――ミレナは、空を見上げていた。
そこにあるのは青ではなく、白く濁った虚無。
世界そのものが“呼吸”をやめたように静まり返っていた。
地面は光の欠片でできた海のようにゆらめき、
風は祈りの声を運ぶ――
けれど、その声には「命」がなかった。
ミレナの髪が光に溶ける。
肌は透き通り、輪郭が崩れていく。
――もう、人ではない。
だが彼女はまだ、“神”にもなりきれていなかった。
そんな中、遠くからエマが走ってくる。
ボロボロの衣装、血の滲む腕。
それでも、彼女は迷わなかった。
「ミレナ……!」
その声に、神はゆっくりと顔を向けた。
瞳は金色に光り、焦点が合っていない。
まるで、何かを見通しているように――人間の“今”ではない何かを見ていた。
「……あなた、誰?」
その問いが、エマの胸を刺す。
あの戦場で笑っていた少女の声が、もうどこにもない。
エマは叫んだ。
「わたしよ! 一緒に戦ったエマ! あなたを、友達を、取り戻しに来たの!」
ミレナの手が上がる。
そこから無数の光の線が伸び、天に届く。
その光は「存在の糸」だった。
触れたものの“記録”を吸い取り、世界を組み替える。
エマはその中を突っ切り、ミレナに近づく。
光が肌を裂き、血が滲む。
それでも止まらない。
「あなたが壊した世界は、あなたのせいじゃない! ステラが、全部――!」
その名前に、ミレナの目がかすかに揺れた。
ほんの一瞬、少女の顔が戻る。
だが次の瞬間――頭の中に、声が響く。
『聞こえる? ミレナ。あなたの痛みは、もう“不要”なの。
神は、苦しまないでいいのよ。』
ステラの声だった。
光の糸が一斉に赤黒く染まり、ミレナの身体を包み込む。
エマは見た――
ステラが、鏡の中から現れたのを。
黒いドレスを纏い、瞳には星のような光。
彼女はゆっくりとミレナに歩み寄る。
「もう、苦しいでしょう? あなたは“神”には向かない。
けれど、あなたの力は素晴らしいわ。
だから……この手に、戻してちょうだい。」
ミレナは震える手で胸を押さえる。
その奥に、まだ“鼓動”があった。
――それは、彼女が“人”だった証。
「……いや。ステラ、わたしは……」
言葉が続かない。
代わりに溢れたのは光――いや、“涙”だった。
それが地面に落ちた瞬間、世界が歪む。
光が砕け、空が反転する。
白い虚無の空が黒に染まり、星が散る。
その中央で、ミレナの背に再び翼が生えた。
――片方は光、もう片方は闇。
ステラが一歩、踏み出す。
「そう、それでいいの。
光も闇も持つ神。あなたこそが、わたしの“理想”。」
エマはその光景に震えながら、剣を構える。
ステラの瞳が、彼女を一瞥する。
「あなたも駒になる? それとも――この神に殺されたい?」
風が吹き荒れる。
ミレナの口が、ゆっくりと開いた。
「わたしは……救いたい。
だけど……誰を?」
その問いに、答える者はいなかった。
ただ、彼女の中で光と闇がぶつかり合い、
世界が再び崩壊の音を立て始めた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!