかかり続けていた。
「御免ね」と謝る彼女に、彼女らしさを感じなくて、新は寧ろ自分の方が申し訳ないという感情を覚えた。
鳰のギフトは【誓約】。自身と"約束"した者、もしくは鳰自身がその約束を破った場合、ランダムで罰が下されるというもの。まず戦闘向きでは無い。彼女等が戦闘で生き残る為には、小夜中が持っていた様な攻撃用の武器が必要になるだろう。
もしその武器を捜索中に暴走した誰かに襲われていたら?もし彼女等が暴走している側で、例えば環の様に、ギフトから想像の斜め上を行く仕掛けをしていたら?
この中で最も可憐な者達だからこそ、動向を把握しておくメリットは充分にあるだろう。
鈴崎と新は互いに頷くと、シロの方を見た。話はきちんと聞いていたらしく、視線に気付けば、こくりと頷き返す。
3人は周囲に注意しながら、校長室を後にした。
鈴崎に注意しながら、新は右に左にと連なる扉と窓を交互に見て、茅野と鳰の捜索をしていた。その後ろをついて来るシロは、まるで見落としがないよう最終確認をするかのように、同じく捜索している。
校舎は真夜中なのもあり、不気味さが目立っている。銃声は環と小夜中の方向から聞こえて来ている気がする。反対方面からは物が倒れる音が聞こえて、それだけでも恐怖心を煽られるというのに、自分達が"校舎"という普遍的な公共施設で"殺し合い"という特殊性のある行為をしている、その事実を再度認識して、背骨が逆立ちをする様な不安と憂虞が襲いかかってきて。
"早く見つけたい"
その一心でしかなかった。
彼女等は保健室を寝床にしていた。3人はこの事態の中で人に予測され易い場所に居るのだろうか、と考えて敢えて避けていたが、捜索も1時間は経過している。ここまで見つからないとなると、予想が外れて保健室に居る可能性も出てきた。
「…試しに、行かれますか…?」と、後ろからシロが声をかけてくる。こうなったらそこを手掛かりにするしかない。
奔走する3人を、時計の針が急かすように奏でていた。
階段を下りる度、空気が一段濃くなるように、新には思えた。鈴崎もシロも、いつしか言葉を交わすことなく歩いていて、3人の足音だけが、古い館の肺腑を震わせている。保健室はこの階層の一番奥。下りて、下りて、その進行方向へと身体の向きを変えた時だった。
ミ゙ジッ゙
何処からか、金属の軋む様な、息を押し殺したような、形容のし難い音が響いた。
新は反射的にシロの手首を掴む。鈴崎は一歩、前へ出た。その音は、風が切る音にも似ていたし、何かが倒れる前の前兆にも似ていた。
只一つ確かなのは、それが人間の心を削ぐような“嫌な音”である、ということ。
次の瞬間、三人は走っていた。
廊下に靴音が跳ね返り、壁がそれを嘲るように打ち返す。保健室の扉だけが、やけに遠く見えた。近づけば近づく程、逃げていくような気さえした。
保健室が見えてきた。踏み込みが一層強くなり、耳を風が逆走する。肉体構造上仕方なく、新が2人より先に前へ出る形になる。鈴崎が「新クン!」と言い、手を差し出した。何を言いたいかは自然と繋がり合って。新はシロの腕を鈴崎の方へ寄せ、それが渡ったことを確認するなり、より身体を前へと倒した。
バンッ
扉を押し開けたのは新だった。乾いた空気が頬を撫でて、消毒液の残り香と、微かに甘い匂いが混ざり合っていた。それは生よりも死の側に寄った匂い。
そこに、茅野と鳰がいた。
寄り添うように、身体を横たえている。まるで、寒い冬に、互いが互いの冷たさを慰め合うように。乱れた気配も、暴れた痕跡もない。只静かに、二つの影が白いベッドの上に沈んでいた。
鈴崎の息が止まり、理解を示す合図となる。シロは音もなく新の袖を掴んだ。新は一歩近付いたが、その足取りは、自分のものではないようだった。形の整った死は、ときに残酷である。傷が少なければ少ない程、それは生者に深く突き刺さる。茅野の睫毛は微かに伏せられ、鳰の指先はベッドの隅に触れたまま固まっていた。声をかければ、目を開けてくれそうだと錯覚するほどに、2人は“眠って”いた。
しかし、現実は容赦なく静寂を押しつけてくる。
死だけが、この部屋の確かな事実だった。
新の胸の奥で、何かがひっそりと崩れる。鈴崎は只、名を呼び、声の途中で弟が抜け落ち、崩れ落ちるように膝をつく。シロは、現実を理解しきれない子供のように、それでいて、何処か冷静な瞳を揺らしながら立ち尽くす。言葉は淡々としていようと、確かな動揺が点滅しているのは一目瞭然。
保健室は、まるで3人を歓迎するように静かだ。
そしてその静けさは、二度と満たされることのない空席を示すように、どこまでも深かった。
新と彼女等の距離は、ほんの数歩に過ぎない筈だった。けれど、そこから更に踏み出す度に、胸の奥が軋み、肺の内側で何かがひりつく。二人の眠るような死顔を前にして、心が"拒絶"という言葉を覚えたかのようで。
その瞬間。
新の視界が微かに揺れた。
目の奥を誰かの指先で抉られたような、鋭い痛みが走った。
痛みは一撃では終わらない。
脳の中心に針を突き立てられたような感覚が、脈打つ度に広がり、頭蓋の内側を削る。目の前の景色が、滲んだ朱色の膜を貼ったように震えていく。
声にならない息が漏れ、やがて、掠れた呻きがSOSとなる。鈴崎が新の顔を覗き込むが、その顔はもう彼には見えなかった。世界が薄い紙の層のように重なり、剥がれ、歪んでいく。遠くから、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がする。それが鈴崎かシロか、もう判別できなかった。
痛みは、悲しみに似ていた。
悲しみは、痛みに似ていた。
何方が先か、何方が新を襲っているのかもわからなかった。この正体すらも、何もかも。
膝が床に落ちた衝撃は、やけに軽く、
意識が、自分の体から抜け落ちていく感覚がした。
茅野と鳰の姿が、まるで吸い込まれるように遠ざかっていく。
言葉は喉で固まり、頭痛だけが新の全身を支配した。
最後に感じたのは、シロの小さな手が肩に触れる温度。
その温度も、白い光に飲まれるように消えていき、
新は、静かに崩れ落ちた。
第五楽章[不可逆性の不文律に愛を] 終
















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!