──まただ。
また、あの夢だ。
いつも突然始まる。
なんの前ぶれもなく、勝手にスイッチが入るテレビみたいに。
毎回同じ展開。
まるで、同じ映画を繰り返し見せられているように。
──はじまりは、ゴロゴロ鳴ってる雷の音と、ザーザーうるさい雨の音。
すごく近くで鳴ってる気がして、耳の奥がジンとする。
気づけば、オレは白いテーブルの前に座っていた。
テーブルの上には、ごちそうがずらっと並んでて、あったかい湯気と、甘い匂いが鼻に届く。
ケーキとか、スープとか、ステーキとか、なんかいろいろ。
どれもすごく美味しい。
まわりの壁には、風船とか、折り紙で作った飾りが貼ってある。
ちょっと下手だけど、多分これは誕生日パーティーの最中だ。多分オレの。
テーブルの向こうで、二人の大人が歌ってる。
「ハッピバースデー・トゥーユー♪」
その隣で、小さな男の子がはしゃいでいた。
「にぃに。はっぴちゅーゆー!」
……うん、惜しい。
けれど、
胸が、あったかかった。
これが、“家族”ってやつなんだろうなって、なんとなく思う。
……でも。
知ってる。
このあと、どうなるか。
夢なのに、オチまで覚えてるなんて変だけど、何度も見たから知ってるんだ。
──ザッ。
ほら。こんな風に急に変な音がして、目の前の映像が乱れる。
テーブルも、料理も、飾りも、全部ぐにゃって曲がって、黒くにじんで、消えていって。
──次にオレがいたのは、玄関だった。
床の上に、二人の大人が倒れてる。
目を閉じたまま、動かない。
さっきまで歌ってた人たちだ。
服の下から、ペンキをこぼしたような赤黒い水たまりが、ゆっくりと、じわじわと、オレの足元に近づいてくる。
そのそばに、誰かが立っていた。
顔には、ひょっとこのお面。
お祭りで見るやつだ。
でも、この空気には、ぜんぜん似合ってない。
手に持ってるのは、赤くぬれた包丁。
先からポタッ、ポタッて、血が落ちてる。
お面の人は、何もしゃべらない。
けど──わかる。
笑ってる。
お面の下で、すごく楽しそうに、笑ってる。
顔は分からないはずなのに、不思議とそうとしか思えなかった。
その手が、ゆっくりこっちに伸びてくる。
──やばい。
体が動かない。
頭の中が「逃げろ」って言ってくるのに、足がぜんぜん動いてくれない。
口も開かない。声も出ない。
──殺される。
心の中で、大声で叫んでる。
心臓がドクンってして、背中がゾワゾワした。
……次の瞬間、口元に変な布を押し付けられた。
鼻の奥をツンと刺すにおいが広がって、ぐらっ──と、景色がゆれた。
体が沈む。
どんどん下へ、下へ……
まるで底のない穴に落ちていくような。
そんな変な感覚がした。
やがて目の前が真っ暗になって。
──そこで、オレは目を覚ます。
鳥の声がした。
山のほうじゃない。
もっと近い。たぶん、窓のすぐそば。
オレは目を開ける。
見慣れた天井が、そこにあった。
木の板が何枚もならんだ、ちょっと古くて、ところどころ汚れてる天井。
雨漏りの跡なのか、染みがあちこちに浮かんでて──
そのうちのひとつは、親子が手をつないでるみたいな形に見える。
たまに別のものに見えたりするから、錯覚って不思議だ。
のそっと上半身を起こして、壁の時計をにらむ。
起きる時間は7時だから、あと10分は寝ててよかったのに。
でも、もう一度まぶたを閉じるには、微妙な時間。
原因は、はっきりしてる。
あの夢のせいだ。
何回も見る、同じ夢。
始まりも終わりも毎回同じで、しかも、夢のくせに音や匂いがやたらリアル。
……たぶん、オレの記憶なんだと思う。
でも、それ以外は思い出せない。
まるで、頭の中にもう一人のオレが住んでて、
そいつだけが知ってる秘密を、毎晩見せてくるみたいな感じ。
布団をめくった瞬間、むわっとした空気が首筋にまとわりつく。
あくびをひとつして、背中をぐーっと伸ばす。
腕を上に上げたら、指先がなんかべたべたしてて、ちょっとイヤな感触だった。
この部屋には、三段ベッドがふたつある。
つまり、六人部屋ってこと。
上からのぞくと、みんなの布団が、それぞれの呼吸に合わせてゆっくり動いてる。
中には、頭までぐるっとくるまってるやつもいて、誰が誰だかわからない。
こんなに蒸し暑いのに、苦しくないのかな。
オレの寝床は、左側のいちばん上。
三段ベッドのてっぺん。
随分と年季が入ってるみたいで、上り下りのたびに、鉄のフレームがギシギシ鳴るのがうるさい。
下に誰か寝てるときは、音を立てないようにそーっと動く必要があるから、夜中にトイレに行く時なんか、わりと真剣なアスレチックになる。
でも、てっぺんって、なんか特別だ。
上からだと部屋が全部見えるし、秘密基地みたいな気分にもなれる。
……まあ、天井が近すぎるのは、ちょっと失敗だったけど。
なんてったって、七月の空気は重い。
熱が上にたまるって、本当だったんだなって実感するレベルで、寝てるあいだに背中がぺったぺたになってた。
夜に扇風機を回しても、上まで届くころには風がぬるくなってるし、
誰かがこっそり“自分だけに当たる角度”に直してるのも、オレは知ってる。
それが、最近のちょっとした不満。
ここは、未来園って名前の施設。
大人の言い方だと、“児童養護施設”ってやつになる。
でも、そんな言葉を使うやつなんて、所長くらいしかいない。
要するに、親がいない子どもが集まって暮らしてる場所。
建物は三階建て。
一階には主に、職員室と食堂と、大広間がある。
二階はオレたち男子の部屋。三階が女子。ちゃんと分かれてる。
玄関の黒板には、今日のひとことがチョークで書かれてたり、
掲示板には、週に一度のペースで誰かの誕生日カードが貼ってあったりするけど、
それを見て「家みたいだな」って思うやつは、あまりいない。
ここは“そういう場所”で、
“そういう朝”が、ただ繰り返されていくだけだ。
──7時になった。
廊下の足音が近づいてきて、ガラッとドアが開く。
入ってきたのは、周平兄ちゃん。高校三年生の18歳。
上半身は裸で、肩にくしゃっとなったタオルをかけてる。髪はぺたんと寝癖のまんま。
その声に反応したのか、どこかの布団がもぞっと動いて、「ううー……」と誰かがうなった。
止まっていた空気が、少しずつ動き出す。
周平兄ちゃんは、ベッドをひとつずつまわって、ぽんぽんと布団を叩いていった。
力は強くないけど、テンポは容赦ない。
この施設には、2歳から18歳までの子どもたちが、だいたい60人ぐらい住んでいる。
学年とか年齢でグループが分けられてて、オレの班は、小学三年から五年の男子の部屋。
オレはそのちょうど真ん中。10歳、小学四年生。
10歳を超えると、「当番」ってやつがまわってくる。
朝の点呼係とか、廊下とトイレの掃除係、ごはんの配膳係なんかが、日替わりで割り振られる。
それ以外にも、イベントの時期になると増える係があって、夏はプール掃除、冬は薪ストーブ係──なんてのもある。
年齢のバランスで仕事量は決まるけど、基本的に年上の子の方がやる事が多い仕組みになっていた。
でも、文句を言う子はいない。
言ったところで、なにも変わらないから。
やがて、ベッドがひとつ、またひとつ、ぎしっと音を立てて揺れ出した。
みんなが這い出してきて、布団を畳む音が部屋じゅうに広がっていく。
シーツをピシッと伸ばすやつもいれば、ぐしゃぐしゃのまま丸めるやつもいる。
でもそういうヤツは、あとで先生にしこたま怒られる。
布団を畳み終わると、次は洗面所。
歯を磨いて、顔を洗うんだけど──
でも。それよりもまずはトイレだ。
この階には、トイレが二つしかない。
だからみんな、起きたらまずトイレに向かう。朝のちょっとしたレースだ。
もし誰かが腹こわしてたりしたら、もうアウト。
列はどんどん伸びて、タイミング悪いと朝メシに間に合わない。
だからオレは、夜はなるべく水を飲まないようにしてる。
地味だけど、それがここで生活する知恵ってやつだ。
洗面台の前に立って、蛇口をひねる。
水が出ると同時に、鏡に映った自分と目が合った。
白い髪に、てっぺんだけ赤く染まった髪。ここに来た時は、園のみんなにニワトリみたいってよくからかわれたけど、もう慣れた。
オレの名前は緋月紅之介──
鏡の中の自分は、今日も眠たそうな顔をしていた。
冷たい水で顔を洗って、タオルでガシガシ拭く。
7時20分。朝ごはんの時間。
食堂は、すでにざわざわしてる。
正面の扉を開けると、冷房の涼しい空気と、焼いたパンの匂いがふわっと広がってきた。
……あいかわらず、うるさい。
朝から元気いっぱいにはしゃぐ幼児たちのテンションは、正直頭に響く。
目をこすりながら、配膳の列に並んでいると──
うわ、来た。めんどくさいのが。
ちっちゃいのが、足をバタバタさせてこっちに向かってくる。
恐竜の絵がついた黄色いシャツに、サイズちょっと大きめのズボン。オレとよく似た顔。
名前は煉。3歳。オレの“弟”らしい。
……らしい、ってのは、オレにその記憶がないから。
なのに、こいつは毎朝ふつうに「にぃに」って呼んでくる。
すごく自然に、まるで昔からそうだったみたいな顔で。
オレがたまに見る、あの夢の中には──
いつも、こいつが出てくる。
隣で一緒にケーキを食べてたり、一緒に笑ってたり。
──だから、たぶん本当に、弟なんだと思う。
おかしなこと言ってるのは、自分でもわかってる。
でも仕方ない。本当に覚えてないんだから。
……いわゆる、記憶喪失ってやつだ。
大人たちの話によると、オレと煉は「桜城県・児童連続バラバラ殺人事件」というヤツの生き残りらしい。
サスペンスドラマのタイトルみたいだけど、本当にあったことで、なんでも犠牲者は20人以上。しかも被害者の体の一部は、今も見つかってないとか。
父親と母親は、オレたちを庇ってそいつに殺されたらしいけど、やっぱり何の記憶もない。
オレにとっての一番最初の記憶は、真っ暗な暗闇の中で、女の人の声が聞こえたこと。
そして、病院の中の、白い天井だった。
病院の先生には、「事件のショックで記憶が飛んだんだろう」って言われた。
そしてここ、“未来園”に預けられたってわけ。
周りの大人たちは、オレを見るたびに「かわいそう」とか「辛かったね」とか言ってくるけど、正直、何が辛かったのかも、わからない。
何度も言うけど、そもそも覚えてないんだもん。
たとえるなら、カレーを食べた事もないのに、カレーパンの美味しさについて説明しろって言われてるくらい難しい。
だから煉に対しても、最初はどう接すればいいのか分からなかった。
血の繋がった、たった一人の家族。
頭では理解してるけど、感情が追いついてこない。
それでも煉は、今日も変わらず笑っている。
手を伸ばして、オレの袖をつかんで、にこにこと見上げてくる。
その笑顔に、戸惑う自分がいるのも何だか気まずくて。
結局今日も、いつもみたいに「おはよう」とだけ返す事しか出来なかった。















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!