木葉秋紀は、呆然と呟いた。
体育館の床には、黒い葉が散らばっている。
さっきまであれほど激しく舞っていたはずなのに、今は嘘みたいに静かだった。
赤葦が慎重に言葉を選ぶ。
木葉は額を押さえる。
「だったら、なぜ……」
木葉は苦笑した。
その笑顔は、いつもの軽いものではなかった。
頭の奥に、断片的な映像が浮かんでいる。
体育館。
まだ今ほど大きな大会ではない。
少し前の試合。
自分。
チームメイト。
そして――誰かの背中。
『……俺、もう無理かもしれない』
そんな声。
『俺なんかがいても――』
そこまで思い出したところで、映像が途切れる。
木葉が目を閉じる。
赤葦が聞く。
木葉はゆっくり頷いた。
「励ました?」
木葉は床に落ちた黒い葉を見る。
木葉の顔が歪む。
木兎が素っ頓狂な声を上げた。
木葉はため息をついた。
赤葦が理解する。
木葉は苦笑した。
『お前は、いらない』
その言葉だけが。
長い時間をかけて。
木葉自身の心に入り込んでいた。
本当の意味を失って。
ただの呪いとして。
あのヴァンピールが呟いた。
木葉が睨む。
赤葦が警戒する。
男は笑った。
その指が、宙に浮かぶ黒い葉を指す。
木葉は黙っていた。
男は続ける。
男は木葉を見る。
木葉の瞳が揺れた。
黒い葉が一枚、木葉の肩に落ちる。
男が静かに告げた。
木兎光太郎「……じゃあ」
木兎が口を開く。
男は言った。
木兎が木葉を見る。
木葉は目を逸らした。
木葉は苦笑する。
木葉の声が少しずつ弱くなる。
木葉は笑う。
木兎の声が響いた。
木葉が驚いて顔を上げる。
木兎は拳を握った。
木葉は目を逸らした。
木葉の口から、ほんの少しだけ笑いが漏れた。
赤葦も小さく息を吐く。
赤葦は木葉を見る。
そのときだった。
黒い葉が。
一斉に床から浮き上がった。
木葉の表情が変わる。
黒い葉は木葉の周囲を回り始める。
しかし、先ほどとは違う。
攻撃ではない。
まるで何かを探している。
赤葦が呟く。
一枚の葉が木葉の目の前に止まる。
そこに。
映像が浮かび上がった。
体育館。
今より少し幼い木葉。
その前に、一人の選手が座っている。
少年が俯いていた。
木葉はその隣に座っている。
木葉は呆れたように笑う。
そして。
その少年の頭を軽く叩く。
少年が顔を上げる。
木葉は続ける。
映像が止まった。
木葉は黙っていた。
小さく呟く。
木兎が首を傾げる。
木葉は少し考える。
木葉は黒い葉を見る。
赤葦が息を呑む。
そして。
木葉自身にも。
ようやく分かった。
禍名が生まれた原因は。
誰かから投げつけられた言葉ではなかった。
過去の木葉が誰かに与えた言葉でもなかった。
もっと単純で。
もっと根深い。
**「自分に向ける言葉を、自分自身が取り違えていた」**
木葉が呟く。
誰も答えない。
木葉は自分の胸に手を当てる。
その瞬間。
黒い葉が一斉に揺れた。
《Folia Cadentia》
禍名が浮かび上がる。
しかし。
その文字の一部が、白くなっていた。
赤葦が目を見開く。
木葉は禍名を見上げる。
黒い文字。
自分を否定する名前。
それを。
木葉は初めて真正面から見た。
黒い葉が荒れ狂う。
まるで否定するように。
木葉の足元から。
黒い影が広がっていく。
木兎が手を伸ばす。
木葉が叫ぶ。
木葉は一人で立った。
黒い葉が木葉を包む。
視界が暗くなる。
木葉はその中心で。
自分自身と向き合った。
『お前なんか必要ない』
『誰かの代わりだ』
『もっと上手い奴がいる』
『お前じゃなくていい』
木葉はしばらく黙った。
そして。
顔を上げる。
黒い葉が揺れる。
『――』
一歩。
また一歩。
さらに一歩。
木葉は笑った。
その瞬間。
禍名に亀裂が走った。
《Folia Cadentia》
――パキッ。
木葉が息を呑む。
だが。
亀裂は広がっただけだった。
男が呟く。
木葉が振り返る。
男は答えた。
一拍。
木葉は黙った。
それが一番難しい。
誰かに必要だと言われるより。
誰かに背中を押されるより。
自分自身で。
自分の存在を肯定する。
それが。
木葉には何より難しかった。
木葉は俯く。
木兎を見る。
赤葦を見る。
そして。
黒い葉を見る。
誰も口を挟まない。
木葉は笑う。
その声は。
少しだけ晴れていた。
一歩。
木葉の胸元。
《Folia Cadentia》が大きく震えた。
そして。
その文字から。
黒い色が剥がれていく。
木葉が言った。
黒い葉が舞う。
木葉は胸に手を当てる。
その瞳に。
赤い光が戻る。
けれど。
今度は禍名に支配された赤ではない。
木葉自身の意志が宿った瞳。
《Auctor Folia》
真名が。
蘇った。
黒い葉が砕ける。
その一枚一枚が。
黒から深い緑へ変わっていく。
体育館いっぱいに舞っていた葉は。
やがて。
木葉の周囲を静かに旋回し始めた。
赤葦が呟いた。
木兎も目を輝かせる。
木葉は自分の手を見る。
そこには。
緑色の葉が一枚。
乗っていた。
男が答える。
木葉の表情が曇る。
男は微笑む。
黒い葉が一枚。
木葉の指先に現れる。
しかし。
今度は木葉の意志で消える。
木葉はその言葉を聞き。
少しだけ考える。
そして。
木葉は苦笑した。
木葉は緑の葉を見る。
赤葦が頷く。
突然。
木兎が木葉の肩を掴んだ。
木葉は呆れた顔をする。
そして。
小さく言った。
赤葦はそのやり取りを見ながら。
静かに笑った。
しかし。
そのとき。
体育館の窓の外。
暗闇の中で。
何かが光った。
赤い瞳。
それは。
木葉たちを遠くから見つめていた。
先ほどのヴァンピールが振り返る。
赤葦が振り返る。
男は窓の外を見る。
男は背を向ける。
木葉を見る。
「あなたの真名は、普通のヴァンピールとは少し違う」
そして。
男は闇の中へ消えていった。
木葉が呟く。
赤葦も答えられない。
ただ。
木葉の胸元には。
もう一度。
小さく真名が浮かんでいた。
《Auctor Folia》
**――生み出す者。**
そしてその下に。
ごく小さく。
消え残った文字が一つ。
《Folia Cadentia》
**――落ちゆく葉。**
木葉はそれを見つめた。
そして。
小さく笑った。
赤葦が言う。
木葉は一瞬、呆気に取られ。
それから。
いつものように笑った。
木葉は頭を掻いた。
その日。
木葉秋紀の《禍名》発症事件は終わった。
完全な克服ではない。
これからもきっと。
木葉の心が揺らぐたび。
《Folia Cadentia》は姿を現す。
けれど。
もう、それは木葉を飲み込むだけの名前ではない。
**「落ちることを知っている者」だからこそ。**
木葉は。
誰かが落ちそうになったとき。
その手を取ることができる。
それが――
彼の真名。
《Auctor Folia》
**「何かを生み出す者」**
の、本当の意味だった。
――数日後。
梟谷学園。
体育館。
赤葦が聞く。
木葉は笑う。
少しだけ間を置いて。
赤葦の顔が険しくなる。
木葉が両手を上げる。
赤葦が頷く。
木葉は照れ臭そうに笑った。
そのとき。
体育館の反対側から木兎が飛び込んでくる。
いつもの騒がしい体育館。
いつもの梟谷。
木葉は、その真ん中に立っていた。
そして。
誰にも見えないところで。
胸元の真名が。
ほんの少しだけ。
淡く光った。



















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!